2019年6月17日 更新

リクルート事件をわかりやすく解説!加戸守行は冤罪だったのか?

戦後の日本において、最大の汚職事件がリクルート事件。当時の社会背景・複雑な人間関係、加戸守行や森喜朗など多くの政治家が関わり、さらに事件そのものが冤罪だったのではと言われるなど、実に多様な顔を持っています。この日本最大の政治的汚職事件をわかりやすく説明します。

目次

そもそも、未公開株の売買が違法であるか否かが一番の焦点になります。もし違法性がなければ冤罪になるからです。当時のバブル絶頂期には新しく株を公開する企業はとても多く、公開前の株を信頼できる人に渡すのは、証券業界における商慣習のように常識だったと事件当時を知る人は口をそろえて言います。

それが本当なら、江副氏や起訴され有罪になった人も、悪いことをしているという意識はなかったことでしょう。それが、江副氏の裁判で一審が無罪だったにもかかわらず二審で一転して有罪、結局最高裁で有罪が確定します。裁判の内容も検察の主張を鵜呑みにする一方的なものでした。まず逮捕をして、その後に強引に自白させたり罪をでっちあげる、ということがまかり通っているのだとしたら、大問題ではないでしょうか。
Torture Chamber Keller - Free photo on Pixabay (397604)

江副氏は113日拘留された後、2億円の保釈金で保釈されました。しかし、その拘留期間中に、拷問といえるほどの厳しい取り調べを受けたことを、江副氏は著書「リクルート事件 江副浩正の真実」で述べています。

その内容は、まるで戦前の取り調べを彷彿とさせるような違法な取り調べです。江副氏は真剣に自殺も考えたそうです。その内容の一例を挙げると、「裸にされ肛門にガラス棒を突き立てられた・壁ぎりぎりのところに立たされ、ひたすら怒鳴られた・土下座させられた」などです。このような違法ともいえる取り調べで、果たして正しい証言が得られたのか、いささか疑問です。

リクルート事件のその後

Sky Clouds Sun - Free photo on Pixabay (397606)

従来の疑獄事件と異なり、未公開株の譲渡対象が広範で職務権限との関連性が薄かったため、検察当局は大物政治家の立件ができなかった。しかし、ニューリーダー及びネオ・ニューリーダーと呼ばれる大物政治家が軒並み関わっており、これら政治家は“リクルート・パージ”と呼ばれる謹慎を余儀なくされました。

このリクルート事件によって国民は政治家のことを信頼できなくなり、政治不信になってしまう事態となり、政界ではいかに国民に信用されるかというのが重要テーマとなっていきます。

総辞職となる

No Symbol Prohibition Sign - Free vector graphic on Pixabay (397607)

検察首脳会議が開催され、東京地検特捜部は、藤波元長官と池田克也元衆議院議員を受託収賄罪で在宅起訴しました。衆議院予算委員会は、中曽根前首相を証人喚問し、東京地検特捜部は、宮沢前蔵相秘書を含む議員秘書4人を、政治資金規正法違反で略式起訴し、同日捜査終結宣言を行い、6月3日に竹下内閣は総辞職しました。

政治家としては何ら問題になる行為をしたわけではなく、検察の捜査の対象にもなっていませんでした。しかし、腐敗政治の象徴的人物として烙印を押されることになりました。
Hillslope Falling Man - Free vector graphic on Pixabay (397608)

リクルート事件が発覚した翌年、当時の竹下内閣は総辞職に追い込まれました。リクルート事件だけが原因ではなく、消費税の導入や、牛肉・オレンジの輸入自由化なども関係していました。しかし、竹下登氏自身がリクルートコスモス株を譲渡された疑惑があった影響は非常に大きいものでした。

これ以降、自民党の支持率低下が続き、政権交代にまで発展することになりました。ちなみに、総辞職前の内閣支持率は3.9%にまで落ちてしまいました。

青木伊平元竹下登在東京秘書が自殺

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満身創痍で竹下登は、予算委員会において自らのリクルート社関連の政治献金・パーティ券購入の全容を発表しています。1985年から3年間に、リクルート社や関連会社から受け取った政治献金は総額1憶5100万円となり、それらを個別に企業名・金額など詳細に報告したのです。

しかし勝負をかけた釈明も国民には届かず、その後竹下登の報告以外に、秘書の青木伊平名義でリクルート社から5000万借りていたという報道がされました。この借金は単純な貸し借りであり事件性なしと判断されていたものですが、この報道をきっかけに退陣を表明し、退陣表明した翌日、秘書の青木伊平は自殺しました。

