目次
- リクルート事件をわかりやすく解説
- 戦後日本の最大汚職事件
- リクルート関連会社と政治家や官僚らが関与
- 朝日新聞のスクープによって発覚
- 売却益は6億以上にのぼる
- 一国の総理大臣が辞任する事態に発展
- リクルート事件の発端
- 1988年川崎市助役へ未公開株が譲渡された
- 1988年6月朝日新聞がスクープ記事として掲載
- 1988年7月マスコミ各社の後追いによって多くの関与者が明らかになる
- 社民連の楢崎弥之助がリクルート側に譲受人名簿提出を要求
- リクルート事件の追求を免れるためにとった行動
- 1988年8月社民連の追求を逃れるためコスモス社社長が贈賄を提案
- 楢崎弥之助はそれらの好意を罠だと感じた
- 親しい記者や裁判官であった江田五月に相談
- 楢崎弥之助は身の潔白を示すために隠し撮りを行う
- 1988年9月楢崎弥之助は記者会見で告発
- リクルート事件に関与したといわれる人物
- 加戸守行大臣官房長
- 長谷川峻法務大臣
- 中曽根康弘前首相
- 竹下登首相
- 宮沢喜一副総理
- 安倍晋太郎自民党幹事長
- 渡辺美智雄自民党政調会長
- 藤波元官房長官
- 他90人を超える政治家が株の譲渡を受けていた
- 公文俊平
- 森田康日本経済新聞社社長
- 真藤恒NTT会長
- 森喜朗は売却によって1憶円の収益を得ていた
- 譲渡を受けた議員が所属する党
- 自由民主党
- 日本社会党
- 公明党
- 民社党
- リクルート事件の目的
- 政治的財界的地位を高めるため
- 再開発事業のため
- 捜査の流れ
- ルートを分け捜査開始
- リクルート本社等を家宅捜索
- 株主名簿など重要な証拠品を押収
- コスモス社社長室長を贈賄申込罪で起訴
- 12人を起訴
- 全員に有罪判決が下る
- ルート別判決内容
- 政界ルート
- 文部省ルート
- 労働省ルート
- NTTルート
- リクルート社
- 裁かれなかった人物たち
- 自民党藤波・公明党池田は在宅起訴
- 秘書等4人が略式起訴
- 中曽根や竹下はじめ大物政治家は立件されなかった
- 譲渡が広範囲で関係性の証明が難しかった
- 関与した人物たちの言い訳
- 秘書が自分の名前を利用した
- 妻または家族が株をもらった
- うつ病発症
- 譲受人名簿提出要求は金銭要求
- リクルート事件は冤罪事件なのか
- 正義の罠リクルート事件と自民党二十年目の真実
- 当時は公開前に株を渡すことが当たり前
- 株は現金と違い下りもするため賄賂に当たらない
- 本来はNTTがリクルートに賄賂を贈る立場
- 検察・マスコミの陰謀
- 検事調書は捏造されたもの
- リクルート事件のその後
- 総辞職となる
- 青木伊平元竹下登在東京秘書が自殺
- 自民党の惨敗
- 政局安定のため公明党・民社党との連携を強いられる
- リクルート・コスモスは経営危機に陥る
- 江副浩正リクルート元会長宅に向けて散弾銃が発砲される
- 政治改革が重要なテーマとなる
- 選挙制度改革
- 政党助成金制度公開の拡大
- 閣僚の資産公開の拡大
- 公職選挙法の改正
- 政治と金を正すきっかけとなった大事件
社民連の楢崎弥之助がリクルート側に譲受人名簿提出を要求
via pixabay.com
1978年、日本社会党を離党した国会議員を中心とした社会市民連合(しゃかいしみんれんごう)と社会クラブ(しゃかいクラブ)が合流して結成された、かつて存在した日本の政党の社民連。その社民連に所属していた衆議院議員の楢崎弥之助が、国会で未公開株譲渡問題を追及し、コスモス株の譲受人名簿を提出するようリクルートに要求しました。
この楢崎弥之助は、ロッキード事件やリクルート事件など数々の疑惑を暴いたため「国会の爆弾男」との異名を持ち、政治スキャンダル追及の中心的役割を担う存在でした。
この楢崎弥之助は、ロッキード事件やリクルート事件など数々の疑惑を暴いたため「国会の爆弾男」との異名を持ち、政治スキャンダル追及の中心的役割を担う存在でした。
リクルート事件の追求を免れるためにとった行動
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そもそも、リクルートコスモスの未公開株が上場後に必ず上がるという保証はなく、未公開株を譲渡したからといって、すぐに利益供与にはならず、犯罪としては成立しません。関係者や親しい人と、社会的に信用のある人に未公開株を買ってもらうのは、当時、どこの企業もやっていたことであり、むしろ証券業界の常識でもありました。
