目次
この酒場にトーリオの紹介でバーテンダーとして雇われたのが、アル・カポネです。バーテンダーだけでなく用心棒としても活躍したカポネは、イェールに気に入られ、本格的にギャングの道に足を踏み入れることになります。
カポネにとって恩人であるイェールですが、後にカポネと対立し、暗殺されることになります。イェールとカポネの対立については、後ほど詳しく解説します。
カポネにとって恩人であるイェールですが、後にカポネと対立し、暗殺されることになります。イェールとカポネの対立については、後ほど詳しく解説します。
暗黒街に足を踏み入れる
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イェールに気に入られたことで、カポネは本格的に暗黒街に足を踏み入れることになります。しかし、この頃のカポネはマフィアとしては主流ではなく、むしろ傍流に属していました。
カポネが主流に入れなかった理由は、カポネ家の出身地がシチリアではなかったことが大きく影響しています。イタリア系移民は、アメリカでは少数派だったことから貧しい生活を強いられており、犯罪に手を染める者が多くいました。
カポネが主流に入れなかった理由は、カポネ家の出身地がシチリアではなかったことが大きく影響しています。イタリア系移民は、アメリカでは少数派だったことから貧しい生活を強いられており、犯罪に手を染める者が多くいました。
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そのような犯罪者のイタリア移民の中で最も大きな影響力を持っていた集団が、シチリア系のマフィアです。そもそもマフィアとは、イタリアのシチリア島に起源を持つ犯罪集団です。
カポネの両親はイタリアのサレルノ県出身であったことから、主流であるシチリア系のマフィアの集団には加われなかったため、ニューヨーク時代のカポネは苦汁をなめることになります。
カポネの両親はイタリアのサレルノ県出身であったことから、主流であるシチリア系のマフィアの集団には加われなかったため、ニューヨーク時代のカポネは苦汁をなめることになります。
トーリオに呼ばれシカゴへ
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1920年(19年や21年という説もあり、正確には不明)、ニューヨークで下積みを続けていたカポネに大きな転機が訪れます。カポネの恩人であり、シカゴに渡っていたジョニー・トーリオが、カポネをシカゴに呼び寄せたのです。
カポネはシチリアマフィアが幅を利かせていたニューヨークに見切りを付け、シカゴに渡る決意をします。カポネがシカゴ行きを決意した1920年には、アルコールの製造・販売を禁止する禁酒法が施行されており、トーリオやカポネが酒の密輸で莫大な富を得るきっかけになりました。
カポネはシチリアマフィアが幅を利かせていたニューヨークに見切りを付け、シカゴに渡る決意をします。カポネがシカゴ行きを決意した1920年には、アルコールの製造・販売を禁止する禁酒法が施行されており、トーリオやカポネが酒の密輸で莫大な富を得るきっかけになりました。
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シカゴに渡る前に当時友人だったシチリア系のマフィア、“ラッキー”チャールズ・ルチアーノ(Charles "Lucky" Luciano)から餞別として2万ドルをもらったと言われています。
ラッキー・ルチアーノは後にシチリア系の犯罪集団、コーサ・ノストラ(La Cosa Nostra)の最高幹部となり、「公共の敵ナンバー1(Public Enemy No. 1)」と呼ばれるほどの大物ギャングに成長します。
公共の敵ナンバー1という呼び名は、当時の大物ギャングに広く使われた名称であり、カポネも後にそう呼ばれることになります。
ラッキー・ルチアーノは後にシチリア系の犯罪集団、コーサ・ノストラ(La Cosa Nostra)の最高幹部となり、「公共の敵ナンバー1(Public Enemy No. 1)」と呼ばれるほどの大物ギャングに成長します。
公共の敵ナンバー1という呼び名は、当時の大物ギャングに広く使われた名称であり、カポネも後にそう呼ばれることになります。
売春宿のポン引き
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シカゴに渡ったカポネは、シカゴのギャング、ジェームズ・"ビッグ・ジム"・コロシモ(James "Big Jim" Colosimo)が仕切っていた売春宿のポン引きとなり、シカゴでの下積み生活を始めました。
コロシモはシカゴを拠点に古くから活動していたギャングであり、売春宿や賭博場の経営でのし上がった古いタイプのギャングです。ダイヤ好きだったことからダイヤモンド・ジム(Diamond Jim)とも呼ばれていました。
シカゴ全体に影響力を有しており、カポネよりも先にシカゴに渡ったトーリオに仕事を提供していたことから、カポネを雇うことになりました。後に新しいタイプのギャングだったトーリオやカポネと対立し、暗殺されることになります。
コロシモはシカゴを拠点に古くから活動していたギャングであり、売春宿や賭博場の経営でのし上がった古いタイプのギャングです。ダイヤ好きだったことからダイヤモンド・ジム(Diamond Jim)とも呼ばれていました。
