2019年10月5日 更新

グリコ森永事件の真相や真犯人は?史上最高に後味の悪い劇場型犯罪

日本の犯罪史上、最大の未解決事件とも言われるグリコ森永事件。犯人とロッテの関係や、同時期に起きた日航機墜落事故との関係といった事件の真相に迫っていき、脅迫に使われた子供の声をめぐる小説『罪の声』など、事件にまつわる注目作品も紹介していきます。

目次

日本最大のミステリー?!グリコ森永事件

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日本がバブル経済に入る直前の1984年から1985年にかけて、日本中に衝撃を与えた事件が起こります。

グリコ森永事件と名付けられたこの事件で、犯行グループは関西エリアを中心に、大手食品会社への脅迫や毒物入り食品のばら撒きを繰り返し、事件を追う警察やマスコミへは挑戦状を叩きつけました。

事件から30年以上が経った今もなお、この事件には不可解な点が多く、その犯行の性質から、戦後最大の劇場型犯罪とも言われ、多くの人がこの事件の真実を追い続けています。

警察庁広域重要指定事件初の未解決

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このグリコ森永事件において、犯人は結局捕まっておらず、警察庁広域重要指定事件としては初の未解決事件となりました。

この警察庁広域重要指定事件とは、同一犯による犯行と思われる事件が複数の都道府県に跨って発生した場合に、他の管轄の都道府県警同士が協力して捜査を行うというもので、日本を代表する猟奇事件として知られる東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件や、グリコ森永事件同様に未解決に終わった赤報隊事件などもこれに含まれます。

このようにして広域で捜査を行ったことが事件を解決できなかった要因の一つであるとして、この事件における警察の捜査体制を疑問視する声も出ています。

グリコ森永事件詳細【江崎グリコ社長誘拐事件】

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世間を騒がせ、当時の世相として振り返られることも多いこのグリコ森永事件は、複数の大手食品会社をターゲットとした連続脅迫事件でした。それら一連の事件の皮切りとなったのが、事件の名前にも使われているグリコを標的とした江崎グリコ社長誘拐事件です。

一連の事件の手始めとなったこの事件からして不可解な点が多く、犯人らの目的が掴めない点からも捜査は困難を極め、ここに警察と犯人グループの長い闘いの幕が切って落とされることとなりました。

3人組の男がグリコ社長を誘拐

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1984年3月18日の21時頃、兵庫県西宮市にある江崎グリコ社長・江崎勝久さんの自宅隣にある母親の住居に、目出し帽を被り拳銃を持った2人の男が侵入。テレビを見ていた母親を脅し、社長宅の合い鍵を奪います。

合い鍵を使い社長宅に侵入した男らはその場にいた社長夫人と長女を縛り上げトイレに閉じ込め、その後浴室に押し入り長男、次女と入浴中だった社長を拳銃で脅して全裸のまま拉致。外で待機していた3人目の男が運転する車で逃走しました。

犯人からの身代金要求

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3月19日午前1時過ぎ、大阪高槻市の江崎グリコの取締役宅に、男の声で電話がかかってきます。電話の男は「高槻市真上北自治会の釜風呂温泉の看板前の電話ボックス」と言い、実際にその電話ボックスを調べると茶封筒が見つかりました。

茶封筒の中にはタイプライターで打った文字で、現金10億円と金100kgを用意しろとの指示があり、あまりに多額な金額の要求に戸惑いつつも、警察はこの事件を身代金目的の誘拐事件と断定。捜査本部を「江崎社長拉致事件捜査本部」から「身代金目的江崎社長誘拐事件」に改称しました。

指定された場所に犯人現れず

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警察は親族や会社の人間と相談して身代金を用意し、犯人からの連絡を待っていたところ、午後6時過ぎにかかってきた電話からは録音された江崎社長本人の声が流れ、それによると大阪府茨木市にある「レストラン寿」へ向かえとのことでした。

捜査員は指示のあった場所に犯人が現れる可能性を踏んで、「レストラン寿」周辺に張り込みました。しかし、その日犯人は現れず、犯人から次の指示を伝えるような電話がかかってくることもありませんでした。

そもそも身代金目的の誘拐だったのか?

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結果、身代金の受け取りに犯人らは現れず、そもそも要求された現金10億円は重量にして130kgにも及び、さらに100kgの金塊も合わせて用意するとなれば受け渡しがスムーズに済むはずもないため、警察では犯人グループがどこまで本気でこの要求を出してきたのか疑問視する声も出ていました。

また、社長宅に犯人らが押し入った際に夫人が「お金なら出します」と言ったことに対しても、犯人は「金はいらん」と答えたことから、身代金目的の誘拐ではなかったのではないかと考えられるようになりました。

3日後に自力で脱走

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江崎社長は茨木市内にある水防倉庫に監禁されていましたが、犯人らはたびたび社長を残して倉庫からいなくなることがありましたが、犯人グループは江崎社長に「長女も誘拐した」と伝えており、娘に危害が及ぶことを恐れた社長は逃走することができなかったようです。

しかし、事件発生から4日目の3月21日、犯人グループが10数時間もの間姿を消していたことから、社長は意を決して倉庫を脱出。すぐ近くにあった国鉄の貨物ターミナルに助けを求めて無事保護され、長女も誘拐されていなかったことを知ります。こうして、この事件は幕を閉じたかに思われました。

グリコ森永事件詳細【江崎グリコ脅迫事件】

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江崎グリコ社長誘拐事件は、犯人こそ捕まっていないものの、人質にされていた社長は自力で脱出したことから一応の解決を見ることとなります。

被害者となった社長ら家族の証言や、犯人が身代金受け取り場所を連絡してきた際には逆探知に成功している点からも、犯人らもじきに逮捕されるかに思われました。

しかし、その後も犯人グループは執拗に江崎グリコの会社や社長宅への脅迫を続けていました。また、この頃から犯人グループはマスコミへの挑戦状を送るようにもなっていきます。

1984年4月2日:社長宅に脅迫状

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