事件の初期段階では検察も手が出せず、政界への贈収賄での立件は困難と判断していた状況で、リクルート側は過剰防衛とも取れる行動を取ります。
事件の初期段階では検察も手が出せず、政界への贈収賄での立件は困難と判断していた状況で、リクルート側は過剰防衛とも取れる行動を取ります。
1988年8月社民連の追求を逃れるためコスモス社社長が贈賄を提案
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リクルートコスモス社長室長を介しリスク管理の専門家としてリクルートに入社した田中辰巳が楢崎の要請は金銭の要求だと強く主張し、これを受けリクルート常務がコスモス社社長室長に楢崎との接触を指示したのです。
野党議員である楢崎弥之助は、国会で未公開株譲渡問題を追及する側です。指示を受けたリクルートコスモス社長室長は、「爆弾発言」で知られる当時の社民連の楢崎弥之助へ接触を試み始めました。
この行動が、のちに政界への捜査が及ぶことになろうとは予測していませんでした。
野党議員である楢崎弥之助は、国会で未公開株譲渡問題を追及する側です。指示を受けたリクルートコスモス社長室長は、「爆弾発言」で知られる当時の社民連の楢崎弥之助へ接触を試み始めました。
この行動が、のちに政界への捜査が及ぶことになろうとは予測していませんでした。
楢崎弥之助はそれらの好意を罠だと感じた
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楢崎弥之助が翌日に予算委員会の質問を控えた8月4日以降、コスモス社社長室長は手心を加えるよう赤坂の議員宿舎や福岡の自宅まで何度も押しかけ贈賄を提案します。楢崎は面識のない彼からの再三にわたる贈賄の提案を自身を陥れる罠ではないかと思ったそうです。
コスモス側は、楢崎弥之助に賄賂を提案したのは、楢崎弥之助が野党議員であったため、何かをして欲しいというよりも「何もしないで欲しい」つまりリクルート問題の追及をやめさせるためだったのです。
コスモス側は、楢崎弥之助に賄賂を提案したのは、楢崎弥之助が野党議員であったため、何かをして欲しいというよりも「何もしないで欲しい」つまりリクルート問題の追及をやめさせるためだったのです。
親しい記者や裁判官であった江田五月に相談
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面識のないコスモス社社長室長からの再三にわたる贈賄の提案について、自身を陥れる罠ではないかと感じた楢崎弥之助は職業柄、常に記者に追い回される身です。そんな中で取材に来ていて親しくなった記者や前職が裁判官であった同党の江田五月に相談したそうです。
賄賂の提案があったこと・自身を陥れるための罠ではないか、そして今後の対応について相談していき、ある方法を用いて楢崎弥之助はリクルート側と会うことに決めます。
賄賂の提案があったこと・自身を陥れるための罠ではないか、そして今後の対応について相談していき、ある方法を用いて楢崎弥之助はリクルート側と会うことに決めます。
楢崎弥之助は身の潔白を示すために隠し撮りを行う
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それは、楢崎氏が「おとり」となって日本テレビに隠し撮りするという方法です。事態の収束を図ったリクルート・コスモス社が、国会で追及する予定だった野党社民連の衆議院議員・楢崎弥之助氏に、多額の現金が入った紙袋を無理やり渡そうとする収賄の決定的瞬間を、日本テレビが全国に放送して大きな衝撃を呼びます。
リクルート社は、口封じするために渡そうしたお金でしたが、皮肉にもこの隠し撮りが報道されたことで政界へ捜査が入るきっかけとなりました。
リクルート社は、口封じするために渡そうしたお金でしたが、皮肉にもこの隠し撮りが報道されたことで政界へ捜査が入るきっかけとなりました。
1988年9月楢崎弥之助は記者会見で告発
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9月5日、楢崎はリクルートの事件関係者を告発する記者会見を開き、同日夜に議員宿舎での会談のビデオ映像が『NNNニュースプラス1』(日本テレビ)で全国放送されました。楢崎弥之助は、「贈賄申し込みの疑いで、江副リクルート前会長、池田友之リクルートコスモス社長を近く東京地検特捜部に告発する」と記者会見で発表しました。
