2019年10月18日 更新

西沢裕司の生い立ちと現在!全日空61便ハイジャック事件についても

全日空61便ハイジャック事件は、機長が亡くなるという悲しい結末を迎え、記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。今回はそんな全日空61便ハイジャック事件の経緯と犯人に下された判決、犯人の西沢裕司の生い立ちや現在、家族構成などを紹介します。

目次

高校も、中学と同じ私立武蔵高校を選びました。高校時代になっても、一切不良とつるんだりぐれたりすることなく真面目を貫き、部活動には所属せずひたすら勉強の日々でした。

このころから一橋大学を目指していたのか、高校に入ると大学受験を視野に勉強していたようです。その一方で自分の興味がある鉄道や航空関係の本を読み漁り、その仕組みを独学で学ぶことにもハマっていました。

ここまでエリート街道を突っ走っており、高校時代までの人生で挫折は1度もなく、勉強面では誰にも負けないという自負があったようです。

大学生時代

Library Books Education - Free photo on Pixabay (709765)

一浪を経て、難関私立校である一橋大学商学部に入学しました。小さいころから鉄道ファンであった西沢裕司は、鉄道研究会に所属します。しかし学園祭での提案が流れたため、興味は次第に航空へと傾き始めました。

好きなものを見つけるととことん勉強したくなる性格の彼は、大学時代にはすでに専門家レベルの知識を付けていたようです。また、一般の大学生のようにアルバイトも始めました。

大学時代は特に波風の立たない生活を送り、1994年3月に大学を卒業しました。

羽田空港でアルバイトをしていた

Escalators Shopping Mall Up - Free photo on Pixabay (709768)

航空業界に興味を持ったため、羽田空港でアルバイトを始めました。グランドハンドリングと呼ばれる航空貨物の荷役として働き、真面目な勤務態度だったようです。

アルバイトで稼いだお金はほとんどを貯金し、たまに使うことがあっても飛行機の航路や乗り心地を体験するために飛行機に乗っていたくらいのようです。

交友関係がなく、自宅でこもる方が好きだったため、お金を使う場があまりありませんでした。そのため、大学卒業時にはかなりの額を貯金できていたとの噂もあります。

航空業界を志していた

Aircraft Engine Passengers - Free photo on Pixabay (709775)

就職活動では航空と鉄道に絞り、特に航空業界を第一志望としていました。日本航空、全日空、日本エアシステムの大手航空会社の入社試験を受けました。しかし航空会社からは1つも採用はされず、JR貨物の総合職へ内定が決まりました。

仕事をする前から航空業界への憧れやパイロットになりたいという夢を諦められず、鉄道が好きな西沢裕司でしたが、就職活動の結果には決して満足していなかったようです。両親の説得もあり、なんとか就職浪人はせずに鉄道会社で働くことを決めました。

1994年JR貨物に就職

Green Train Jr Station - Free photo on Pixabay (709777)

大学卒業後は内定をもらっていたJR貨物で働き始めました。しかし広島や大阪などでの単身赴任生活が続き、大きなストレスとなっていたようです。

また、仕事上でのミスが続いて上司から怒られることに耐えられなくなり、1996年の秋には無断欠勤の末、失踪状態となりました。

同僚で仲の良い人も特にいなかったため、西沢裕司の行方を知っている人はいなかったようです。仕事を辞めた後は東京にある実家に戻って来て、引きこもり生活をスタートさせました。

精神科に通う生活を送っていた

Sadness Alone Being - Free photo on Pixabay (709781)

引きこもり生活が続いていたことや、精神的に安定しないことから家族の勧めもあり、1998年の春ごろから複数の精神クリニックを受診しました。そこでは統合失調症や心因反応と診断され、抗うつ剤をはじめとする大量の薬が処方されました。

カウンセリングなどもありましたが、まずは精神を安定させることを目的に薬物治療が始まったのです。薬に頼る生活が続き、本人に薬が合わなかったのか、副作用も出てきて精神が安定することはありませんでした。

犯人・西沢裕司について

Thieves Offenses Wanted - Free image on Pixabay (709784)

では、犯人の西沢裕司は、どのような人物だったのでしょうか。前々から事件を起こしそうだと周りに思われていた暴力的な人間だったのでしょうか。

ここでは、西沢裕司の性格や趣味を、家族の証言や近所の人のインタビューから紹介します。

性格はおとなしかった

Bible Book Knowledge - Free photo on Pixabay (709786)

勉強好きで性格はとてもおとなしい子だったようです。積極的に人と関わるタイプではなく、休み時間も1人で教室に残り勉強しているタイプであり、大声で笑う姿や声を荒げて怒る姿は見たことがないと当時の同級生はインタビューに答えています。

何に対してもどちらかといえば消極的な態度で、勉強ができること以外はクラスでも目立つ存在ではなかったようです。そのため、元同級生はあんなにおとなしかった西沢裕司がこのような日本全国が注目する大事件を起こしたことに驚きを隠せませんでした。

社交性は0だった

Solitude Outdoors Dark - Free photo on Pixabay (709787)

勉強に熱心に取り組むあまり、社交性は0であったと言われています。人と関わりたくないというよりは、人との関わり方が分からなかったようで、誰かと一緒にいるくらいであれば1人で勉強していたいタイプの子供でした。

クラスで嫌われているわけではありませんが、自分から人と関わろうとしないため、周りの人たちも距離を取っていたようです。小学生時代以外は進学校に通っていたこともあり、がり勉が浮くわけではないのでいじめはありませんでした。

友人は少なかった

Adventure Height Climbing - Free photo on Pixabay (709788)

社交性のなさから友人は少なく、両親でさえ友人の名前を彼から聞くことはほとんどなかったようです。また、親友と言えるほどの仲良のいい友人がいたかは明らかになっていません。

刑務所に入ってからも、友人に手紙を書くことはなく、おそらく友人と呼べるほどの親しい人は周りにいなかったのではないかと言われています。しかし、大学時代のサークル活動などで話す程度の知り合いはいたようです。

いずれにしても社会とあまり関わらない人間であったことが分かります。

鉄道・飛行機が大好きだった

Trolley Tram Tramway Street - Free photo on Pixabay (709791)

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