目次
- 百人一首の恋の歌一覧をご紹介
- あしびきの山鳥の尾のしだり尾の…
- 現代語訳
- つくばねの峰よりおつるみなの川…
- 現代語訳
- みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに…
- 現代語訳
- 住の江の岸による波よるさへや…
- 現代語訳
- 難波潟みじかし蘆のふしのまも…
- 現代語訳
- わびぬればいまはたおなじ難波なる…
- 現代語訳
- 今こむといひしばかりに長月の…
- 現代語訳
- 名にし負はば逢坂山のさねかづら…
- 現代語訳
- みかの原わきて流るるいづみ川…
- 現代語訳
- 有明のつれなく見えし別れより…
- 現代語訳
- 忘らるる身をば思はずちかひてし…
- 現代語訳
- 浅芽生の小野の篠原しのぶれど…
- 現代語訳
- しのぶれど色に出でにけり我が恋は…
- 現代語訳
- 恋すてふ我が名はまだき立ちにけり…
- 現代語訳
- ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ…
- 現代語訳
- あひみてののちの心にくらぶれば…
- 現代語訳
- あふことのたえてしなくばなかなかに…
- 現代語訳
- あはれともいふべき人は思ほえで…
- 現代語訳
- 由良のとを渡る舟人かぢをたえ…
- 現代語訳
- 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ…
- 現代語訳
- みかきもり衛士のたく火の夜はもえ…
- 現代語訳
- 君がため惜からざりしいのちさへ…
- 現代語訳
- かくとだにえはやいぶきのさしも草…
- 現代語訳
- あけぬれば暮るるものとは知りながら…
- 現代語訳
- なげきつつひとりぬる夜のあくるまは…
- 現代語訳
- 忘れじのゆく末まではかたければ…
- 現代語訳
- あらざらむこの世のほかの思ひ出に…
- 現代語訳
- ありま山ゐなの笹原風吹けば…
- 現代語訳
- やすらはで寝なましものをさ夜ふけて…
- 現代語訳
- いまはただ思ひ絶えなむとばかりを…
- 現代語訳
- うらみわびほさぬ袖だにあるものを…
- 現代語訳
- 音に聞く高師の浜のあだ波は…
- 現代語訳
- 憂かりける人を初瀬の山おろしよ…
- 現代語訳
- 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の…
- 現代語訳
- 長からむ心もしらず黒髪の…
- 現代語訳
- 思ひわびさてもいのちはあるものを…
- 現代語訳
- 夜もすがら物思ふころは明けやらで…
- 現代語訳
- なげけとて月やは物を思はする…
- 現代語訳
- 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ…
- 現代語訳
- 玉の緒よたえなばたえねながらへば…
- 現代語訳
- 見せばなや雄島のあまの袖だにも…
- 現代語訳
- わが袖は潮干にみえぬ沖の石の…
- 現代語訳
- こぬ人をまつほの浦の夕なぎに…
- 現代語訳
- 百人一首には切ない恋の歌がたくさんある
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「難波潟みじかし蘆のふしのまもあはでこの世をすぐしてよとや」は19番目の歌で伊勢が詠みました。
現代語訳
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現代語訳は「難波潟の入り江に茂っている蘆の短い節と節の間のような短い時間でさえお会いしたいのにそれも叶わずこの世を過ごせとおっしゃるのですか」です。
「難波潟」は難波江のことを言い、大阪市淀川河口付近の海の古称です。「蘆」はイネ科の多年草で奈良時代は難波の蘆が有名でした。
伊勢は平安時代の女性の歌人です。藤原北家真夏流と伊勢守藤原継蔭の娘として872年に生まれました。三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人です。
「難波潟」は難波江のことを言い、大阪市淀川河口付近の海の古称です。「蘆」はイネ科の多年草で奈良時代は難波の蘆が有名でした。
伊勢は平安時代の女性の歌人です。藤原北家真夏流と伊勢守藤原継蔭の娘として872年に生まれました。三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人です。
わびぬればいまはたおなじ難波なる…
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「わびぬればいまはたおなじ難波なる身をつくしてもあはむとぞ思ふ」は20番目の歌で元良親王が詠みました。
現代語訳
