2019年10月18日 更新

西沢裕司の生い立ちと現在!全日空61便ハイジャック事件についても

全日空61便ハイジャック事件は、機長が亡くなるという悲しい結末を迎え、記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。今回はそんな全日空61便ハイジャック事件の経緯と犯人に下された判決、犯人の西沢裕司の生い立ちや現在、家族構成などを紹介します。

目次

6月13日、図面を元に警備の死角を発見した西沢裕司は、実際に自分の目で確かめようと羽田空港を訪れます。自分が発見した警備の死角は、やはり想像通り誰でも機内に凶器を持ち込めてしまうものでした。

そして、その欠陥を知ることは空港にとっても大きな利益であり、西沢裕司は自身の功績は讃えられるべきであると感じました。それほど、自身のこの発見には相当な自信を持っており、誰も気づかなかった欠陥に自分だけが気づいた優越感に浸っていました。

パソコンを使い欠陥に対する文書を作成し送付

Businessman Finger Touch Turn - Free photo on Pixabay (709744)

機内に凶器を持ち込めるという警備の欠陥は、犯罪を予防する点でとても大きな意味を持ちます。そのため、西沢裕司はパソコンで欠陥を詳細に説明し、具体的な侵入方法やハイジャック防止策も一緒に送付して手紙やメールで空港側に知らせました。

大学時代に実際に働いていたため、一階の到着手荷物受取のところと二階の出発ロビーには自由に行き来できてしまうことを知っていたのです。そのため、自分の発見した欠陥を犯人が知ってしまえば、簡単にハイジャック事件を起こす可能性があると考えました。

羽田空港で雇われることはなかった

Airport Travelers Persons - Free photo on Pixabay (709747)

空港側に欠陥を伝えた事で、空港ビルの担当者や空港事務所総務課長からお礼の電話を受けました。そこで自分を警備員として雇ってほしいと提案しましたが、この要望は拒否されました。また、7月19日にも空港ビルと空港事務所に電話しますが、警備員を増員する予定はないとの回答を受けました。

一般人である自分が空港の警備の欠陥を親切にも教えてあげ、それほどの知識を持っていることを証明できたのに空港で雇われることがなかったというストレスは彼にとって計り知れないものでした。

自分の提案が無視されたことに対しハイジャックを決意

Youtuber Blogger Screenwriter - Free photo on Pixabay (709748)

西沢裕司は空港側からお礼の電話をもらったものの、再三の空港への警備強化の提案や自身を警備員として雇うという要求が無視されたと感じ、ハイジャックを決意しました。

実際に自分が指摘した欠陥を利用してハイジャックを行うことで、自分の提案を無視した空港担当者の責任を追及できると感じたからです。

西沢裕司は自分はハイジャックを成功させられるという自信に満ちていました。また、ハイジャックによって自身の知識や能力の高さを空港側にアピールできると考えたのでした。

西沢裕司が発見した「警備の欠陥」とは

Turkey Ankara Soldiers - Free photo on Pixabay (709753)

ハイジャック事件を起こすきっかけともなったのが「警備の欠陥」です。これが適切に対処されており、西沢裕司が満足できるレベルであればもしかしたら大切な機長の命は奪われなかったかもしれません。

その警備の欠陥というのは、羽田空港の1階到着手荷物受取場から2階にある出発ロビーまで、職員用階段を使えば誰の目にも触れずに行く事が出来るというものです。そこに警備員を配置していないことが問題であると西沢裕司は指摘しました。

犯人・西沢裕司の生い立ち

Photo Album Photographer - Free photo on Pixabay (709754)

犯人の西沢裕司は一体どのような人生を今まで歩んできたのでしょうか。このような重大事件を起こすほどの人物であり、普通の心理状態では無いことが分かります。そのため、西沢裕司が育ってきた環境も1つの要因になり得ます。

それでは、西沢裕司の生い立ちを見ていきましょう。

1970年東京に生まれる

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西沢裕司は、東京都江戸川区小岩で生まれ育ちました。生まれたのは、1970年9月8日もしくは9月28日であるとされています。血液型はO型のようです。

西沢家の次男として生まれ、兄とはどれくらい年の差があるかは明らかになっていません。祖母も同居していたので、両親と祖母の愛情を受けて育ちました。

家庭環境に問題はなく、絵にかいたような幸せそうな家族だったという近所の人からの証言もあります。小さい頃は家の中で兄とも遊んでいたようです。

家族構成

Son Mother Family - Free photo on Pixabay (709758)

西沢裕司の家族構成は、父、母、兄の4人家族だったようです。また、同じ家には祖母が同居しており、兄は事件当時既に家庭を持っていたため、同じ家には住んでいませんでした。

噂では、父は特許事務所に勤務しており、母は専業主婦のようです。中学時代から私立に通え、兄も大学を卒業していることを考えると決して貧しい家庭ではなかったことが分かります。

また、兄は東京工業大学を卒業し、大手化学メーカーに勤めているという情報もあり、エリートが集う一家だったことが伺えます。

小学生時代

Human Paper Adult - Free photo on Pixabay (709759)

幼稚園から小学生にかけては、どこにでもいる普通の男の子であり、精神的にも特に問題は見られませんでした。勉強好きとして知られ、休み時間もずっと机で勉強を続けている子だったようです。

運動はあまり好きではなく、遊ぶ友達がいないため放課後に外で遊ぶ事などはなく、まっすぐ家に帰ってまた勉強をしていたようです。噂によると、小学校2、3年性の時には学校でいじめを受けていたようです。これにより更に塞ぎがちになり、人となるべく関わらないようにしていました。

中学生時代

Soccer Middle School - Free photo on Pixabay (709761)

中学生は近くの公立学校には行かず、名門の私立武蔵中学に進学しました。トップクラスの進学校に通っていても、成績は常にトップクラスを保っており、近所では勉強好きな子として評判でした。

この頃には周りとの関わりを遮断し、名門私立校の中でもがり勉と言われるほど勉強していました。しかし家族仲は良く、外ではあまりしゃべらないものの、家庭内では会話があったようです。

そのため、両親を含め家族はただ西沢裕司は内向的なだけで人と関われないわけではないと思っていました。

高校生時代

Student School Back To - Free photo on Pixabay (709764)

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