隠し撮りの映像によって自民党一党支配崩壊の契機となりましたが、この件は、山本七平から「賄賂を贈る瞬間を撮りたいがために即座に断らずに期待を持たせて何度も通わせたのなら権力者が故意に国民を法網にひっかけようとしたことでリクルート以上のスキャンダル」と批判されています。
隠し撮りの映像によって自民党一党支配崩壊の契機となりましたが、この件は、山本七平から「賄賂を贈る瞬間を撮りたいがために即座に断らずに期待を持たせて何度も通わせたのなら権力者が故意に国民を法網にひっかけようとしたことでリクルート以上のスキャンダル」と批判されています。
リクルート事件に関与したといわれる人物
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リクルート事件は、リクルートコスモス社の未公開株を交流のある政界・官界・経済界の人々に譲渡した事件で、政界に与えた影響力の大きさ・広がりでは戦後最大の事件とも言えます。
未公開株をファイナンス付きで譲渡され、公開直後に売却して巨額の利益を得る。これも一般国民からすれば、雲の上の特定政治家や財界人だけであり、後に「濡れ手で粟」という言葉が使われ国民の怒りは爆発します。マスコミもこぞって正義を振りかざし、「濡れ手で粟」の政治家や官僚を叩いていきました。
未公開株をファイナンス付きで譲渡され、公開直後に売却して巨額の利益を得る。これも一般国民からすれば、雲の上の特定政治家や財界人だけであり、後に「濡れ手で粟」という言葉が使われ国民の怒りは爆発します。マスコミもこぞって正義を振りかざし、「濡れ手で粟」の政治家や官僚を叩いていきました。
加戸守行大臣官房長
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加戸 守行(かと もりゆき、1934年9月18日 - )は、日本の政治家。元愛媛県知事(第14~16代)、元文部官僚、「美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会」実行委員長、日本会議愛媛県支部相談役。
1970年7月から1974年6月まで文化庁著作権課長として著作権法施行令及び同法施行規則を制定、ベルヌ・万国両条約パリ改正会議など著作権関係国際会議に8回出席。1983年6月、文化庁文化部長。1983年10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。現行の著作権法の草稿執筆者としても知られる。1988年に同省の大臣官房長に就任するなどしている人です。
1970年7月から1974年6月まで文化庁著作権課長として著作権法施行令及び同法施行規則を制定、ベルヌ・万国両条約パリ改正会議など著作権関係国際会議に8回出席。1983年6月、文化庁文化部長。1983年10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。現行の著作権法の草稿執筆者としても知られる。1988年に同省の大臣官房長に就任するなどしている人です。
長谷川峻法務大臣
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長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 1992年10月19日)は、日本の政治家、自由民主党衆議院議員。宮城県栗原郡若柳町(現在の栗原市)出身。正三位勲一等旭日大綬章。
1988年の竹下改造内閣で法務大臣として入閣した直後、当時世間を騒がせていたリクルート事件に関連し、リクルートからの政治献金が発覚。任命からわずか3日後で閣僚在任期間4日間の短命閣僚となり、戦後政治史では最短退任記録歴代1位となっています。
この退任劇は竹下内閣に少なからず影響を与え、就任時の記者会見で「(リクルートと)ご縁がないからここに居られる」と大口をたたいたことが結果的に命取りとなりました。
1988年の竹下改造内閣で法務大臣として入閣した直後、当時世間を騒がせていたリクルート事件に関連し、リクルートからの政治献金が発覚。任命からわずか3日後で閣僚在任期間4日間の短命閣僚となり、戦後政治史では最短退任記録歴代1位となっています。
この退任劇は竹下内閣に少なからず影響を与え、就任時の記者会見で「(リクルートと)ご縁がないからここに居られる」と大口をたたいたことが結果的に命取りとなりました。
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