目次
- 八甲田雪中行軍遭難事件とは?
- 行軍の目的
- 行軍のルート
- 八甲田雪中行軍遭難事件の経緯
- 行軍の準備
- 1日目
- 第1露営地
- 2日目
- 第2露営地
- 3日目
- 第3露営地
- 4日目
- 5日目
- 6日目
- 7日目
- 8日目
- 9日~10日目
- 11日目
- 八甲田雪中遭難事件の犠牲者
- 八甲田雪中遭難事件の生存者とその後
- 八甲田雪中遭難事件の生存者
- 生存者のその後
- 遭難事件の救助活動
- 捜索方法
- 遺体収集
- 遭難事件の原因
- 気象条件
- 情報収集不足
- 軽装備
- 指揮系統の混乱
- 認識不足
- 八甲田雪中行軍事件の悲惨な状況
- 八甲田雪中事件の疑問点
- 弘前隊は遭難者を目撃していた?
- 山口少佐の他殺説
- 八甲田山は現在心霊スポットに
- 遭難者たちの霊の目撃情報
- 陸上自衛隊員の体験談
- 謎の119番通報
- 慰霊碑近くの寮に現れる霊
- 城ヶ倉大橋は自殺の名所
- 史上最大級の山岳遭難事故
情報収集不足
via pixabay.com
そして青森隊には八甲田山周辺の地理や気候に詳しい者がほとんど居なかった事も要因として挙げられるでしょう。
天候の悪化を懸念して、途中に村民らから中止や案内人の申し出があったにも関わらず、それらを断って強行しているのです。
そりゃあ、行軍するとなれば悪天候の中で決行する方が都合は良いでしょうが、その結果で亡くなってしまっては意味がありません。
天候の悪化を懸念して、途中に村民らから中止や案内人の申し出があったにも関わらず、それらを断って強行しているのです。
そりゃあ、行軍するとなれば悪天候の中で決行する方が都合は良いでしょうが、その結果で亡くなってしまっては意味がありません。
軽装備
via pixabay.com
また、この情報力の不足と八甲田山における認識不足から、青森隊は寒冷地仕様とは思えない軽装で臨んだとされています。
靴下や軍手などの予備も準備せず、凍傷予防の知識もまったく無かったと言うのですから、自ら死にに行くようなものです。
将兵らは少し厚着をしていたものの、下士官兵卒らのほとんどが2枚の重ね着程度の防寒装備であったのです。
靴下や軍手などの予備も準備せず、凍傷予防の知識もまったく無かったと言うのですから、自ら死にに行くようなものです。
将兵らは少し厚着をしていたものの、下士官兵卒らのほとんどが2枚の重ね着程度の防寒装備であったのです。
指揮系統の混乱
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青森隊の総指揮者は、この行軍における隊長であった神成大尉であり、それに山口少佐をはじめとする少数の大尉や伍長から形勢されていました。
しかし、神成大尉が総指揮者とは言え、実際の階級やこれまでの職歴からいくと、実は山口少佐の方が上司にあたるのです。
このことから神成大尉ではなく山口少佐が独断で指揮をとっていたとの証言が残されており、統率がとれていなかった事が分かります。
しかし、神成大尉が総指揮者とは言え、実際の階級やこれまでの職歴からいくと、実は山口少佐の方が上司にあたるのです。
このことから神成大尉ではなく山口少佐が独断で指揮をとっていたとの証言が残されており、統率がとれていなかった事が分かります。
認識不足
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先ほどでも前述したように、厳寒地とも言える八甲田山での認識や知識が乏しかった点は非常に大きな原因となるでしょう。
行軍の参加者のほとんどが宮城県や岩手県の平地農家の出身だったのです。それらの地域の雪は湿雪ですから、そもそも雪の性質が全く異なるのです。
寒冷地における認識不足と防寒への知識の乏しさが明暗を分ける結果となってしまいました。
行軍の参加者のほとんどが宮城県や岩手県の平地農家の出身だったのです。それらの地域の雪は湿雪ですから、そもそも雪の性質が全く異なるのです。
寒冷地における認識不足と防寒への知識の乏しさが明暗を分ける結果となってしまいました。
八甲田雪中行軍事件の悲惨な状況
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あまりの寒さから気温を測定して記録する事も出来なかった青森隊は、皆が低体温症に陥っていました。低体温症を起こすと、様々な幻覚を見たり、精神に錯乱を来します。
手が思うように動かずにズボンのボタンを外せず、そのまま大便する事となった兵も居れば、放尿の瞬間に陰部まで凍り、悶絶の中死んで行く者も居たのです。