シカゴ全体に影響力を有しており、カポネよりも先にシカゴに渡ったトーリオに仕事を提供していたことから、カポネを雇うことになりました。後に新しいタイプのギャングだったトーリオやカポネと対立し、暗殺されることになります。
この頃2万5千ドルほどの年収に
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コロシモやトーリオの元で働いたカポネはすぐに頭角を表します。わずか1年で売春宿のポン引きから支配人になり、さらに経営者となって雇われる側から雇う側に出世しました。
この頃の年収は2万5千ドルにもなりました。カポネはシカゴに家を購入し、ブルックリンに住んでいた家族を呼び寄せて裕福な生活を送りました。
この頃の年収は2万5千ドルにもなりました。カポネはシカゴに家を購入し、ブルックリンに住んでいた家族を呼び寄せて裕福な生活を送りました。
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カポネの急速な出世は、一足先にシカゴに渡って成功していた恩師トーリオの存在が大きな理由です。トーリオは、カポネがギャングとしての道を歩む上で大きな道標となりました。
トーリオは新しいタイプのギャングでした。事業を組織化して効率的に運営し、反対する者に対して暴力で訴えることはせず、和解を模索しました。トーリオのこのような手法は、後のカポネの仕事にも影響を与えます。
トーリオは新しいタイプのギャングでした。事業を組織化して効率的に運営し、反対する者に対して暴力で訴えることはせず、和解を模索しました。トーリオのこのような手法は、後のカポネの仕事にも影響を与えます。
暗殺を警戒するように
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暗黒街での成功を手にしたカポネでしたが、この頃になると、自身が暗殺されることを警戒するようになります。きっかけは、ダイオン・オバニオン(Dion "Deanie" O'Banion)というギャングの暗殺に加担したことです。
オバニオンはアイルランド系のギャングであり、後にシカゴを拠点に活動するノースサイトギャング(The North Side Gang)の創設者です。
当時トーリオと並んでシカゴで影響力を持っていたギャングですが、徐々にトーリオ率いるイタリア系ギャングと敵対するようになります。
オバニオンはアイルランド系のギャングであり、後にシカゴを拠点に活動するノースサイトギャング(The North Side Gang)の創設者です。
当時トーリオと並んでシカゴで影響力を持っていたギャングですが、徐々にトーリオ率いるイタリア系ギャングと敵対するようになります。
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1924年にオバニオンは暗殺されます。この暗殺計画には、トーリオやカポネが関わっていたとされています。カポネはオバニオン暗殺に直接的に関与したわけではありませんでしたが、自分も暗殺の対象になりえる立場であることを実感し、恐怖を感じるようになりました。
常にボディーガードを連れて厳重な警備を受けながら行動するようになり、1人でいることはほとんどありませんでした。
常にボディーガードを連れて厳重な警備を受けながら行動するようになり、1人でいることはほとんどありませんでした。
アルカポネ暗殺未遂
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1925年、カポネが恐れていた暗殺計画が実行に移されます。暗殺を企てたのは、後にカポネと熾烈な争いを繰り広げることになるシカゴのギャング、ジョージ・クラレンス・"バグズ"・モラン(George Clarence "Bugs" Moran)です。
モラン一味は、カポネの車をトミーガン(当時のアメリカで広く用いられていた短機関銃)で激しく攻撃しました。車が大破して運転手が負傷しましたが、幸いカポネは車に乗っていなかったため、難を逃れます。
その後、モランはもう一度カポネの暗殺を試みていますが、結局失敗しています。さらに今度はカポネがモランの暗殺を試みるなど、両者の争いが続きました。後に「聖バレンタインデーの虐殺」と呼ばれることになるモラン暗殺計画については、後ほど詳しく解説します。
モラン一味は、カポネの車をトミーガン(当時のアメリカで広く用いられていた短機関銃)で激しく攻撃しました。車が大破して運転手が負傷しましたが、幸いカポネは車に乗っていなかったため、難を逃れます。
その後、モランはもう一度カポネの暗殺を試みていますが、結局失敗しています。さらに今度はカポネがモランの暗殺を試みるなど、両者の争いが続きました。後に「聖バレンタインデーの虐殺」と呼ばれることになるモラン暗殺計画については、後ほど詳しく解説します。
アル・カポネの異名の由来となった事件
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カポネにはさまざまな異名がありますが、最も有名な名前は「スカーフェイス」です。カポネがこの異名で呼ばれるようになるきっかけとなった事件について解説します。
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