2019年9月4日 更新

北九州監禁事件の詳細!残忍な犯行手口や松永の生い立ちとは

多くの人々の心を操り、首謀者でありながら自分の手を一切汚さず命を奪っていった松永。北九州監禁事件は、信頼し合った家族内で殺し合った特殊事件なのです。この記事では、北九州監禁事件の詳細と、松永太の生い立ちやその後の様子について詳しくご紹介していきましょう。

目次

松永太との共同生活には、多くのルールが存在していました。住人達は、衣服も制限されるようになります。与えられた衣服は、どれも薄く、防寒にならないものがほとんどでした。それらは徐々にエスカレートし、下着姿のままであったり、上半身にガムテープを貼るのみという格好に変わっていきます。

衣服が徐々に簡易的なものになった理由は、被害者の自尊心を奪うためです。他にも、衣服の洗濯や殺害後の処理を省くためだったとも言われています。

体育座りで眠らせる

Boy Child Sad - Free photo on Pixabay (605587)

人間は、十分な休息が与えられないと、正常な判断能力や思考力を失うと言われています。松永太は、住民たちを体育座りで眠らせ、十分な休息を与えませんでした。こういった虐待によって、緒方純子の父親は疲労により交通事故を起こしています。

住民たちを体育座りで眠らせた理由は、もちろん判断能力を奪い、自身への抵抗力をなくすためです。松永太は、自分だけがより良い環境で生活できるように、人間の仕組みをよく理解した虐待を加えていきました。

食事は1日に2回

Coffee Cup Plate Table - Free photo on Pixabay (605589)

松永太は、食事のルールも設けていました。食事の内容は、それぞれの階級によって異なります。階級とは、住民たちをランク付けしたものです。松永太に従順な姿勢を見せればランクが上がり、少しでも気に障るような言動が見られると、すぐにランクを落とされました。

ランクが高い住民は、白米に卵やラードを乗せた食事が出され、食パンの耳、具のないラーメンなど、簡易的で粗悪なものではあったものの、人間が口にする食事が出されます。しかし、ランクが低い住民は、人間が口にしないものが出され、それを必ず13分で完食しなければなりませんでした。

シャワーは水

Shower Douche Bathroom - Free photo on Pixabay (605592)

松永太との共同生活では、そもそも入浴がほとんど許されていませんでした。なぜなら、浴室には、何らかの罰として監禁された人物がいたからです。時には、発狂し錯乱した人物も、閉じ込められていました。稀に許されたシャワーであっても、お湯を使うことは許されません。

松永太と緒方純子の息子たちは、松永が管理していた別のマンションの一室で生活していたものの、自分たちではお湯の使い方が分からなかったため、終始水で身体を洗い流していたようです。

大便を食べさせられる

Auschwitz Concentration Camp - Free photo on Pixabay (605594)

松永太は、住民に大便や小便を食べさせることもありました。この行為は、何かしらの罰則ではなく、日常的に行われていたのです。階級が最も低い人間は、食事として自ら排泄したものや、他住民が排泄したものを食べさせられました。

排泄物の処理ができ、食べ物の用意も不要だったためと考えられています。この頃、住民の排泄物を排水溝に流すという行為によって、近隣住民から苦情が届くようになっていました。それらの対策として、こういった手法を積極的に取り入れていたと考えられるでしょう。

娘に父親を虐待させた

Girl Father Portrait - Free photo on Pixabay (605595)

北九州監禁事件で、松永太はほとんど自ら手を汚すことはありませんでした。住民の虐待は、他住民に行わせ、自分はそれを眺めます。虎谷久美雄を虐待する際は、娘に命令し実行させましたし、緒方純子の父親を虐待する際は、緒方純子本人やその妹に実行させました。

また、性的虐待も住民同士で実行させます。松永太は、緒方純子の妹の夫と、その娘や義母と性行為をさせ、それらを動画や写真に収めました。自身は、緒方純子やその妹、虎谷久美雄の娘と頻繁に性行為を行います。

遺体処理

Detective Crime Scene Dagger - Free photo on Pixabay (605596)

通電や食事制限等による衰弱によって死亡者が出ると、それらを解体するのは他の住民である家族たちでした。殺害に加担したのは住民全てであり、これらが世間や警察に露見すると人生が終わると脅し、遺体処理に積極的に参加させたのです。

遺体処理の具体的な方法は、松永太が指示し、それらを実行に移すのは家族でした。当初は、泣きながら遺体処理を行っていましたが、数体処理するうちに、淡々と作業できるようになっていったということです。

嘘を吹き込み家族同士で争わせた

Sculpture Bronze The Listening - Free photo on Pixabay (605597)

どれほど弱ってたとしても、住民が結束して反抗してきては松永太は太刀打ちできません。そのため、家族同士を競わせ敵視させるように仕向けます。それぞれに、嘘の情報を吹き込み、憎しみを抱かせるように仕向けたのです。

この時用いた嘘は、「妹に肉体関係を迫られている」「母親と肉体関係を持っている」などでした。また、誰かを陥れる発言をした者を高く評価し、階級を上げる等の報酬を与えるようにしました。

そのため、住民自ら嘘の情報を流すようになり、家族の溝は自然により深くなっていきます。

松永は手を下さず殺害するように仕向けた

Hand Table Cloth Crime Black And - Free photo on Pixabay (605600)

北九州監禁事件では、松永太は殺人行為に一切参加しなかったとも言われています。実質、指示を出していたのは松永ですが、それに従い殺人を犯したのは他住民でした。

松永太は、住民の心を操り殺人や犯罪行為を行わせた後、それらをネタにさらに従わせるという手法を用いたのです。命令されたとしても、手を下したのは自分だという負い目から、住民たちは松永太に従順に従い続けました。他住民が殺人を犯している最中、松永は別の女性と性行為を繰り返していることもあったようです。

松永太と緒方純子の出会い

Pair Romance Love - Free photo on Pixabay (605603)

松永太と緒方純子は、同じ学校に通っていました。しかし、学生時代はほとんど面識がなく、松永太と出会うまで緒方純子は慎ましく真面目に暮らしていたのです。2人の出会いは、緒方純子が短期大学を卒業し、幼稚園の先生として勤務しだしてから約半年後でした。

緒方純子に突然、松永太から連絡が入ります。松永太は、学生時代の卒業アルバムを開き、片っ端から電話をかけていきました。その電話に出たのが、緒方純子だったのです。連絡を取り合うようになってから程なくして、2人は交際するようになります。

しかし、当時の松永太は別の女性と結婚していたため、不倫という関係性でした。

松永太の生い立ち

Father And Son Walking Love - Free photo on Pixabay (605604)

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