2019年6月12日 更新

アメリカの有名ギャング「アル・カポネ」の生涯!逮捕された理由とその後も

アル・カポネは、20世紀のアメリカを代表するギャングです。アメリカで禁酒法が施行された時代に犯罪組織の近代化に成功し、絶大な権力を誇りました。その影響は現在まで続いています。今回は、アメリカ史上最も有名なギャング、アル・カポネの生涯に迫ります。

目次

世界一有名なギャング「アル・カポネ」の生涯

Attack Blackmailing Crime - Free photo on Pixabay (351879)

アル・カポネは、20世紀前半のアメリカで活躍したギャングです。アメリカで禁酒法が施行された1920年代から30年代にかけて活躍し、さまざまな犯罪に手を染めて自身の組織を拡大しました。カポネ以前のギャングとは一線を画した手法を用い、犯罪組織の近代化に貢献したと言われています。

今回は、伝説的なギャング、アル・カポネの生涯に迫ります。

アル・カポネの生い立ち

Statue Of Liberty New York Ny - Free photo on Pixabay (351881)

アル・カポネはイタリア系移民の子としてニューヨークで生まれました。まずはアル・カポネの生い立ちを見ていきましょう。

9人兄弟の4男

Manhattan Empire State Building - Free photo on Pixabay (352019)

アル・カポネことアルフォンス・ガブリエル・カポネ(Alphonse Gabriel Capone)は、1899年、ニューヨークのブルックリンでイタリア系アメリカ人の子として生まれます。9人兄弟の4男でした。

両親はイタリアのサレルノ県出身で、1893年にイタリアを飛び出してオーストリア・ハンガリー帝国に移住します。しかし、さらなる自由を求めてアメリカに渡り、ニューヨークに居を定めました。

父のガブリエーレ・カポネは理髪師、母のテレサ・カポネは裁縫婦として働きながら息子たちを育てました。カポネ家は、当時のアメリカ社会で一般的な経済水準の家庭であり、貧乏ではないが取り立てて裕福な家庭でもなかったと言われています。

成績優秀だったが後に不良に

Kids Painting School - Free photo on Pixabay (352031)

カポネは非常に賢い子どもでした。小学校でも成績優秀な優等生として知られており、将来を嘱望されていましたが、徐々に素行不良が目立つようになります。

学校をさぼりがちになり、おしゃれをして町に繰り出し遊びほうけるという典型的な不良少年になりました。カポネが通っていた学校はキリスト教系であり厳格なカトリックの教義に従った教育を行っていたため、カポネの素行の悪さが徐々に問題視されるようになります。

7年生(日本の中学1年生に相当)に進級する前に学校の女性教師とトラブルになります。日頃の行いの悪さを注意され、逆上したカポネは教師に殴りかかり、以降学校に行かなくなります。その後は学校教育を受けることはなく、不良、そして犯罪者の道を進むことになりました。

「アドニス社交クラブ」に出入り

Man Gun Military - Free photo on Pixabay (352039)

学校に行かなくなったカポネは、ボーリング場などで働いて小金を稼ぎ、夜は町で遊びに熱中するという生活を送っていました。特にビリヤードが得意で町屈指の腕前だったと言われています。

さらに「アドニス社交クラブ」という不良や犯罪者のたまり場のようなクラブに出入りするようになります。このクラブで、カポネは銃の扱い方を覚えました。
Alcohol Alcoholic Bar - Free photo on Pixabay (352058)

不良街道を邁進していたカポネですが、一方で家族思いな一面もありました。ただ遊ぶだけでなく、きちんと仕事をして実家の家計を助けていました。

また、カポネはありとあらゆる不良の遊びに手を出していましたが、酒は全く飲まなかったと言われています。後にギャングとなり、禁酒法を逆手に取って莫大な富を築いたことを考えると、興味深いエピソードです。

ジョニー・トーリオと出会う

Skin Eye Iris - Free photo on Pixabay (352088)

町ではそれなりに有名だったものの、所詮は単なるチンピラだったカポネの運命を変える出来事が起こります。ジョニー・トーリオというギャングとの出会いです。

ジョン・"パパ・ジョニー"・トーリオ(John "Papa Johnny" Torrio)は、アメリカのシカゴを中心に活躍したギャングスターです。パパ・ジョニーという愛称で知られています。シカゴに渡る前はニューヨークのブルックリンで活動しており、この頃にカポネに出会いました。

トーリオはカポネのことを大層かわいがっており、後にシカゴにカポネを呼び寄せています。カポネをトーリオのことを慕っていました。
Man Serious Face - Free photo on Pixabay (352102)

トーリオは、後にアメリカを代表するギャングスターになりますが、非常に紳士的な人物で家族思いな一面もあり、人望が厚かったと言われています。

酒や煙草などもやらない潔癖な生活を送っており、そんなトーリオの姿にカポネは大きな影響を受けています。

ギャングになるまでの経緯

Lonely Man Sitting - Free photo on Pixabay (352116)

若くして道を踏み外してしまったカポネですが、ギャングになるまでには紆余曲折ありました。カポネがギャングになった経緯を見ていきましょう。

フランキー・イェールとの出会い

Face Portrait Man - Free photo on Pixabay (352123)

トーリオと並んでカポネに大きな影響を与えたギャングがフランキー・イェール(Frankie Yale)です。紳士的なトーリオと違って非常に好戦的なギャングであり、ライバルのギャングとの抗争に明け暮れていたことで知られています。

1915年にシカゴに移ったトーリオの縄張りを引き継ぎ、ブルックリンで幅を利かすようになります。1916年には、コニーアイランド(ブルックリンにある半島地区)に「ハーバード・イン」という酒場をオープンしました。
Bar Bartender Beer - Free photo on Pixabay (352129)

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