2019年9月4日 更新

北九州監禁事件の詳細!残忍な犯行手口や松永の生い立ちとは

多くの人々の心を操り、首謀者でありながら自分の手を一切汚さず命を奪っていった松永。北九州監禁事件は、信頼し合った家族内で殺し合った特殊事件なのです。この記事では、北九州監禁事件の詳細と、松永太の生い立ちやその後の様子について詳しくご紹介していきましょう。

目次

松永太は、虎谷久美雄への暴力、脅迫行為を加速させていきます。当時、虎谷久美雄は保険外交員の女性と同棲していましたが別れさせ、職場も退職させました。社宅を引き払った虎谷久美雄は、松永太が管理していたマンションに引っ越し、娘と共に暮らすようになります。

ここでも、連日松永太から暴力を振るわれ続けました。しかし、虎谷久美雄は反抗的な態度を一切見せず、当時次男を妊娠中であった緒方純子の体調を気遣うなど最後まで他者に優しく接します。

1996年2月26日、日ごろから満足に食事を与えず、暴力行為を繰り返されていたことによって衰弱していた虎谷久美雄は、死亡しました。死因は、衰弱死と言われています。

娘に父親を殺したと思い込ませ奴隷化する

Chains Feet Sand - Free photo on Pixabay (605541)

松永太は、虎谷久美雄にたいする暴力行為を、娘にも強要していました。松永太の指示に従わないと、自身がさらに酷い扱いを受けるため、娘は父親に暴力を振るいます。

松永太は虎谷久美雄が死亡した時、その全てを娘の行いのせいだと思い込ませました。父親を殺害したのは自分であると思い込ませることで、逃亡や通報を避ける狙いがあったのです。また、自身にもこれまで以上に、従順に従うようにする狙いもありました。

さらに念を押すように、父親の体に歯形が付くほど嚙り付かせ、その写真を撮り、「父親を殺害したのは自分である」と書面に残させます。

虎谷の遺体を娘と緒方に命じる

Knife Stabbing Stab - Free photo on Pixabay (605543)

共同生活を始めて約1年4か月で、虎谷久美雄は死亡します。享年34歳でした。死亡した虎谷久美雄の遺体について、処理を緒方純子と虎谷久美雄の娘に命令します。遺体の処理方法としては、全身をバラバラに解体し、さらに細かく刻んで少しずつ捨てさせました。

また、より細かく小さくするために、肉片を鍋で煮込むなどもします。この時の解体の様子について、のちに松永太は「魚料理を応用した」「佃煮を作る要領でやった」と語っていました。

緒方一家を使い緒方純子を再度拘束

Chainlink Fence Metal - Free photo on Pixabay (605547)

虎谷久美雄が死亡し、まとまった金銭が工面できなくなったことから、松永太や緒方純子の生活は苦しくなっていきました。緒方純子の母親に度々連絡し、送金をしてもらっていたものの、その母親の金も尽きたため、さらに苦しくなります。この頃、松永太は純子に、資金を作るように命令しました。

親族や家族から金銭の援助が望めないと考えた緒方純子は、内緒で湯布院のスナックで働き始めます。この行動に、緒方純子は逃げだしたと感じた松永太は、緒方純子の家族にあることない事を吹き込みました。「純子は男性を殺害し解体した」「女性を海に落として殺害した」などです。

松永太は家族に嘘の情報を与え、金銭の用意をさせ再び緒方純子を室内に拘束しました。

緒方純子への激しい虐待が始まる

Hand Faust Violent - Free photo on Pixabay (605548)

松永太は、緒方純子の家族に娘は殺人犯だということを信じ込ませました。信じきった緒方純子の家族は、松永太たちが共同生活を送るマンションに訪れ、緒方純子を呼び戻す作戦に加担します。

その作戦とは、松永太が自殺したというものです。葬儀を捏造するなど、非常に手の込んだものでした。葬儀場に現れ、悲しみに暮れる緒方純子の前に松永太が現れ、そこから激しい暴力が始まります。この時の暴力は、緒方純子の意識がなくなるほど、激しい虐待だったということです。

松永の嘘を信じた緒方一家は松永の奴隷となっていく

Shackles Eyelet Fixing Rope - Free photo on Pixabay (605557)

共同生活を送るマンションを訪れた緒方純子の家族は、緒方純子の父親と母親、そして妹とその夫です。松永太は、その4人にさらに嘘を吹き込み続け、信じ込ませていきました。世間体を気にしていた緒方の家族は、世間にそれらが露見しないよう松永太に従っていきます。

松永太は従順に従い始める家族を、奴隷のように扱っていきました。食事や衣服を矯正したり、無言のまま1日中窮屈な姿勢をとらせ続けるなど、さらに自尊心を奪っていきます。

1997年12月純子の父親が死亡

Old Closeup People - Free photo on Pixabay (605563)

緒方純子の家族は、それぞれ仕事を持っていました。そのため、これまで通り仕事を行い、長い時間をかけて共同生活を送るマンションに帰宅する生活を送ります。緒方家の睡眠時間は徐々に減り、衰弱するようになりましたが、それでもこの生活を続けました。

1997年12月、共同生活の疲労と、繰り返される虐待行為によって、緒方純子の父親が死亡します。死因は、心臓部に行われた通電によるショック死でした。通電したのは、松永太に指示された娘の緒方純子です。

1998年1月純子の母親が死亡

Knit Sew Girl - Free photo on Pixabay (605564)

緒方純子の父親の遺体は、緒方純子と母親、純子の妹夫婦とその子供の5人にやらせ、松永太は一切手を汚すことはありませんでした。緒方純子の父親の死後、松永太の標的は緒方純子の母親となります。父親を殺した通電を、何度も行うようになりました。

繰り返し通電されていたある日、母親は奇声を上げるようになり、食事も拒むようになりました。異常を感じた松永太は、母親を浴室に閉じ込め、緒方純子の妹夫婦に殺害を指示します。殺害後は、妹家族と、緒方純子で解体させました。

1998年2月純子の妹が死亡

Sisters Summer Child - Free photo on Pixabay (605567)

緒方純子の母親という虐待先を失くした松永太は、次に緒方純子の妹に目を付けます。緒方純子の妹と松永太は肉体関係があったものの、そういった事情を一切気にすることなく妹の夫に殺害を命令しました。

この時、緒方純子の妹は松永太の子供を妊娠していたため、それらを隠す意味があったのではないかとも言われています。妹殺害時、姉の純子が足を押さえ、夫が電気コードを使い絞殺しました。「嫁まで殺してしまった」と、夫は泣き崩れたようです。

1998年4月純子の妹の夫が死亡

Police Cop Uniforms - Free photo on Pixabay (605568)

緒方純子の妹を殺害した際の態度から、松永太は妹の夫を殺害することを決意します。自身への反発や、自首の恐れを感じたのでしょう。元警察官だった妹の夫は、体格も良く体力もあったため、徐々に弱らせる方法をとりました。

食事の回数を減らし、日常的に通電やその他虐待行為を繰り返します。次第に夫は痩せ衰え、水も飲めない状態となりました。その状態で浴室に閉じ込め、眠気覚ましと偽り、酒を飲ませます。その1週間後の1998年4月、妹の夫は死亡しました。

遺体の処理は、妹夫婦の娘と、緒方純子にやらせます。

1998年5月純子の甥が死亡

Child Family Love - Free photo on Pixabay (605570)

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