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「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかはしる」は53番目の歌で右大将道綱母が詠みました。
現代語訳
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現代語訳は「あなたが来てくださらないことを嘆き哀しみながらひとりで夜をすごす私にとって夜が明けるのがどれほど長く感じられるものかあなたは知っているのでしょうか、いや、知らないでしょう」です。
藤原兼家がやってきた時、門をおそくに開けたところ、「立ちくたびれた」と言われたために詠んだ和歌です。「あくるま」は夜が「明く」と戸を「開く」を掛けています。
右大将道綱母は藤原道綱母のことで平安時代中期の歌人です。「尊卑分脈」には日本で最も美しい女性三人のうちの一人であると書かれていますが真偽は不明です。
藤原兼家がやってきた時、門をおそくに開けたところ、「立ちくたびれた」と言われたために詠んだ和歌です。「あくるま」は夜が「明く」と戸を「開く」を掛けています。
右大将道綱母は藤原道綱母のことで平安時代中期の歌人です。「尊卑分脈」には日本で最も美しい女性三人のうちの一人であると書かれていますが真偽は不明です。
忘れじのゆく末まではかたければ…
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「忘れじのゆく末まではかたければ今日をかぎりのいのちともがな」は54番目の歌で儀同三司母が詠みました。
現代語訳
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現代語訳は「いつまでも忘れまいとすることは遠い将来まではとても難しいものですからいっそのこと今日を最後に私の命が終わって欲しいものです」です。
藤原道隆が儀同三司母のもとへ通い始めた頃に詠んだ和歌です。「かたければ」は男女の契りのはかなさを表していて実際は難しいという意味です。
儀同三司母は高階貴子のことで平安時代の女流歌人で、生まれた年は不明ですが996年に亡くなっています。女房三十六歌仙に数えられました。
藤原道隆が儀同三司母のもとへ通い始めた頃に詠んだ和歌です。「かたければ」は男女の契りのはかなさを表していて実際は難しいという意味です。
儀同三司母は高階貴子のことで平安時代の女流歌人で、生まれた年は不明ですが996年に亡くなっています。女房三十六歌仙に数えられました。
あらざらむこの世のほかの思ひ出に…
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「あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな」は56番目の歌で和泉式部が詠みました。
現代語訳
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現代語訳は「私はもうすぐ死んでしまうことでしょうが私のあの世への思い出になるようにせめてもう一度だけでもあなたにお会いしたいです」です。
気分がいつもとちがって悪かった時に恋人のもとへ送った和歌です。「この世のほか」は来世のこと、「いまひとたび」はもう一度を意味しています。
和泉式部は平安時代中期の歌人で大江雅致の娘です。978年に生まれましたが亡くなった年はわかっていません。中古三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人でした。
気分がいつもとちがって悪かった時に恋人のもとへ送った和歌です。「この世のほか」は来世のこと、「いまひとたび」はもう一度を意味しています。
和泉式部は平安時代中期の歌人で大江雅致の娘です。978年に生まれましたが亡くなった年はわかっていません。中古三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人でした。
ありま山ゐなの笹原風吹けば…
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「ありま山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」は58番目の歌で大弐三位が詠みました。
現代語訳
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現代語訳は「有馬山のふもとにある猪名の笹原に風が吹くと笹の葉がそよそよと鳴りますが、その音のようにどうしてあなたを忘れたりするものでしょうか、いや、けして忘れません」です。
「ありま」は現在の神戸市北区有馬町で六甲山の北にあたります。「ゐなの」は摂津国の歌枕で現在の兵庫県川西市、伊丹市、尼崎市を流れる猪名川流域の野を指しています。
大弐三位は平安中期の女流歌人で母親は紫式部です。本名は藤原賢子と言い、女房三十六歌仙の一人でした。
「ありま」は現在の神戸市北区有馬町で六甲山の北にあたります。「ゐなの」は摂津国の歌枕で現在の兵庫県川西市、伊丹市、尼崎市を流れる猪名川流域の野を指しています。
大弐三位は平安中期の女流歌人で母親は紫式部です。本名は藤原賢子と言い、女房三十六歌仙の一人でした。
やすらはで寝なましものをさ夜ふけて…
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「やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな」は59番目の歌で赤染衛門が詠みました。
現代語訳
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現代語訳は「あなたが来ないと知っていたらさっさと寝てしまえばよかったものをあなたの約束を信じて待っていたら明け方の月が西に傾くまで眺めてしまいました」です。
藤原道隆が作者の姉妹のもとに恋人として通っていましたが、ある日道隆が訪れてこなかったので翌朝に女の代理として詠んだ和歌です。
赤染衛門は平安時代中期の女流歌人で父親は赤染時用です。956年頃生まれて1041年以後に亡くなりました。中古三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人でした。
藤原道隆が作者の姉妹のもとに恋人として通っていましたが、ある日道隆が訪れてこなかったので翌朝に女の代理として詠んだ和歌です。
赤染衛門は平安時代中期の女流歌人で父親は赤染時用です。956年頃生まれて1041年以後に亡くなりました。中古三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人でした。
いまはただ思ひ絶えなむとばかりを…
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