目次
- 玄倉川水難事故とは
- 事故の概要
- 事故の場所と日時
- 玄倉川水難事故の経緯
- 川の中州や近辺で多数のグループがキャンプを開始
- 雨が降り始め川の水位が上がり始める
- ダム管理職員が注意を呼びかけキャンプ客が次々に避難
- ダム管理職員が中州に残っていた一行に警告するも無視
- ダム管理職員が警察に通報
- 玄倉ダムの放流を開始
- 夜間から早朝にかけて警察などが数回避難を呼びかける
- 暴風雨となり避難していた社員が消防に救助を要請
- 中州が水没し川の中に一行が取り残される
- 厳しい気象条件の中救助が難航する
- 中州に取り残されていた一行が流される
- 流された大半の人が亡くなるという大惨事に
- 玄倉ダムの放流の経緯や理由
- 玄倉ダムの規模や目的
- 玄倉ダムの放流開始・中止・再開の経緯と理由
- 多数の犠牲者を出した一行はどのような人たちだったのか
- 会社の同僚とその家族・知人の集まり
- 年齢層と人数
- 前日からキャンプをしていた
- 暴言や避難拒否などの対応が批判を集めた
- 25名の生死が分かれた瞬間
- 日帰りのため事故前日に帰宅(4名)
- 警察などの勧告に従い前日に避難(3名)
- 流される直前に岸に向かって投げられる(1名)
- 流されるが対岸に流れ着く(4名)
- 後に遺体となって発見される(13名)
- 玄倉川水難事故の被害者が同情されない理由
- 避難の指示や警告を拒否し続けたから
- ダム管理職員や警察などに対する態度が悪かったから
- 救助活動中に暴言があったから
- 生存者の救助後の態度も悪かったとされているから
- ネットでの過剰なバッシングには疑問も
- 泥酔しており正常な判断ができなかった可能性も
- 一行の言動についての噂は大半が真偽不明
- 死の恐怖が迫る中での言動に責任を追及するのは酷
- 「自分は違うから大丈夫」と安心したい心理から叩く人も多い
- 玄倉川水難事故のその後
- 事故現場は現在は閉鎖されている
- 一行が勤務していた会社の会社名と現在
- 生き残りの1人が書いたとされるブログが炎上
- 事故関連の裁判は起こされていない
- 河原や中州でのキャンプは危険!避難指示には速やかに従おう!
多数の犠牲者を出した一行はどのような人たちだったのか
via pixabay.com
玄倉川水難事故は犠牲者だけでなく生き残った人も名前を晒されて強いバッシングを浴びました。現在でも生き残った人の名前はインターネットで検索されているほどです。
13名の犠牲者を出した一行はどのような人たちだったのかについてまとめていきます。
13名の犠牲者を出した一行はどのような人たちだったのかについてまとめていきます。
会社の同僚とその家族・知人の集まり
via pixabay.com
キャンプに参加した25名は会社の同僚とその家族、同僚の婚約者や恋人です。同僚たちは富士繁という会社の社員で、犠牲になったのはこの会社の社員5名と妻2名、1歳から9歳の子供4名、社員が連れてきた女性2名の合わせて13名でした。
犠牲者の中には一家全員が死亡した家族もいます。
犠牲者の中には一家全員が死亡した家族もいます。
年齢層と人数
via pixabay.com
一行の人数は25名で、日帰りのため帰宅した4名と避難指示を受け入れて中州を離れた3名を除く18名が中州へ取り残されました。
18名のうち生き残った5名は31歳の男性、5歳の女児、1歳の男児、31歳と29歳の兄弟でした。
18名のうち生き残った5名は31歳の男性、5歳の女児、1歳の男児、31歳と29歳の兄弟でした。
前日からキャンプをしていた
via pixabay.com
一行は事故前日から玄倉川の中州でキャンプをしていました。当時はキャンプがブームとなっており、1999年8月13日付近は流星群が見られることも重なったためテントの数は多く50ほど張られていました。
一行のがキャンプをしていた場所はキャンプ指定地ではなく車の乗り入れも禁止されていましたが多くの人がルールを無視してキャンプを楽しんでいました。多数の犠牲者を出す事故が起きるとは誰も考えていなかったでしょう。
大雨によりダム管理職員から避難するよう指示が出された時は一行以外のキャンプ客たちは素直に従い撤収しました。13日から4日にかけて中州でキャンプを続けたのは一行だけです。
