2019年9月4日 更新

北九州監禁事件の詳細!残忍な犯行手口や松永の生い立ちとは

多くの人々の心を操り、首謀者でありながら自分の手を一切汚さず命を奪っていった松永。北九州監禁事件は、信頼し合った家族内で殺し合った特殊事件なのです。この記事では、北九州監禁事件の詳細と、松永太の生い立ちやその後の様子について詳しくご紹介していきましょう。

目次

父親から会社を引き継いだ翌年の1982年、松永太は有限会社を設立します。自宅を訪問し、布団を売る会社です。この時販売していた布団は、非常に粗悪品で、詐欺まがいな商売だったと言われています。

この時期から、人を騙し金銭を搾取するという北九州監禁事件を彷彿とさせる姿が見られ始めました。幼少期から得意としていた人を言いくるめたり、信じ込ませる話術を使い、ある程度の金銭を手に入れます。それらの金銭は、妻子にわたることなく松永太が使い続けました。

複数の女性と不倫関係を持つ

Infidelity Love Affair - Free photo on Pixabay (605624)

妻子を持つ身でありながら、松永太は複数人の女性と不倫関係を持ちます。好みの女性が現れると、その女性を信じ込ませるために、多くの嘘を重ねました。時には、自身の身分を偽り、それを信じ込ませるために、妻の手も借ります。

ミュージシャンだと信じ込ませるために、ライブハウスで実際にライブを行ったこともありました。また、交際女性の母親とも性的関係を持つ場合もあったようです。さらに、それらの性行為を写真撮影し、残していたとも言われています。

緒方純子も不倫相手の1人

Pair Autumn Evening Sun - Free photo on Pixabay (605629)

緒方純子は、複数人いる松永太の不倫相手の1人でした。2人が不倫関係に陥ったのは、松永太から来た突然の電話です。たった1本の電話から接点を持つようになり、緒方純子が悩みを相談したことがきっかけで、不倫関係となりました。

緒方純子は、松永太に妻がいたことも、複数人の愛人がいたことも知っています。それでも、恋愛経験が乏しかった緒方純子は、松永太にのめり込んでいきました。妻がおり、緒方純子と交際していながら、松永太はその母親や妹とも性的関係を持ちはじめます。

1985年自社ビルを設立

Urban Sky Buildings - Free photo on Pixabay (605631)

松永太は、布団販売を行う会社の他に、闇金業も営んでいました。しかし、当時どちらもそれほど上手くいってはいなかったようです。経営不振だったにもかかわらず、松永太は1985年自社ビルを設立します。

実父や祖父の反対を押し切り、銀行から約5,000万円の融資を受け、自社ビルを設立しました。さらに、この資金を使い、実家を改装します。自宅を改装した理由は、誰かを監禁しようとしたわけではありません。

より魅力的に見えるように変え、これから先、騙す女性たちに信用させやすくしたと考えられます。改装後は、実家に住んでいた両親を追い出し、自らそこに住み続けました。

1992年指名手配

Squad Car Police Lights - Free photo on Pixabay (605633)

改装された自宅は、布団販売業の事務所でもありました。事務所内では、従業員への暴力や過激なノルマ指示などが出され続けます。また、従業員の一部を住み込みで働かせ、北九州監禁事件で見られたような体罰も行われました。

この時、松永太はしきりに「犯罪を犯しても自白しなければいい」「物証を残さなければ大丈夫」と口にしています。こういった持論から、北九州監禁事件では遺体を細かく処理し、被害者たちの言動を残しておいたのでしょう。

前妻と離婚

Breakup Divorce Separation - Free photo on Pixabay (605634)

1992年、松永太は指名手配となります。容疑は、販売していた布団に関する詐欺容疑と、従業員に対する脅迫容疑です。松永太は、結婚詐欺も行っていたため、それらの罪も合わせて指名手配となりました。

指名手配となった松永太は、結婚していた「じゅんこ」と離婚します。そして、不倫相手の一人であった緒方純子と共に、逃亡生活をおくるようになりました。経営していた会社は破綻し、多額の借金からも逃れるため、石川県へと逃亡します。

1993年緒方純子との間に子どもを授かる

People Baby Bear - Free photo on Pixabay (605636)

前妻と離婚した松永太でしたが、緒方純子と入籍することはありませんでした。逃亡生活では、金に困ると女性を騙し、金銭を受け取り、それらが露見しそうになったところで身を隠すといった行為を、繰り返します。こうした逃亡生活を送っていた1993年、緒方純子との間に長男が誕生しました。

誕生した我が子を思い真面目に働くわけでもなく、産まれたばかりの我が子を可愛がるわけでもなく、自身の欲望を満たすためだけの逃亡生活を続けます。

1996年緒方純子との間に次男を授かる

Hand Baby Child - Free photo on Pixabay (605637)

北九州監禁事件の被害者である虎谷久美雄が死亡した直後、緒方純子との間に、次男が誕生します。長男と同じく、全く愛情を向けられず、当時松永太が管理していた別のマンションで不適切に育てられました。

1週間に数回食事を運び込み、その後は放置するといった生活です。時々、一緒に入浴することもあったようなのですが、その際は、母親である緒方純子の悪口を吹き込んだり、浴槽に頭を押し込むなどの虐待を行っていました。

松永太が演じたエリートたち

Tie Necktie Adjust - Free photo on Pixabay (605638)

松永太は、北九州監禁事件やそれ以前に起こした事件でも、多くの人々を騙し洗脳していきました。松永が人々を洗脳する際に使ったのが、エリートという肩書きです。実際の経歴は、決してエリートと呼ばれるものではありませんでした。

しかし、外見や発言を完璧にし、エリートを演じることによって多くの人々の信頼を得ていきます。ここからは、松永太が実際になりすましたエリートの肩書と、なぜ多くの人々がそれらの肩書に惹かれていったのか理由も解説していきましょう。

東大卒のコンピューター技師

Office Home Creative - Free photo on Pixabay (605640)

松永は、エリートになりすます際、「東京大学卒業」という肩書を頻繁に使用しました。その中の一つが、東大卒のコンピューター技師です。時には、東大卒の地方銀行支店長などと名乗ることもありました。

東京大学と呼ばれる大学は、日本人なら誰でも知っている超難関名門校であり、日常生活で在籍者や卒業生に出くわすことはそれほど多くありません。「東大」という大きな信頼と、嘘がバレるリスクが少なかったことから、松永は頻繁にこの肩書きを使用していたと考えられます。

京大卒の予備校講師

Open Book Library Education - Free photo on Pixabay (605642)

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