2019年7月29日 更新

百人一首の恋の歌の一覧!現代語訳をしてみて分かる奥深さとは

百人一首には恋する気持ちを読んだ歌がたくさんあり、100句中43句を恋の歌が占めているほどです。百人一首はそのまま読んでも意味が分からないものが多いので現代語訳にしたものを一覧でご紹介していきます。現代の言葉に訳すと百人一首が身近に感じられますよ。

目次

Caudata Strelitzia Bird Of - Free photo on Pixabay (518088)

「玉の緒よたえなばたえねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」は89番目の歌で式子内親王が詠みました。

現代語訳

Lotus Natural Water - Free photo on Pixabay (518090)

現代語訳は「わたしの命よ、絶えることなら早く絶えてほしい。このまま生きながらえていると耐え忍んでいるわたしの心も弱くなってしまい秘めている思いが人に知られてしまうことになるから」です。

「玉の緒」は命のこと、「忍ぶる」はじっと我慢することです。式子内親王は平安時代末期の皇女、賀茂斎院のことです。後白河天皇の第3皇女でした。

新三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人で、1149年に生まれ1201年に亡くなっています。

見せばなや雄島のあまの袖だにも…

Desperate Sad Depressed - Free photo on Pixabay (518091)

「見せばやな雄島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず」は90番目の歌で殷富門院大輔が詠みました。

現代語訳

Roses Heart Mother'S Day - Free photo on Pixabay (518092)

現代語訳は「あなたにお見せしたいものだ。雄島の海人の袖さえいくら濡れても色は変わらない。なのに血の涙に濡れて色が変わってしまった私の袖を」です。

「雄島」は、陸奥国の歌枕で現在の宮城県松島湾内の島です。雄島の海人の袖は潮に濡れているというのが和歌の世界の通念とされています。

殷富門院大輔は平安時代末期の歌人で父親は藤原信成です。女房三十六歌仙の一人で生まれた年や亡くなった年はわかっていません。

わが袖は潮干にみえぬ沖の石の…

Sunset Sailing Boat - Free photo on Pixabay (518093)

「わが袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそしらねかわくまもなし」は92番目の歌で二条院讃岐が詠みました。

現代語訳

Stones Rocks Pebbles - Free photo on Pixabay (518094)

現代語訳は「わたしの袖は潮が引いたときも水面に見えない沖にあるあの石のように人は知らないでしょうが、恋のために流す涙で乾くひまさえありません」です。

「潮干」は潮水が引くこと、「人こそ知らね」は人は知らないがという意味を表しています。二条院讃岐は平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人です。

父親は源頼政、母親は源斉頼の娘で生まれた年や亡くなった年はわかっていません。女房三十六歌仙の一人です。

こぬ人をまつほの浦の夕なぎに…

Ocean Waves Green - Free photo on Pixabay (518095)

「こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ」は97番目の歌で権中納言定家が詠みました。

現代語訳

Fruit Fruits Salad - Free photo on Pixabay (518097)

現代語訳は「どれほど待っても来ない人を待ち焦がれているのは松帆の浦の夕凪のころに焼かれる藻塩のようにわが身も恋い焦がれて苦しいものだ」です。

「まつほの浦」は淡路島の最北端にある岩屋の西の海辺を指しています。「焼くやもしほ」は焼く藻塩のような、という意味で藻塩は海水からとる塩のことを言います。

権中納言定家は藤原定家のことで鎌倉時代初期の公家、歌人です。小倉百人一首の撰者で権中納言定家を称しています。

百人一首には切ない恋の歌がたくさんある

Asia Ceremony Chinese - Free photo on Pixabay (518098)

百人一首には切ない恋の歌がたくさんあります。娯楽のない時代だったからこそ恋愛に打ち込み、悲しい気持ちや切ない気持ちを和歌で表していました。

現代の言葉に訳すと和歌を詠んだ人の気持ちがとても響きます。改めて百人一首に触れてみると面白いでしょう。

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