自民党の惨敗

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1989年(平成元年)7月の第15回参議院議員通常選挙ではリクルート事件、消費税導入、牛肉・オレンジの農産物自由化が“逆風3点セット”とされ、さらに竹下の後任の宇野宗佑の女性スキャンダルが加わり、東京都議会議員選挙では日本社会党に押され惨敗し、第15回参議院議員通常選挙では自民党結党史上初の参議院過半数割れを招く大敗を喫しました。

その分、野党であった社会党が躍進していくことになります。この頃の社会党は学生運動や連合赤軍のせいでイメージが悪くなっていた時でしたが、この自民党の汚職を激しく追求したことによって参議院通常選挙で大勝。この時当時の社会党の党首であった土井たか子はこの事を言った『山が動いた』が流行語になったりしました。

政局安定のため公明党・民社党との連携を強いられる

People Hands Achievement - Free photo on Pixabay (397619)

選挙後、自民党は政局安定の為に公明党や民社党など野党との連携を強いられる(自公民路線)ことになり、その後も参議院で過半数を得るために自社さ連立、自自公連立、自公連立など他党との連立政権を組むことになります。

自公民路線(じこうみんろせん)とは、いわゆる55年体制において、自由民主党が公明党、民社党の協力により政権運営を行ったことを指します。とはいえ、公民両党は正式に与党入りしたことばかりか、閣外協力したこともなく、55年体制の下では公民は表向きは最後まで野党でした。55年体制が終わったあとも、公明が正式に自民と連立政権を組むのは、非自民・非共産連立政権、自社さ連立政権を経た後の1999年10月になってからであり、この時、民社党は既に存在せず民主党の一部を構成するようになっていました。

リクルート・コスモスは経営危機に陥る

Crash Statistics Chart - Free image on Pixabay (397624)

リクルート社とその関連会社はこの事件でイメージが悪化し、バブル崩壊が追い討ちをかけ経営危機に陥りました。1992年に江副浩正はリクルート株をダイエー(現・イオン)に譲渡してリクルートの経営から身を引いています。ダイエーの系列下に入ったが、ダイエーグループの業績悪化などにより2000年頃に離脱。ダイエーグループ(現在のイオングループ)入りの際、ダイエーは「もの言わぬ株主」に徹する代わりに負債の肩代わりはしない立場をとりました。(ただし、ダイエー本社から中内功を含む数名の役員が送り込まれており、この姿勢こそが現在のリクルートの社風に繋がっているともいえます)。

このため、リクルートはダイエーより来た高木邦夫の下、バブル期の不動産やノンバンク事業の失敗で94年3月期に約1兆4,000億円あった有利子負債を自力で完済。現在はどの企業グループにも属さず、サービス業としての中立性を維持しながら事業展開している大企業となっています。

江副浩正リクルート元会長宅に向けて散弾銃が発砲される

Submachine Gun Rifle Automatic - Free photo on Pixabay (397628)

1988年(昭和63年)8月10日午後7時20分頃に、江副浩正リクルート元会長宅に向けて散弾銃一発が発砲されています。赤報隊が「赤い朝日に何度も広告をだして 金を渡した」と犯行声明を出しました(赤報隊事件)。

「反日朝日や毎日に広告をだす企業があれば 反日企業として処罰する」と企業を標的にした内容も犯行声明には記されていましたが、リクルート社は他紙に比べ、朝日新聞に多く広告を出していたわけではありませんでした。

政治改革が重要なテーマとなる

Change Arrows Clouds - Free image on Pixabay (397630)

政治体制の変更を意味する革命と異なり、政治をより適切に行われるよう既存の政治体制を維持しつつ弊害のある制度の改善を行うことが重要なテーマとなりました。主に政府・与党が自らの施策について呼称することが多いです。

戦後最大の汚職事件によって、政治不信に陥った日本にとって政治改革は必要不可欠なものでした。政治改革四法(せいじかいかくよんほう)は、1994年に日本で成立した、小選挙区比例代表並立制と政党交付金の導入を柱とする政治改革のための法律群である、公職選挙法の一部を改正する法律、衆議院議員選挙区画定審議会設置法、政治資金規正法の一部を改正する法律、政党助成法の総称で、政治不信を解消しようとした結果でした。

選挙制度改革

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