2019年10月18日 更新

西沢裕司の生い立ちと現在!全日空61便ハイジャック事件についても

全日空61便ハイジャック事件は、機長が亡くなるという悲しい結末を迎え、記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。今回はそんな全日空61便ハイジャック事件の経緯と犯人に下された判決、犯人の西沢裕司の生い立ちや現在、家族構成などを紹介します。

目次

西沢裕司が起こした事件「全日空61便ハイジャック事件」

Plane Trip Journey - Free photo on Pixabay (709698)

西沢裕司が起こした「全日空61便ハイジャック事件」は事件から20年経った今でも人々の記憶に残っています。この事件は日本で初めて人質が殺されたハイジャック事件であり、この事件をきっかけに空港でのセキュリティーチェックを厳しくするなどの対策がとられるようになりました。

今回はこの「全日空61便ハイジャック事件」について、事件の経緯を詳しく解説するとともに、犯人である西沢裕司の生い立ちや家族構成、現在について紹介します。

全日空61便ハイジャック事件の概要

Airline Architecture Buildings - Free photo on Pixabay (709699)

全日空61便ハイジャック事件は、起きた事が分かるとすぐにメディアで緊急速報が流れたので、それを覚えている人も多いのではないでしょうか。しかし、事件の詳細やどのように解決したかについてはあまり知らないという人は少なくありません。

ここでは、まず事件の概要を時系列で詳しく見ていきましょう。

1999年7月23日午前11時23分に発生

Discovery Offender Crime - Free photo on Pixabay (709700)

この事件の始まりは、199年7月23日午前11時23分、飛行機が離陸してからおよそ5分後、飛行機が安定飛行になった瞬間に起こりました。

この日は雲が少ない晴天で見通しも良く、機長は総フライト時間が1万時間を超えているベテラン操縦士であり、副操縦士とのコミュニケーションを取れていたため、何事もなく北海道につくだろうとスタッフの誰しもが思っていました。

しかし不運にもその飛行機にはハイジャック犯が乗り合わせており、500人以上が一瞬にして人質となったのです。

ハイジャックされたのは全日空61便

Haneda Airport - Free photo on Pixabay (709704)

ハイジャックされたのは、全日空61便であり、機体はボーイング747-481Dであり、1995年7月に初飛行したものです。羽田空港から北海道の新千歳空港に向かって離陸した飛行機がハイジャックされました。

ボーイング747-481Dは長距離運航も可能であり、国際線の距離でも飛行することができます。これまで機体にトラブルは起こってなく、直前のチェックでも何も異常は見られませんでした。

なお、この機体が「全日空 All Nippon Airways」のタイトルロゴが入った最終の機体となっています。

乗員14人・乗客503人を乗せていた

Flight Plane Airplane - Free photo on Pixabay (709706)

ハイジャックされた機体には、乗客14人、乗客503人の計517人が乗っていました。なお、たまたま乗り合わせていた有名人も何人かいました。

シンガーソングライターとして知られる浜田省吾のスタッフやバンドメンバーも61便に搭乗していました。浜田省吾本人は前日に北海道入りしていたのでハイジャックには遭遇しませんでした。

その他にも、ライターの古矢徹、日立製作所の副社長である川村隆、作曲家の青島広志、車いすバスケットボール男子日本代表アドバイザーの東野智弥などです。この中には事件後のインタビューに応じた人もいました。

離陸直後に搭乗していた男性が客室乗務員に包丁を突きつける

Woman Watching Airport Waiting - Free photo on Pixabay (709710)

機体が滑走路から上空へと飛び立った直後、当時28歳の犯人が突然大声を上げて立ち上がり、着席していた客室乗務員2名を包丁で脅したのです。包丁は刃渡り19センチもある長いものでした。

そしてそのうちの1人の客室乗務員にコックピットに行くように指示しました。この間に包丁で脅されたもう1人の客室乗務員はチーフパンサーを通じて機長にハイジャックが発生したことを知らせました。

乗客にも包丁の存在は見えていたため、安易に彼を取り押さえることは難しかったようです。

11時25分機長よりハイジャック発生の緊急通報が発せられる

Alarm Light Siren - Free photo on Pixabay (709715)

男がコックピットに侵入する直前に、機長は地上管制にハイジャックが発生した旨を緊急速報していました。離陸した後、機体がどこを飛んでいるかはレーダーで把握できますが、機内で何が起こっているのかは操縦士を通してしか把握することができません。

機長の迅速な報告によって地上にいるスタッフが状況を把握し、その後起こりうる事態を予測することができたのです。機長がベテランであったことで、このような緊急事態にもパニックになることなく、すべきことをこなせたのでしょう。

犯人は横須賀への飛行を指示する

Aircraft Double Decker Airport - Free photo on Pixabay (709717)

コックピットに侵入した犯人は、機長らに横須賀方面に飛行することを指示しました。犯人が武器を持っていることが明らかであったため、機長らはこの指示に従い、飛行機を南西方向に傾けました。

また、当時のハイジャックに対する基本マニュアルでは、犯人を刺激しないように指示には従うこととなっていました。この時点でハイジャック事件が起こったことをメディアにも報じられており、各メディアが緊急速報で当時の様子を伝えていました。

高度3000フィート降下を要求

Us Navy Blue Angels Demonstration - Free photo on Pixabay (709719)

機体を横須賀方面に傾けた後、犯人は続いて高度3000フィートまで降下するように指示しました。この高度3000フィートとは、地上900mの高さであり、通常ヘリコプターや軽飛行機が飛行する高さです。

機長は3000フィートまで降下する旨を航空管制官に報告してから降下を始めました。しかし、予定外の低空飛行のため、事態を把握せずに飛行しているヘリコプターや軽飛行機と空中衝突してもおかしくない状況であり、とても危険な飛行でした。

犯人は伊豆大島方面への飛行を指示する

Sea Bay Waterfront - Free photo on Pixabay (709721)

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