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現代語訳は「あなたにお逢いできなくて思いわびながら暮らしていると今は身を捨てたのと同じことです。難波の澪標のようにこの身を捨てても逢いたいと思います」です。
「澪標」は水先案内のために水脈の標識としてさす杭のことで難波の澪標が有名でした。「身を尽くす」に掛けてよく使われる言葉です。
元良親王は平安時代中期の皇族で歌人でした。元良親王は褒子という女性と密通していて、密通が世間に知られてしまった時にこの和歌を褒子へ書き送りました。
「澪標」は水先案内のために水脈の標識としてさす杭のことで難波の澪標が有名でした。「身を尽くす」に掛けてよく使われる言葉です。
元良親王は平安時代中期の皇族で歌人でした。元良親王は褒子という女性と密通していて、密通が世間に知られてしまった時にこの和歌を褒子へ書き送りました。
今こむといひしばかりに長月の…
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「今こむといひしばかりに長月の有明の月をまちいでつるかな」は21番目の歌で素性法師が詠みました。
現代語訳
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現代語訳は「今すぐ行きましょうとあなたがおっしゃったので九月の長い夜の有明の月が出るまで来るかこないか考えながら待ってしまいました」です。
「長月」は九月の名称と夜長の意味を掛けています。「有明」は月が空に残っているうちに夜明けになることで、男が女のもとで一夜を過ごしている時に明るくなったから帰らなければならずつらいという気持ちが託されていましょた。
素性法師は僧正遍昭の息子ですが生まれた年や死んだ年はわかっていません。出家して僧侶となった人物です。
「長月」は九月の名称と夜長の意味を掛けています。「有明」は月が空に残っているうちに夜明けになることで、男が女のもとで一夜を過ごしている時に明るくなったから帰らなければならずつらいという気持ちが託されていましょた。
素性法師は僧正遍昭の息子ですが生まれた年や死んだ年はわかっていません。出家して僧侶となった人物です。
名にし負はば逢坂山のさねかづら…
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「名にし負はば逢坂山のさねかづら人にしられで来るよしもがな」は25番目の歌で三条右大臣が詠みました。
現代語訳
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現代語訳は「逢うという名の逢坂山、さ寝という名のさねかずらがその名に違わぬのであれば逢坂山のさねかずらを手繰り寄せるようにあなたのもとにいく方法を知りたいものです」です。
「逢坂山」は京都府と滋賀県の境にある山で「さねかづら」はモクレン科の常緑蔓草です。「さねかづら」の「さね」には「さ寝」の意味が含まれています。「さ寝」とは異性と共寝することを指します。
三条右大臣は藤原高藤の息子、藤原定方のことで平安時代前期から中期にかけての貴族、歌人です。醍醐天皇の外叔父でもありました。
「逢坂山」は京都府と滋賀県の境にある山で「さねかづら」はモクレン科の常緑蔓草です。「さねかづら」の「さね」には「さ寝」の意味が含まれています。「さ寝」とは異性と共寝することを指します。
三条右大臣は藤原高藤の息子、藤原定方のことで平安時代前期から中期にかけての貴族、歌人です。醍醐天皇の外叔父でもありました。
みかの原わきて流るるいづみ川…
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「みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ」は27番目の歌で中納言兼輔が詠みました。
現代語訳
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現代語訳は「みかの原を湧き出て流れる泉川よ、その人をいつ見たといっては恋しく思ってしまう。本当は一度たりとも見たこともないのに」です。
「みかの原」は山城国の歌枕で現在の京都府相良郡加茂町を指しています。「いづみ川」はみかの原辺りにある木津川の古名であり、「いつみき」と掛けています。
中納言兼輔は藤原兼輔で平安時代中期の公家、歌人です。賀茂川堤に邸宅があったことから堤中納言と号していましたが小倉百人一首では中納言兼輔となっています。
「みかの原」は山城国の歌枕で現在の京都府相良郡加茂町を指しています。「いづみ川」はみかの原辺りにある木津川の古名であり、「いつみき」と掛けています。
中納言兼輔は藤原兼輔で平安時代中期の公家、歌人です。賀茂川堤に邸宅があったことから堤中納言と号していましたが小倉百人一首では中納言兼輔となっています。
有明のつれなく見えし別れより…
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