一行のがキャンプをしていた場所はキャンプ指定地ではなく車の乗り入れも禁止されていましたが多くの人がルールを無視してキャンプを楽しんでいました。多数の犠牲者を出す事故が起きるとは誰も考えていなかったでしょう。
大雨によりダム管理職員から避難するよう指示が出された時は一行以外のキャンプ客たちは素直に従い撤収しました。13日から4日にかけて中州でキャンプを続けたのは一行だけです。
暴言や避難拒否などの対応が批判を集めた
via pixabay.com
玄倉川水難事故では暴言や避難拒否の対応が批判を集めました。避難指示を無視したり暴言を吐いたりしてダム管理職員や警察を困らせただけではなく救助活動中や救助された後にも救助隊や地元住民に対して暴言が目立ったためです。
自分たちのせいで救助隊が出動することになったのに、命令するような口ぶりで早く救助するよう呼びかける姿がテレビで放送されて多くの批判が集まりました。
最初の避難指示に素直に従っていれば事故は防ぐことができました。避難するチャンスもいくらでもあったにもかかわらず反抗を続けたために最悪の事態が起きたのです。
自分たちのせいで救助隊が出動することになったのに、命令するような口ぶりで早く救助するよう呼びかける姿がテレビで放送されて多くの批判が集まりました。
最初の避難指示に素直に従っていれば事故は防ぐことができました。避難するチャンスもいくらでもあったにもかかわらず反抗を続けたために最悪の事態が起きたのです。
25名の生死が分かれた瞬間
via pixabay.com
25名のうち犠牲者は13名です。同じグループとしてキャンプに参加しましたが行動の違いで生死が分かれました。生死が分かれた瞬間はいつだったのでしょうか。
日帰りのため事故前日に帰宅(4名)
via pixabay.com
元々日帰りの予定で参加していた4名は事故前日の8月13日の19時頃に帰宅しています。ただしこの4名も15時20分頃に行われた1回目の警告は無視しているのでもし宿泊予定であったのならば犠牲になっていたかもしれません。
日帰り予定だったため濁流に飲まれることなく生き延びたのです。
日帰り予定だったため濁流に飲まれることなく生き延びたのです。
警察などの勧告に従い前日に避難(3名)
via pixabay.com
8月13日の21時10分に、警察とダム管理職員の指示に3人が従い中州を離れました。中州を離れる際には残ったメンバーに一緒に避難するよう呼び掛けましたが「見張りを置くから大丈夫」と言われて一緒に避難することはできませんでした。
その後は車の中へ避難して中州に残った仲間に避難するよう14日の朝にも呼び掛けています。大雨の影響で中州と岸の間には川ができていたためわざわざ川を渡って呼び掛けに行きましたが反応はありませんでした。
この3人は避難指示に素直に従ったため命が助かったのです。その後何度も避難をするように呼び掛けもしていますが仲間の声にさえ耳を傾けず18名は中州に取り残されました。
その後は車の中へ避難して中州に残った仲間に避難するよう14日の朝にも呼び掛けています。大雨の影響で中州と岸の間には川ができていたためわざわざ川を渡って呼び掛けに行きましたが反応はありませんでした。
この3人は避難指示に素直に従ったため命が助かったのです。その後何度も避難をするように呼び掛けもしていますが仲間の声にさえ耳を傾けず18名は中州に取り残されました。
流される直前に岸に向かって投げられる(1名)
via pixabay.com
流される直前に叔父が1歳男児を岸へ放り投げます。現場にいた別グループのキャンプ客の男性が男児を救出したため1歳男児は助かりました。
救助したのはとび職の男性で危険を顧みずに男児の救助を行いました。
救助したのはとび職の男性で危険を顧みずに男児の救助を行いました。
流されるが対岸に流れ着く(4名)
via pixabay.com
流された18名のうち4名は運よく対岸に流れ着いて助かりその場で一夜を過ごします。助かったのは31歳の男性と娘の5歳女児、31歳と29歳の兄弟です。
8月15日の朝7時頃救助が開始されて8時30分に無事救助されました。助かったうちの1名はダム管理職員や警察に対して暴言を吐いていた人物という皮肉な結果になりました。その妻と子供1名は死亡しています。
8月15日の朝7時頃救助が開始されて8時30分に無事救助されました。助かったうちの1名はダム管理職員や警察に対して暴言を吐いていた人物という皮肉な結果になりました。その妻と子供1名は死亡しています。
3 / 5