2019年10月5日 更新

自由意志とは?カントやデカルトの自由意志に対する考えについても

自由意志とはどのような存在のことを言うのでしょうか。哲学者のカントやデカルト、アウグスティヌスの考え方を紹介していきます。その他、自由意志がないとする反対の立場の決定論や責任論など、分かりやすく解説していくので参考にしてください。

目次

では、実際アウグスティヌスは自由意志の有無に対してどのような立場を取っているのでしょうか。明確な答えはまだ見つかっていませんが、考えのヒントとなる内容は彼の著作である「告白」や「自由意志論」から見つけ出すことができます。

アウグスティヌスは著書「告白」の中で「若い頃はキリスト教の教義に背いて情欲に負けたり盗みを働いたりした」ということを明言しています。彼によると、この不道徳的な行為の責任は神ではなく人間の自由意志にあるという考え方をしています。

つまり、神が人間を見守っていないから悪い行いをしてしまったのではなく、神が全ての行為や思想を自由を行うことを認めているからこそ悪行を働いてしまった、という考え方をすることも可能です。

自由意志はあっても善悪を判断する知識や能力がない

Justice Right Case-Law - Free image on Pixabay (686706)

では、なぜ神学者として有名になり聖人とまでされているアウグスティヌスが、若い頃とはいえ悪行を働いてしまったのでしょうか。実はそれに関してもアウグスティヌスの「自由意志論」という著作の中に彼なりの見解を発見することができます。

最も望ましい状態であれば、人間は自由意志を持っているため未来が最善になるように適した行動をするでしょう。しかし、人間は自由意志を持っていて自由な思想や行動を許されていますが、残念ながら「どうすれば未来が良くなるのか」ということを判断する知識や能力を持っていません。

そのため、自由意志を持っていながらも目先の欲求や誘惑に負けて悪行を働いてしまうこともあるという考え方をしています。

救いは人間の自由意志ではなく神の自由

Bible Books God - Free photo on Pixabay (686707)

仏教では念仏を唱えることで極楽浄土に行けるという考え方があるように、大半の宗教には悪行を働いても救済措置が用意されています。アウグスティヌスの考え方によれば、その救いは人間の自由意志に基づいた行動ではなく神の愛、すなわち恩寵によって与えられるとされています。

人間は原罪を背負っているため自由意志があっても正しい行いをすることができません。そうした好ましくない状況を回復させることができるのは神だけであると定義しているのがアウグスティヌスの主張になります。

自由意志と対になる決定論

Pen Red Ankreuzen - Free photo on Pixabay (686709)

自由意志に関する三人の哲学者の考え方を紹介してきましたが、自由意志がどのようなものか理解できましたでしょうか。ここでは、さらに自由意志と反対の立場だと言われている決定論についても解説していきます。決定論にはどのような種類があるのか、道徳との関係性なども解説していくので参考にしてください。

あらゆる出来事はあらかじめ決定している

Road Asphalt Sky - Free photo on Pixabay (686710)

突然何らかの事件に遭遇した時や自分でも予期しない結果を出した時に、大半の人は驚いて冷静さを失ってしまうでしょう。それは、人間にとって未来は予測できない可変的なものだからです。

しかし、実は人間が未来を知覚できないだけで既に未来は過去や現在の出来事によって決定されているという考えを「決定論」と言います。この決定論は「因果的決定論」と「確率的決定論」に二分され、どちらも基本的には自由意志の存在をないものとして扱います。

因果的決定論

Clock Alarm Time - Free image on Pixabay (686712)

因果的決定論は、既に過去を含めた現在までの行為によって未来が唯一に決定しているというものです。未来は既に因果律によって支配されているので、現在になってから焦って行動を起こしたからといって簡単に変わるものではないという考え方です。

たとえばずっと勉強をしていなかった人がテスト前日だけ焦って勉強しても全国一位の点数は取れないように、現在だけの人間の行動が未来を決定するものではなく過去も大きく関与しているという考え方になります。

確率的決定論

Cube Random Luck Eye - Free image on Pixabay (686713)

因果的決定論とは違い、確率的決定論の立場では未来は唯一に決まっているものではなく発生する可能性のある未来が数個あり、それらの確率がそれぞれ違っているという考え方を持ちます。

先ほどの例であるならば「ずっと勉強をしていなかった人はほぼ確実に0点を取るが、前日に必死にやれば赤点を取らない可能性が30%くらい出てくる」というように考え、「現在の行動によって70%は追試になってしまうが、30%の確率でその未来を避けることができる」という考え方をするのが確率的決定論です。

道徳と両立しない

Silhouette Lady Justice - Free vector graphic on Pixabay (686714)

哲学における「道徳」というものは「自由に思考できる自由意志を持っている人間が、周りの人の状況などを考慮することで自分自身の利益ばかりを求めない心」を意味することがあります。しかし、決定論は因果的決定論も確率的決定論も既に未来が決まっているとしているので、自由意志を否定しています。

道徳は自由意志の下で発生する考え方ですので、必然的に決定論は因果的であろうと確率的であろうと道徳の存在を否定することになります。ただし、近年では決定論と道徳が両立するという主張も出てきています。

自由意志に関する意見【ニュートン】

Apple Fall Juicy - Free photo on Pixabay (686715)

自由意志に関する知見を述べているのは哲学者ばかりではありません。知らない人はいないくらい有名な物理学者であるニュートンも自由意志に関する意見を述べています。ニュートンが述べた自由意志はどのようなものであったか解説していきます。

物理学者ニュートン

Spherical Ball Joint Newton - Free photo on Pixabay (686717)

物理学者としてのアイザック・ニュートン(1642-1727)はあまりにも有名で知らない人はほとんどいないでしょう。万有引力の法則を発見したことがよく知られていますが、その他にも微積分法など数学の分野でも多大な功績を残した人物です。

物理学者としてとても有名なニュートンですが、他にも数学者や自然哲学者、天文学者、神学者といった複数の顔も持っています。そんな多彩なニュートンは、自由意志に関してどのような意見を持っていたのでしょうか。

この世の全ての物体に関する運動を理論的に説明できる

Tennis Ball Spinning - Free photo on Pixabay (686719)

4 / 8

関連する記事 こんな記事も人気です♪