八甲田雪中行軍遭難事件の全容!心霊スポットとなった八甲田山の現在

死の行軍とも呼ばれる史上最大級の山岳遭難事故、八甲田雪中行軍遭難事件の悲惨な全貌を徹底解説!生存者の証言から一行が辿ったルートを具体的にご紹介します。現在は心霊スポットともなった八甲田山と、この凄惨な事件との関連性についても深掘りしていきます。

八甲田雪中行軍遭難事件とは?

The First Snow Mountains Stones - Free photo on Pixabay (317914)

八甲田山と聞けば馴染みがありますが、実は「八甲田山」という単独峰は存在せず、東北は青森市の南側に聳えて居る火山群を総称した呼び名となります。

冬場になると雪に纏った八甲田山はとても美しく、見る者を魅了しますが、その気温はマイナス30〜40度にもまで下がり、過酷な雪山としても有名です。

そしてここで取り上げる八甲田雪中行軍遭難事件は、そんな過酷な冬の八甲田山で起きた、まさに「死の行軍」とも呼ばれる史上最大級の山岳遭難事故なのです。
Wolf Predator Animal - Free image on Pixabay (321871)

事件は1902年(明治35年)にまで遡り、日清戦争の際に寒冷地で苦戦した経験から、日本陸軍は冬季訓練として雪中行軍を行って次なるロシア戦の準備をしていたのです。

そんな矢先に日本陸軍第8師団である歩兵第5連隊が、同年1月に青森市街から八甲田山「田代新湯」までの雪中行軍中に遭難した事件が、この八甲田雪中行軍遭難事件です。

訓練に参加した210名の内199名までもが命を落とし、日本における軍の冬季訓練中で最大の死傷者を出した事に加えて、その極寒な環境からとても痛ましく悲惨な遭難事件だった事から、後世まで語り継がれる事故となってしまいました。

行軍の目的

Marine Military In Formation - Free photo on Pixabay (317930)

日本陸軍が雪中行軍を行う事となった経緯は前述しましたが、当時でも過酷だと有名であった八甲田の雪山を行軍する目的は何だったのでしょうか。まずは行軍に至った経緯や目的から探っていきましょう。

歩兵第5連隊は、ロシア軍からの侵攻によって青森海岸沿いが万が一に鉄路遮断となってしまった場合、通常は列車で行っていた物資の運搬を人力ソリでも運べるのかどうかを調査する為に行軍を行う事となりました。

いかなる極寒でも物資運搬が可能な事を証明する為や耐寒訓練の為にこの過酷な季節で行われましたが、その経路は最大の難所区域だけでも片道約20kmにも及び、青森〜田代温泉まで一泊二日の計画だったといいます。

行軍のルート

Treasure Map Navigation - Free photo on Pixabay (317942)

この雪中行軍を実施したのは、青森歩兵第5連隊と弘前歩兵第31連隊の2部隊となります。歩兵第5連隊は1月23日に総勢210名の参加で青森市街を出発して田代温泉まで、二日間で往復約40kmのルートでした。

また、弘前歩兵第31連隊は少し早く1月20日に総勢38名で弘前を出発し、十和田湖から三本木を経由し、田代温泉から青森を辿って弘前まで帰ってくる長いルートで計画されていました。

弘前歩兵第31連隊のルートでは十一泊十二日で約220kmという行程が組まれていたのです。

八甲田雪中行軍遭難事件の経緯

Glass Shattered Window - Free photo on Pixabay (317951)

青森歩兵第5連隊は参加人数が多く行軍距離は短めであり、弘前歩兵第31連隊は参加人数は少ないものの行程距離が長大でした。

一方は訓練成功を達成し、片や世界最大の山岳遭難事件にまで及んでおります。この2部隊の運命を分けたものとは何だったのでしょうか。遭難事件に発展するまでの経緯を探っていきましょう。

行軍の準備

Army Conflict Weapon - Free photo on Pixabay (317997)

