2019年7月15日 更新

レッサーパンダ帽男殺人事件の概要と経緯!山口誠の生い立ちとその後

レッサーパンダの帽子を被った男が、浅草で女子短大生を刺殺したという衝撃の事件。男の異様な姿から、マスコミはセンセーショナルに騒ぎ立てようとしましたが、犯人が知的障害者だと判明すると報道は失速しました。今回は、犯人「山口誠」の生い立ちと、事件の概要を紹介します。

目次

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山口の父親も、山口誠が浅草で事件を起こしたことがきっかけで、軽度の知的障害者と判明した人です。事件当時、父親の年齢は56歳。それまでの人生で、自分が軽度の知的障害者とは自覚していませんでした。

父親が27歳の時、長男として山口誠が誕生しています。その頃は実家にて暮らしていたようですが、誠が生まれた後に母方の実家に転がり込み、義母や義兄夫婦と同居生活をしていました。父親は仕事が続かず、2ケ月程営林署で勤めた後、印刷会社を転々としており、その上、パチンコ狂いで、給料のほとんどを使ってしまう男だったのです。

義母の死をきっかけに、山口家はアパートに引っ越しました。ようやく家族水入らずになった生活ですが、父親は何故か誠には暴力を度々振るっていたようで、誠は父親に怯えていたと言われています。その為、山口誠の放浪癖は、自宅で父と顔を合わせたく無かったことが理由だと考えられるでしょう。父親は現在、障害者年金を貰い、1人で暮らしているようです。

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母親は、23歳の時に第一子として誠を出産しました。母親がどのような性格だったかは不明ですが、父親がパチンコで給料を使いこんでしまう為、パート勤めをして家計を支えていたようです。

25歳で次男、27歳で長女を出産していますが、自分の実家に住んでいた内は、多少の援助や育児の協力もあったでしょう。しかし、誠が小学3年生になった頃、母親の実母(誠にとっての祖母)が亡くなった為、山口一家は先程述べたように、近くのアパートに引っ越すことになりました。

独立しても夫のパチンコ狂いは治まらず、母親は3人の子を抱えて必死に働きます。その無理が祟ったのか、母親は誠が17歳の時、白血病で40歳という若さでこの世を去りました。母亡き後から、誠の家出や放浪癖が始まったということが判明しています。

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山口誠には4歳下の妹がいました。この妹は、浅草事件の被害者とは別に、山口誠と父親によって不幸に巻き込まれていったもう1人の被害者と言えるでしょう。

のちに詳しく紹介しますが、妹の不幸な人生は、皮肉にも兄が起こした殺人事件がきっかけで判明したのです。妹は母亡き後、家計を支える為に進学を諦めて働き続けていました。

不幸にも、身体中に腫瘍が出来る難病に掛かり、25歳の若さでこの世を去りました。死ぬ少し前に保護された時、「何一つ楽しいことが無い人生だった」と妹は話していることからも、どれほど辛い人生を過ごしていたのかが窺えます。

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山口誠には2歳下の弟もいます。さすが要領のいい次男と言いましょうか、これだけ負のスパイラルの大きい家庭の中で、唯一抜け出せた人です。

事件後も誠が障害者だったこともあり、マスコミの追従を上手く逃れられたのでしょうか?弟の詳細はほとんど分かっていません。

噂では、早くに就職して家を出て、結婚していると言われていますが、今現在弟が何処で何をしているのかは不明です。もし子供がいるのであれば、何とか負のスパイラルを引き継がず、幸せに暮らしていて欲しいものです。

レッサーパンダの帽子は函館で購入

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山口誠の異常性を際立たせたのは、レッサーパンダの帽子です。この帽子は、目も耳も付いていて、小さい子供が被るようなぬいぐるみ風の帽子です。逮捕された後の供述で、「昔猫を買っていて動物が好きだ」「この帽子は犬に似ているので買い、毎日一緒に寝ている」と答えていることから、友達のような感覚を持っていたのかもしれません。

函館で事件を起こす前にこの帽子を購入したと話しているので、1994年(平成6年)の7月頃に購入したということになります。いくら北海道だからと言っても、季節は初夏から夏なので、例え可愛らしい子供や女性が被っていても、少し違和感があるものを、180cmの大男が被っていたのですから、その異常性は誰しもが感じることでしょう。

