2020年5月7日 更新

玄倉川水難事故の詳細や裁判内容とその後!生き残りの現在と会社名も

玄倉川水難事故をご存知ですか?とても痛ましい事故でしたが被害者が非難される異例の事態となりました。被害者が同情されない理由や裁判は行われたのか、一行が勤めていた会社名についてご紹介します。事故現場の現在の様子や生き残りのその後についても掘り下げていきます。

目次

多数の犠牲者を出した一行はどのような人たちだったのか

Michelangelo Abstract Boy - Free photo on Pixabay (283285)

玄倉川水難事故は犠牲者だけでなく生き残った人も名前を晒されて強いバッシングを浴びました。現在でも生き残った人の名前はインターネットで検索されているほどです。

13名の犠牲者を出した一行はどのような人たちだったのかについてまとめていきます。

会社の同僚とその家族・知人の集まり

Conference Room Table Office - Free photo on Pixabay (283288)

キャンプに参加した25名は会社の同僚とその家族、同僚の婚約者や恋人です。同僚たちは富士繁という会社の社員で、犠牲になったのはこの会社の社員5名と妻2名、1歳から9歳の子供4名、社員が連れてきた女性2名の合わせて13名でした。

犠牲者の中には一家全員が死亡した家族もいます。

年齢層と人数

Baby Ten Small - Free photo on Pixabay (283298)

一行の人数は25名で、日帰りのため帰宅した4名と避難指示を受け入れて中州を離れた3名を除く18名が中州へ取り残されました。

18名のうち生き残った5名は31歳の男性、5歳の女児、1歳の男児、31歳と29歳の兄弟でした。

前日からキャンプをしていた

Trees Cars Vans - Free photo on Pixabay (283305)

一行は事故前日から玄倉川の中州でキャンプをしていました。当時はキャンプがブームとなっており、1999年8月13日付近は流星群が見られることも重なったためテントの数は多く50ほど張られていました。

一行のがキャンプをしていた場所はキャンプ指定地ではなく車の乗り入れも禁止されていましたが多くの人がルールを無視してキャンプを楽しんでいました。多数の犠牲者を出す事故が起きるとは誰も考えていなかったでしょう。

大雨によりダム管理職員から避難するよう指示が出された時は一行以外のキャンプ客たちは素直に従い撤収しました。13日から4日にかけて中州でキャンプを続けたのは一行だけです。

暴言や避難拒否などの対応が批判を集めた

Self-Knowledge Mask Anonymous - Free image on Pixabay (283307)

玄倉川水難事故では暴言や避難拒否の対応が批判を集めました。避難指示を無視したり暴言を吐いたりしてダム管理職員や警察を困らせただけではなく救助活動中や救助された後にも救助隊や地元住民に対して暴言が目立ったためです。

自分たちのせいで救助隊が出動することになったのに、命令するような口ぶりで早く救助するよう呼びかける姿がテレビで放送されて多くの批判が集まりました。

最初の避難指示に素直に従っていれば事故は防ぐことができました。避難するチャンスもいくらでもあったにもかかわらず反抗を続けたために最悪の事態が起きたのです。

25名の生死が分かれた瞬間

Candle Light Candlelight - Free photo on Pixabay (283309)

25名のうち犠牲者は13名です。同じグループとしてキャンプに参加しましたが行動の違いで生死が分かれました。生死が分かれた瞬間はいつだったのでしょうか。

日帰りのため事故前日に帰宅(4名)

House Real Estate Building - Free photo on Pixabay (283317)

元々日帰りの予定で参加していた4名は事故前日の8月13日の19時頃に帰宅しています。ただしこの4名も15時20分頃に行われた1回目の警告は無視しているのでもし宿泊予定であったのならば犠牲になっていたかもしれません。

日帰り予定だったため濁流に飲まれることなく生き延びたのです。

警察などの勧告に従い前日に避難(3名)

Birds Asian Openbill Vole - Free photo on Pixabay (283319)

8月13日の21時10分に、警察とダム管理職員の指示に3人が従い中州を離れました。中州を離れる際には残ったメンバーに一緒に避難するよう呼び掛けましたが「見張りを置くから大丈夫」と言われて一緒に避難することはできませんでした。

その後は車の中へ避難して中州に残った仲間に避難するよう14日の朝にも呼び掛けています。大雨の影響で中州と岸の間には川ができていたためわざわざ川を渡って呼び掛けに行きましたが反応はありませんでした。

この3人は避難指示に素直に従ったため命が助かったのです。その後何度も避難をするように呼び掛けもしていますが仲間の声にさえ耳を傾けず18名は中州に取り残されました。

流される直前に岸に向かって投げられる(1名)

Baby Teddy Bear Play - Free photo on Pixabay (283322)

流される直前に叔父が1歳男児を岸へ放り投げます。現場にいた別グループのキャンプ客の男性が男児を救出したため1歳男児は助かりました。

救助したのはとび職の男性で危険を顧みずに男児の救助を行いました。

流されるが対岸に流れ着く(4名)

Person Human Beach - Free photo on Pixabay (283326)

流された18名のうち4名は運よく対岸に流れ着いて助かりその場で一夜を過ごします。助かったのは31歳の男性と娘の5歳女児、31歳と29歳の兄弟です。

8月15日の朝7時頃救助が開始されて8時30分に無事救助されました。助かったうちの1名はダム管理職員や警察に対して暴言を吐いていた人物という皮肉な結果になりました。その妻と子供1名は死亡しています。

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