2019年10月5日 更新

グリコ森永事件の真相や真犯人は?史上最高に後味の悪い劇場型犯罪

日本の犯罪史上、最大の未解決事件とも言われるグリコ森永事件。犯人とロッテの関係や、同時期に起きた日航機墜落事故との関係といった事件の真相に迫っていき、脅迫に使われた子供の声をめぐる小説『罪の声』など、事件にまつわる注目作品も紹介していきます。

目次

1年以上に渡って多くの食品会社を脅迫し続け、食品業界、警察、マスコミ、国民と、日本中を混乱に巻き込んだこの一連の事件。警察は犯人と思しき人物を、幾度となく、あと一息のところまで追い詰めてきましたが、未だ逮捕には至らず、犯人からは警察をおちょくるような挑戦状が送られ続けました。

しかし、1985年夏のとある事件がきっかけとなり、この事件は突然の終息を迎えることとなりました。その事件とはいったい何だったのか?また、その後犯人らは逮捕されたのかを見ていきましょう。

1985年8月7日:滋賀県警本部長の焼身自殺

Fire Flame Carbon - Free photo on Pixabay (682000)

1985年8月7日、ハウス食品への脅迫事件の折に、不審車両を取り逃がしたと世間から煽りを受けていた滋賀県警の本部長が、退職日に本部長公舎の庭で自殺するという事件が起こりました。焼身自殺でした。

遺書については警察が公表しておらず、自殺の動機については、犯人取り逃しの責任を取るため、責任を負わされたことに対する抗議、自殺は事件とは関係がないなど、さまざまな憶測が飛び交いました。

これを受けて滋賀県警は、本部長への弔いの意を込めて、犯人逮捕の誓いを新たにしました。

8月12日:終息宣言

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8月12日、犯人グループはマスコミ宛に全ての事件の終息を宣言する文書を送りつけてきました。それには「くいもんの会社いびるのもおやめや」と、食品会社への脅迫を今後行わない旨が書かれていました。

文書には、自殺した滋賀県警本部長を称えるような文言と、事件終息は本部長への香典代わりだということ、そして今後脅迫事件が起こっても、それは自分たちではなく偽物による犯行であるといったことも書かれ、これ以降、犯人らの動きは完全に無くなりました。

2000年2月13日0時全ての事件の公訴時効成立

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突然犯人からの事件終息宣言が出されてからも、警察は犯人逮捕に向けて捜査を続けてきましたが、1994年、一連の事件の発端となった江崎グリコ社長誘拐事件が公訴時効を迎え、これにより捜査本部の体制は大幅に縮小されることとなります。

そして2000年2月13日0時を以て、東京・愛知における青酸入り菓子ばら撒き事件が殺人未遂罪での公訴時効を迎え、これにより28件に及ぶグリコ森永事件の完全時効が成立することとなりました。

事件終息日の日本航空123便墜落事故

Airplane Wrecked Plane - Free photo on Pixabay (682008)

食品会社に対する一連の脅迫事件において、犯人グループらが終息宣言を出した1985年8月12日、とある事故が日本中を震撼させます。

この日、500名を超える乗客乗員を載せた日本航空の旅客機が墜落事故を起こした日本航空123便墜落事故が発生、非常に多くの犠牲者を出す事態となりました。

一見すると何の関係もないように思えるグリコ森永事件とこの日本航空123便墜落事故ですが、意外な所で奇妙な繋がりを見せていました。

日本航空123便墜落事故とは?

Airplane Wreck Wreckage - Free photo on Pixabay (682223)

日本航空123便墜落事故とは、1985年8月12日午後6時56分、東京羽田空港発、大阪伊丹空港行きのJAL123便が操縦不能に陥り、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落した事故です。

この事故では乗客乗員524名のうち、520名が死亡するという日本航空史上最悪の事故となり、また、単独機の事故としては世界史上最悪の死者数を出す事故となりました。

この事故では、搭乗していた歌手の坂本九さんをはじめ、多くの著名人も亡くなっています。

ハウス食品工業社長が犠牲となる

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この事故で亡くなった520名のうちの1人に、一連の脅迫事件で被害を受けたハウス食品工業社長の浦上郁夫さんがいました。

浦上さんは、8月12日の事件終息の報を受けて、そのことを同社の創業者で先代社長でもある自身の父の墓前に報告するため、日本航空123便に搭乗、墜落により犠牲となりました。

もしも犯人らによる事件の終息宣言が1日でもずれていれば、浦上さんがこの事故に巻き込まれて亡くなることはなかったでしょう。

事件の真相や犯人についての仮設

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2000年2月13日に全ての事件の時効が成立し、未解決のまま終わったこのグリコ森永事件。結局捕まることのなかった犯人グループに関しては、謎が謎を呼び、さまざまな仮説が作られることとなりました。

また、事件の中でたびたび目撃され、似顔絵まで公開されながらも捕まることのなかったキツネ目の男の存在は、これらの仮説が作られていくうえで、どのような影響を与えたのでしょうか?

ここでは犯人についての仮説を紹介していき、事件の真相に迫っていきたいと思います。

53年テープ

K7 Magnetic Tape Record - Free image on Pixabay (682541)

一連の事件発生から遡ること6年前の1978年(昭和53年)8月17日、金銭を要求するテープがグリコ常務に送りつけられた事件がありました。

テープには部落解放同盟幹部を名乗る男の声が録音されており、その内容は「過激派の学生が江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子ばら撒きを脅迫ネタにして、グリコに対して3億円を要求する計画を立てている。自分ならば、これらの犯行を抑えられないまでも、要求額を1億7500万円まで減額できるので、その金額をよこせ」というものでした。

結局グリコは取引に応じませんでしたが、後のグリコ森永事件を予告するような内容であったことから、この2つの事件に繋がりがあった可能性も考えられました。

元グリコ関係者

Business Suit Man - Free photo on Pixabay (683077)

江崎グリコの社長が誘拐された際、犯人は江崎社長の長女の名前を呼んでいたり、脅迫状の中で江崎社長の運転手の名前を書いていたりと、江崎グリコ内部のことに関してかなり詳しいことから、犯人は元グリコ関係者ではないかとの仮説が立てられました。

また、他の企業とは違いグリコに対してのみ、社長を誘拐したり、放火したりといった犯行を行っていることから、犯人はグリコの元関係者で、グリコに対して怨みを持っているものではないかと考えられるようになりました。

元暴力団組長グループ

Gangster Tough Per - Free photo on Pixabay (682009)

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