手が思うように動かずにズボンのボタンを外せず、そのまま大便する事となった兵も居れば、放尿の瞬間に陰部まで凍り、悶絶の中死んで行く者も居たのです。
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頭から下が雪に埋もれていた者に軍医が気付け薬を注射しようとしても、皮膚までが凍っていた為に注射針が折れてしまう出来事もあり、仕方なく口を開かせて口腔内に注射するシーンもありました。
飢えや疲労から視力にも異常を来し、ただの枯れ木を応援部隊と勘違いして喜び、そのまま死にゆく者も居たのです。想像しがたい悲惨な状況であった事が分かります。
飢えや疲労から視力にも異常を来し、ただの枯れ木を応援部隊と勘違いして喜び、そのまま死にゆく者も居たのです。想像しがたい悲惨な状況であった事が分かります。
八甲田雪中事件の疑問点
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この八甲田雪中行軍遭難事件には、数々の疑問点も残されています。軍側から情報操作されていたり隠された事実があったりとも囁かれています。
そんな裏話の中から、特に有力な2つのエピソードをご紹介します。
そんな裏話の中から、特に有力な2つのエピソードをご紹介します。
弘前隊は遭難者を目撃していた?
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弘前隊が青森隊の遭難を、田茂木野に着いてから知ったものとされていますが、実は途中で遭難中の青森隊を目撃していた説があるのです。
これは、隊員の日記や案内人による証言、従軍の記事にも記されているのです。遭難者の顔を確認するべく軍帽を外すと顔の皮膚まで剥がれたとの記述もあります。
これらは軍による命令から口外する事を禁じられていましたが、のちに遭難者を目撃するも無視して通過した事が第5連隊の体験談として資料が見つかりました。
これは、隊員の日記や案内人による証言、従軍の記事にも記されているのです。遭難者の顔を確認するべく軍帽を外すと顔の皮膚まで剥がれたとの記述もあります。
これらは軍による命令から口外する事を禁じられていましたが、のちに遭難者を目撃するも無視して通過した事が第5連隊の体験談として資料が見つかりました。
山口少佐の他殺説
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また、山口少佐の死因についても遭難事件後に様々な説が浮かんできたのです。公式発表での死因は、心臓麻痺だとされています。
しかし、ピストルで自殺した説や、一連の責任を負わす為に軍に暗殺された説、クロロホルムによるショック死説なども噂されています。
ピストル自殺説が有力とされていましたが、山口少佐は救助された際に膝下と肘下に重度の凍傷を負っており、手や指も膨張していた為、自殺は不可能だともされています。
しかし、ピストルで自殺した説や、一連の責任を負わす為に軍に暗殺された説、クロロホルムによるショック死説なども噂されています。
ピストル自殺説が有力とされていましたが、山口少佐は救助された際に膝下と肘下に重度の凍傷を負っており、手や指も膨張していた為、自殺は不可能だともされています。
八甲田山は現在心霊スポットに
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現在においては八甲田山と聞くと、イコール心霊スポットだと認識している方が多いでしょう。大きな山では何処でも心霊系の話は付き物ですが、八甲田山はまた一味違うものです。
これだけ悲惨な遭難事故が起こり、これだけ多くの人々が死んで行ったのです。当時における戦死などの英雄や勇姿ではなく、不本意かつ飢えと寒さで苦しみ死んで行ったのです。
やはり沢山の未練も悔しさもあるでしょう。それらが霊となってさまよっているのも納得できる話です。八甲田山の心霊現象には、どうしてもこの遭難事件との結び付きがあるように感じます。いくつか心霊エピソードをご紹介しましょう。
これだけ悲惨な遭難事故が起こり、これだけ多くの人々が死んで行ったのです。当時における戦死などの英雄や勇姿ではなく、不本意かつ飢えと寒さで苦しみ死んで行ったのです。
やはり沢山の未練も悔しさもあるでしょう。それらが霊となってさまよっているのも納得できる話です。八甲田山の心霊現象には、どうしてもこの遭難事件との結び付きがあるように感じます。いくつか心霊エピソードをご紹介しましょう。
遭難者たちの霊の目撃情報
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