事件を起こす1ケ月程前、2001年(平成13年)3月頃に、山口誠は東京上野のカプセルホテルに宿泊した際、この帽子を被っていたようです。その時従業員は、何故か帽子を笑ってはいけないと思い、「可愛い帽子ですね」と声を掛けると、山口は嬉しそうに帽子を見せてくれたと言います。

事件前後の動き・事件の経緯

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山口誠の生い立ちや、性格などが分かったところで、改めて浅草での事件を探っていきましょう。山口誠が、たまたま出逢った小川真由子さんを何故殺害してしまったのか、未だにハッキリとした原因は分かっていません。

事件について、小川さんの叔父は地雷に例えています。たまたま姪である真由子さんが、地雷を踏んでしまったのだと。これは事故でも、運命だとも思いたくないと取材に答えました。地雷なら取り除けばいいということです。人権問題が過熱している現代では、健常者やいわゆる普通の人達が、大きな声を上げることは出来ません。

その為叔父は、遠回しに知的障害者の隔離を求めたのです。大切な身内を殺されて、それを望まない人はいないでしょう。もし自分がその立場だったらということを考えつつ、障害者と健常者の偏りなく向き合わねばいけません。ここではそのようなことを考える為にも、山口の事件前後の動きや、事件の詳しい経緯を辿っていきます。

凶器は4月に浅草雷門付近で購入

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山口が無銭飲食で捕まり、青森刑務所で刑期を終えて出所したのは、2001年(平成13年)1月です。またしても、刑期満了ではなく、1か月の刑期を残したまま仮釈放されていました。

釈放された山口は、青森から函館へと向かいましたが、自宅には帰らず行方不明になっています。この時は、捜索願いを家族が出しており、2月に上野署で保護され、山口は自宅に連れ戻されました。しかし、その後すぐに、父との同居に耐え切れなくなったのか、またしても山口は家出をしたのです。

事件直前の2001年(平成13年)4月1日(日)に再び家を出た山口は、室蘭からフェリーに乗り、茨城から東京へとJRやバスを使って移動して、4月3日(火)に東京上野へ到着しました。その頃山口は、凶器となった包丁を、浅草の雷門付近で購入したと供述しています。

4月26日・27日に50代男性を殴る

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上京して購入した包丁は、「人を脅かす為と自分の身を守る為に買った」と山口が供述していますが、彼は上京後しばらくは、雷門付近や上野周辺の公園で、野宿などして大人しく過ごしていたようです。

しかし、事件の4日程前になって、山口は急に荒ぶった行動を目撃されていました。2001年(平成13年)4月26日(木)と27日(金)の午後、50代くらいの男性の頭を何度も殴りつける山口の姿を見た人がいます。

2人被害者がいたのか、同一人物が被害者となっていたのかは不明ですが、目撃した女性はとても不気味だったと答えていることから、レッサーパンダの帽子は被ったままだったのでしょう。

29日にも目撃情報

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見知らぬ男性を無言で何度殴りつけているところを目撃されていた山口は、その2日後で事件の前日となる、2001年(平成13年)4月29日(日)にも目撃されています。

その時の山口もやはり、レッサーパンダの帽子を被り、白黒の毛皮のコートを着た姿で、29日の午後2時頃、公園のベンチに座り、長い時間隅田川を眺めていたと言われています。位置関係を見る限り、隅田公園かと考えられます。

その公園は、事件現場から約30m離れた場所と言われており、この時点で山口が事件現場周辺をずっとウロウロしていたことが分かります。散歩中の人が話し掛けると、山口はその場を無言で離れたと証言されていますが、もしかするとその夜はその場所で野宿していたのかもしれません。

30日9時30分頃に別の女性を襲う

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事件当日の2001年(平成13年)4月30日(月)の午前9時半頃、実は小川さんとは別の女性を、山口は襲っています。この場所も、浅草駅や隅田公園から近く、小川さんが刺殺された現場から約600m離れた吾妻橋です。

山口は吾妻橋を歩いている時、向こうから傘を差した女性が歩いてきました。橋の中央付近で女性に近づいた山口が、包丁を取り出す仕草をしたところ、女性は大声を出したのです。そして、持っていた傘を振り回して、山口を威嚇したところ、そのまま走って逃げたのでこの女性は助かることが出来ました。

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