弘前第31連隊は出発の一ヶ月前に行軍命令を受けており、出発までの間に周辺の農家やマタギの方から入念に情報を収集し、食料や備品などの調達も行っていました。農家やマタギなどの雪山のプロから教わった凍傷対策もバッチリ行っていたのです。

かえって青森第5連隊は、同第2連隊が事前に予行練習を行った際に行軍を成功した事から、屯営から田代まで1日あれば踏破が可能だと判断し、十分な兵の休息が確保されない計画で出発が決定してしまったのです。

また、予行練習で成功したのは天候も良い中の140名での行軍で、田代までではなく小峠までの片道約9kmだったのにも関わらず、総勢210名で1日分の食料と燃料、備品など計1.2tを14台のソリで運搬する過酷な計画のまま決行されたのです。

1日目

Compass Hand Travel - Free photo on Pixabay (318005)

第5連隊は初日である1月23日の午前6時55分に出発をしましたが、途中の田茂木野の村民たちから行軍を止めるよう促されます。しかしこの申し出も村民による案内も断り、なんと地図と方位磁針だけで行軍を決行したのです。

それでも小峠までは問題なく行軍できたものの、後ろのソリ隊がだんだんと遅れが生じた為に休息をとり、昼食を行う事となりました。その間に天候が悪化し、暴風雪になる恐れがあった事から帰営の協議が為されたが、行軍を続行したのです。

悪天候の中進軍してきたものの、鳴沢に向かう17時頃にソリでの運搬を断念し、輸送隊員らが手分けして積み荷を運ぶ事となり、吹雪の中で日没を迎えた事から露営地を探します。

第1露営地

Winter Snow Wood - Free photo on Pixabay (318015)

田代まで残路1.5kmとなる「平沢の森」を第一露営地に定め、5隊の小隊ごとに広さ約6畳ほどの雪壕を掘り、各40名ほどが中に入りました。この時すでに20時過ぎほどで、その狭さと寒さから全員が立ったまま雪壕に収められていました。

ようやく行李隊も追いつき全隊員が揃った21時頃に食料や木炭が配布されますが、40名が収まる1壕に1つずつの炉火しか与えられず、食料も缶詰と餅のみではあまりにも乏しいものだったといいます。

しかも火を着けるまでに一時間かかり、豪雪のせいで炊事釜が安定しない事なども加わってスムーズに炊事作業が行われなかったのです。初日から行軍は大変難航していたものだと分かります。

2日目

Army War Photographer - Free photo on Pixabay (317981)

日を跨いだ午前1時頃になってようやく飯にありつけましたが、生煮えの米に炊飯釜で温めた酒はとても飲み食いできるものではなく、凍傷の危険により眠る事さえ許されない状況です。その為に各自1時間半ほどの仮眠しかとれなかったのです。

出発予定の5時が近づくにつれ寒さを訴える兵も多く、これ以上は危険だとの判断に至り、山口少佐たちは協議の末に帰営する事を決め、2時半に第一露営地を出発します。

しかし間も無く峡谷に迷い、露営地へ引き返そうとしたところで佐藤特務曹長が田代までの道のりを知っていると発言するのです。これを独断で山口少佐は道案内を命じ、遭難への末路を辿る事となってしまうのです。
Mountain Bridge Halla - Free photo on Pixabay (322197)

この悪天候の中で佐藤特務曹長は案の定道を誤り、山口少佐がそれに気づいた時には既に遅く、来た道は吹雪でかき消されて断たれてしまったのです。

加えて、空腹状態で睡眠不足に寒さによる疲労から隊列に乱れが生じてきており、統制に困難が出始めたのです。この時、遂に第5連隊は遭難状態に陥ってしまいました。

ここから進軍するには崖登りをやむなくされますが、当時の気温はマイナス25度以下で風速29mと猛吹雪だった為に荷物を放棄して進みますが、4分の1の兵らが凍死や落伍により命を落としてしまいました。

第2露営地

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