2019年10月18日 更新

西沢裕司の生い立ちと現在!全日空61便ハイジャック事件についても

全日空61便ハイジャック事件は、機長が亡くなるという悲しい結末を迎え、記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。今回はそんな全日空61便ハイジャック事件の経緯と犯人に下された判決、犯人の西沢裕司の生い立ちや現在、家族構成などを紹介します。

目次

小さいころから鉄道と飛行機が大好きで、他のおもちゃで遊ばないくらいに熱中していたと言われています。多くの男児が小さい頃に乗り物を好きになりますが、西沢裕司の場合は大人になっても鉄道好きや飛行機好きは変わりませんでした。

鉄道や飛行機が彼に与えた影響は大きく、就職も航空業界を志望したり、実際に働きだしたのは鉄道関係であったりします。あまりに飛行機が好きなために、今回の事件を起こすきっかけになったとも言われています。

フライトシミュレーションゲームにハマっていた

Vr Virtual Reality - Free photo on Pixabay (709795)

大学時代から航空業界に興味を持ってから、西沢裕司は飛行機のフライトシミュレーションゲームに没頭していたようです。ちょうどこの頃に一般家庭にもパソコンが普及し始め、リアルなフライトシミュレーションを楽しめるとマニアの間でこのゲームが流行していました。

また、航空関係の書籍も読み漁り、航空工学などを独学で勉強していたようです。このフライトシミュレーションゲームは大学を卒業してからも趣味となり、退職後実家に戻ってからは部屋にこもって1日中このフライトシミュレーションゲームをしていたようです。

自殺未遂を繰り返していた

On The Street Road - Free photo on Pixabay (709796)

精神クリニックに通い始めてから病院から大量に薬を処方されるようになりました。常に手元には薬があり、1日に飲む錠剤の種類や量もかなりありました。

また、数週間分をまとめて処方されるため、それらを1度に大量に服薬して自殺を図るという行動も頻繁に見られました。薬物療法は適切に服用することで症状を抑えられる効果がありますが、服薬などで自殺未遂を繰り返す患者には適していないこともあります。

また、一般の市販薬よりも薬が強いため、1度に大量摂取することはかなり危険な行為であると言えます。その他の自傷行為が見られたかは分かっていません。

家族が警察に相談し約2ヶ月間、借置入院されていた

Hospital Ward Medical - Free photo on Pixabay (709799)

精神クリニックに通い、薬を服用する毎日になっても状態は快方へと向かわず、1998年秋には家族が警察署に相談しました。その結果、約2ヶ月間措置入院させることになりました。

この措置入院は精神患者に自傷行為や他傷行為が見られ、自らが医療に頼ろうとしないときに行えるものであり、認定されている精神保健指定医2名以上が必要であると判断した場合には、本人の同意なしで入院させることができます。

この2ヶ月という期間も、精神保健指定医が診察し、自傷行為や他傷行為が見られないと判断すると措置入院が解除され退院することができると判断した結果です。

アスペルガー症候群と診断された

Medical Appointment Doctor - Free photo on Pixabay (709801)

飛行機が羽田空港に緊急着陸した後、西沢裕司は逮捕されて2度の精神鑑定を受けています。1度目ではアスペルガー症候群と診断され、2度目では抗うつ剤による事件であると診断されました。

アスペルガー症候群とは、先天的な発達障害であり、発生原因や有効な治療法は発見されていません。また、特定の分野に強い興味を示すことや二次障害としてうつ病や強迫性障害などを起こすことなど、西沢裕司の特徴とも一致します。

抗うつ剤の影響という診断は、兄や両親からの「抗うつ剤の副作用で廃人になるときがあった」という証言が採用されています。

事件の前に家族が西沢裕司を止めていた

Stop Shield Traffic Sign Road - Free photo on Pixabay (709840)

実は西沢裕司が事件を起こそうとした当日、家族が何か企んでいることに気づき、西沢裕司に飛行機を使わないように指示しています。

これに素直に従い、行動を起こすのを翌日へと変更しました。では、どのように彼の計画に気づいたのでしょうか。

22日にハイジャックを決行する予定だった

Calendar Date Time - Free photo on Pixabay (709844)

本来は前日の22日に実行する予定でハイジャックを計画していました。前日までにチケットの手配や荷物を準備し、乗り換え時の行動もシミュレーションしていました。「北海道に1人旅をしに行く」と両親や精神科担当医に伝えていました。

しかし両親が航空チケットが複数枚あることや凶器がバックに入っているところを目撃され、北海道行きをキャンセルせざるをえなくなりました。

ただ、その航空チケットは有効期限内であれば自由にフライト日を変更できるものであったため翌日に実行できてしまったのです。

航空チケットを見た家族が「飛行機はやめなさい」と咎める

Passport Ticket Flight - Free photo on Pixabay (709845)

ハイジャックを実行する前日、父親は西沢裕司が複数の航空チケットを所持している姿を目撃しています。また、母親は預け入れ荷物の中に凶器を用意していたことを発見しました。

このことで、家族は西沢裕司が自殺するために出かけるのではないかと推測しました。そのため「飛行機はやめなさい」ととがめていました。

まさか自分の息子が日本で初めてとなる死者を出すハイジャック事件を起こすとは思っていなかったでしょう。これまでの自殺未遂を繰り返してきた事実を見ると、やはり自殺を試みると推測する方が自然です。

全日空61便ハイジャック事件の真相

Newspaper Coffee Vintage - Free photo on Pixabay (709847)

西沢裕司が緊急着陸した羽田空港でそのまま身柄を警察に渡され、ついに事件の全容が明らかになりました。最初は空港側の対応に関する不満から突発的に起こされたハイジャック事件であると思われていましたが、偽名を使って予約するなどきちんと計画されたものでした。

では、全日空61便ハイジャック事件の真相を紹介します。

ササオカシンジという偽名を使用していた

Technology Machine Typewriter - Free photo on Pixabay (709848)

羽田空港から新千歳空港の実際にハイジャック事件を起こした際のチケット予約には「ササオカシンジ」という偽名を使用していました。この名前は、当時広島東洋カープで投手として活躍していた佐々岡真司の名前を使用したと見られています。

また、従業員がこの名前を見て不審に思い、電話番号にかけたところ、カープの事務所に電話が繋がったようです。本人しか乗れないとされているはずの飛行機を偽名で乗れるのは問題であり、仮に本人確認ができなければ乗れないシステムであれば西沢裕司は当日にこの飛行機に乗れなかったかもしれません。

タカハシカツヤという偽名を使用していた

Business Signature Contract - Free photo on Pixabay (709850)

5 / 8

関連する記事 こんな記事も人気です♪