2019年9月4日 更新

北九州監禁事件の詳細!残忍な犯行手口や松永の生い立ちとは

多くの人々の心を操り、首謀者でありながら自分の手を一切汚さず命を奪っていった松永。北九州監禁事件は、信頼し合った家族内で殺し合った特殊事件なのです。この記事では、北九州監禁事件の詳細と、松永太の生い立ちやその後の様子について詳しくご紹介していきましょう。

目次

大人たちを次々に殺害したため、妹夫婦の幼い2人の子供を持て余すようになります。そこで松永太は、「大人になったら復讐する可能性が高い」と緒方純子に伝え、殺害をほのめかしました。生きていても虐待され続けるだけと考えた緒方純子も、その意見に同意し、妹夫婦の長男を殺害することを決意します。

当初、緒方純子のみで殺害しようとしますが、松永太の指示によって、姉であり緒方純子の姪も、殺害に加担させられました。幼く、虐待によって衰弱していた弟は、それほど激しい抵抗を見ず殺害されます。

1998年6月純子の姪が死亡

Boy Girl Brother - Free photo on Pixabay (605571)

松永太は、続いて妹夫婦の長女の殺害を決定します。殺害に向けて、食事の回数を減らし、虐待によって弱らせていきました。殺害当時、10歳だった姪は2歳児が着用するオムツを履けるほど、やせ細っていたといいます。

1998年6月、自身が殺されることを察知した姪は、弟の遺体のそばに横たわり、抵抗せず目をつむりました。緒方純子によって電気コードで絞殺されたのですが、その際、コードが巻きやすいように自ら首を持ちあげたとも言われています。

2002年北九州市小倉北区で17歳少女が一室から逃げだした

Statue Human Movement - Free photo on Pixabay (605573)

緒方純子の家族を全て殺害した後、松永太は緒方純子の殺害を計画します。「お前たちがいなければ真っ当に生きていける」「虎谷の娘と生きていける」などと発言し、緒方純子と自身の間に誕生した息子2人で心中するように指示しました。

しかし、松永太によって緒方純子の悪口を聞かされていた息子2人は、緒方純子に従わず、この計画は成功しませんでした。その後、金策に困るようになった松永太と緒方純子は、再び詐欺行為を行いますが、これは被害届が提出されず、刑事事件として扱われていません。

2002年3月、これまで優遇されていた虎谷の娘が、共同生活を送るマンションから逃走し、事件がようやく明るみになります。

少女に助けを求められた祖父母は門司警察署へ

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共同生活を送るマンションから逃げ出した虎谷の娘は、これまでにも金銭を受け取るため、祖父母に接触していました。その際、助けを求めたこともあったのですが、松永太の交際相手の一人であり、殺害された虎谷久美雄の姉に妨害され度々失敗しています。

逃走未遂を知られた虎谷の娘は、松永太や緒方純子に激しい虐待を受けました。虎谷の娘が松永太の寵愛を受けていると勘違いしていた緒方純子は、より激しい虐待を行います。ペンチを渡し、5分以内に爪を剥げと命令するなど、過激さは増していきました。

こうした生活に耐えられなくなった虎谷の娘は、接触した際祖父母にメモを渡します。そのメモがきっかけで、祖父母は少女を保護し、門司警察署へ向かいました。

当初監禁致傷と考えられたが連続殺人事件だった

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門司警察署は当初、監禁致傷事件だと考えます。虎谷の娘1人が監禁され、虐待されていたと考えました。2002年3月7日、松永太と緒方純子は、監禁致傷容疑で逮捕されます。2人は黙秘を続けましたし、持っていた身分証も偽造だったことから、事件の解明が難航しました。

しかし、救出された虎谷の娘が、多くの人々が殺害されたと証言し、殺人事件として捜査が始まります。遺体は細かく処理されていたため、物的証拠が乏しく、また少女が一定の殺人しか見ていなかったため、捜査は難航しました。

残忍な犯行手口

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松永太は、緒方純子の家族のみならず、多くの人々を言いくるめ、自分に従わせていきました。また、北九州監禁事件で行われた残忍な虐待によって判断力を奪い、殺人や遺体損壊などの犯罪行為にも加担させていきます。

ここからは、松永太が行った残忍な犯行手口、虐待方法についてご紹介していきましょう。どのようにして、人々が心を奪われ、身内にまで手をかけていったのか知ることができます。

預かった少女に父親から性的虐待を受けたという嘘の証言をさせる

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北九州監禁事件では、複数の親から子供を預かっています。その理由は、親をコントロールしやすくするためでしょう。そして、子供を好きに教育し、今後に役立てようと思っていたからです。

虎谷久美雄から預かった娘に、松永太は父親から性的虐待を受けたという、嘘の証言をさせました。父親に衝撃を与えることができますし、娘自身にも「嘘をついて親を傷つけた」という負の感情を抱かせ、コントロールしやすくなります。

この虐待方法について、嘘をつかせるという他愛もない行動に感じる人もいるでしょう。しかし、本来は感じる必要のない罪悪感を与え、自尊心を低下させる精神的虐待といえるのです。

通電

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松永太が頻繁に行った虐待方法は、通電です。裸にした電気コードの先にクリップを付け、それらを身体のあらゆる部分に装着させ、電気を流しました。この方法は、以前経営していた会社に所属していた工業高校卒業の従業員が、遊びで用いた方法を応用したと言われています。

数秒通電が行われるだけで、クリップを付けられた場所は火傷を起こし、目の前が真っ白になりました。通電は、性器にたいしても行われましたし、複数人同時に行う場合もあったようです。

文書

Business Signature Contract - Free photo on Pixabay (605580)

松永太は、言葉巧みに相手の弱みを聞き出しました。その内容を、本人に書かせ、多くの文書を残すという虐待も行っています。この虐待によって、相手は松永太に反抗できなくなりますし、逮捕された際の恐怖心も感じさせることができたのです。

また、松永太は、実際の裁判でもこれらの文書を証拠として提出しています。自身に罪はなく、それぞれが自主的に犯行に及んだという証拠です。

被害者が書き残したこれらの文書には、「自主的に書いた」「穏やかな気持ちで書いた」などの不自然な文言が記載されており、松永太が先々を見据えて書かせていたこともうかがえます。

常に蹲踞の姿勢をとらせる

Sumo Wrestler Silhouette - Free vector graphic on Pixabay (605581)

松永太は、共同生活をおくっていた人々に、常に蹲踞の姿勢をとらせ続けました。蹲踞の姿勢とは、膝を折りたて腰を落とした姿勢です。相撲の試合直前に、相手と向き合って腰を下ろす姿勢に似ています。

通電する際や、話を聞かせる時など、この姿勢を強要しました。蹲踞という姿勢は、相手への敬意を示す姿勢とも言われているため、自身にたいする敬意を強要していたとも考えられます。また、蹲踞の姿勢をとらせることで、突発的な反撃を受けづらくするという狙いもあったようです。

衣服の制限

Blue Jeans Belts Belt Buckle - Free photo on Pixabay (605584)

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