2020年5月7日 更新

玄倉川水難事故の詳細や裁判内容とその後!生き残りの現在と会社名も

玄倉川水難事故をご存知ですか?とても痛ましい事故でしたが被害者が非難される異例の事態となりました。被害者が同情されない理由や裁判は行われたのか、一行が勤めていた会社名についてご紹介します。事故現場の現在の様子や生き残りのその後についても掘り下げていきます。

目次

玄倉川水難事故とは

Drops Of Water Liquid - Free photo on Pixabay (283133)

玄倉川水難事故は1999年の夏に神奈川県で発生した水難事故です。13名が死亡したにもかかわらず被害者が非難される異例の事態で当時話題になりました。現在でも河原でアウトドアを行う際の教訓として、夏が近づくと話題に取り上げられることの多い事故です。

今回POUCHSは、この事件について詳しくご紹介していきます。

なぜ13名もの犠牲者が出たのか、玄倉川水難事故の概要を見ていきましょう。

また、POUCHSは恋愛やライフスタイルを応援する記事を多数取り扱っています。こちらの記事も、ぜひ一緒にご覧ください。

事故の概要

Water Raindrops Raining - Free photo on Pixabay (283139)

神奈川県玄倉川の中州で会社の同僚やその家族、社員の婚約者や恋人などでキャンプをしていたグループ25名のうち18名が増水によって川に流され13名が死亡しました。

大雨が降り強風が吹く中で避難指示を無視してキャンプを続けたことが原因で起こったため被害者は同情されることなく批判ばかりが集まりました。

事故の場所と日時

Tent Camp Night - Free photo on Pixabay (283146)

事故は神奈川県足利上郡山北町を流れる玄倉川で1999年8月14日に発生しました。玄倉川は酒匂川水系に属しており急峻な山を水源としています。

相模湾からの湿った空気が急峻な山にぶつかるため冬季を除いて降水量の多い山地です。事故の起きた8月13日から8月14日にかけての29時間で349mmの雨量が記録されていますが現場付近では珍しい雨量ではありませんでした。

事故の起きた中州の上流にある玄倉ダムのさらに上流は渓谷となっていて難易度の高い沢登のコースがあるため登山者の間では有名な場所です。

玄倉川水難事故の経緯

Rain Screen Umbrella - Free photo on Pixabay (283150)

玄倉川水難事故は何度も避難するチャンスがあったにもかかわらず起きた事故のため、事故というよりも殺人に近いと言われています。

この事故を受けて神奈川県にはウォーターレスキュー隊という部署が設置され、他の自治体でも河川の利用や安全に対する議論が行われるなど社会的に大きな影響を及ぼしました。

どのようにして事故は起きたのかを知ることは再発防止につながる大切な取り組みです。玄倉川水難事故の経緯を見ていきましょう。

川の中州や近辺で多数のグループがキャンプを開始

Tent Mountain Morning - Free photo on Pixabay (283157)

1999年8月13日はお盆休みの期間であったため、玄倉川の中州や近辺では多数のグループがキャンプを楽しんでいました。会社の同僚とその家族、社員の婚約者や恋人の25名も同様にキャンプを開始しました。

25名のうち4名は日帰りの予定だったため19時頃帰宅しました。

雨が降り始め川の水位が上がり始める

Rain Boots Umbrella - Free photo on Pixabay (283160)

8月13日に紀伊半島の南海上に熱帯低気圧が発生し、神奈川県では夕方から雨が降り始めました。この年の夏は異常気象が続いていて熱帯低気圧の発生が多数見られ日本列島は不安定な天気でした。集中豪雨が観測されるなど各地で水害も発生していました。

8月13日の夕方に神奈川県では大雨洪水注意報が出されて、川の水位が上がり始めたため19時35分には玄倉川上流にある玄倉ダムが放流を予告するサイレンを鳴らします。

ダム管理職員が注意を呼びかけキャンプ客が次々に避難

Silhouette Man Race - Free image on Pixabay (283195)

玄倉川上流には玄倉ダムというダムがあります。玄倉ダムは渓谷を堰き止める形で建設されました。貯水容量が小規模なため雨が降るとすぐに満水となりキャンプ場のある下流へ放水するので、ダムの管理職員が13日の15時20分頃と19時50分頃の2回注意を呼びかけにキャンプ場を訪れました。

キャンプ客は1回目の注意に従い次々と避難をしましたが被害にあった一行は注意を無視して中州に居座り続けたのです。中州の河床幅は約100mあり、中州下流にある立間堰堤よりも2m高いところに位置していました。

一見キャンプに適しているように見えますが雨が降ると上流の玄倉ダムの放流により水没する危険な場所です。

ダム管理職員が中州に残っていた一行に警告するも無視

Child Education Fear - Free photo on Pixabay (283202)

15時20分の呼び掛けに従い多くのグループが避難をする中、一行だけは呼び掛けを無視をして中州に残りました。2回目の呼び掛けは一行に対して直接行われましたが無視をし続けたのです。20時頃は1時間に10mmを超える雨が断続的に降り続いている状況でした。

上流に玄倉ダムがあることや放流により中州が水没することを知っていれば避難したはずですが、何も知識がなかったために無視をし続けたのでしょう。

サイレンが鳴った際にもグループの一人が「よくあることだから大丈夫だ」と仲間に伝えてキャンプを続けています。

ダム管理職員が警察に通報

Police Cop Uniforms - Free photo on Pixabay (283208)

注意を無視し続ける一行を危険だと判断して20時過ぎにダムの管理事務所から警察へ通報しました。警察から命令をしてもらえれば一行も避難をするとダム管理職員は考えたのです。

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