2019年6月14日 更新

八甲田雪中行軍遭難事件の全容!心霊スポットとなった八甲田山の現在

死の行軍とも呼ばれる史上最大級の山岳遭難事故、八甲田雪中行軍遭難事件の悲惨な全貌を徹底解説!生存者の証言から一行が辿ったルートを具体的にご紹介します。現在は心霊スポットともなった八甲田山と、この凄惨な事件との関連性についても深掘りしていきます。

Celebration Christmas Darkness - Free photo on Pixabay (318025)

隊は第二露営地を鳴沢付近の窪地に定めます。行軍はなんと14時間半に及んだにも関わらず、進軍出来たのは第一露営地から直線距離にしてたったの700mに留まったのです。

ここで例によって雪壕を掘って露営しようとするも、その道具を持っていた者は全員落伍で行方不明状態となっており、そのまま吹雪の中で露営する事となってしまったのです。微量にも食料は残っていたものの、ほとんどが凍結している事態です。

この時、あまりの寒さで体感温度はマイナス50度近くであったと言い、不眠と空腹も加わった事から多くの兵が凍死していきました。この第二露営地は、同遭難中で最多の死傷者を出す事となったのです。

3日目

Military Men Departing Service - Free photo on Pixabay (317987)

3日目、凍死者の続出から予定を変更して3時頃に馬立場の方を目指して出発しますが、この時既に行方不明者を含めて死者は70名を超えていました。生存している者もほとんどが凍傷になり、当てなく彷徨う事となります。

四方の行く道を遮られ、将校たちは協議の末に部隊の解散を発表します。各自で進路を確保して帰還するよう命じましたが、この時に悪夢のような光景が繰り広げられる事となるのです。

この言葉に続いて大尉からの「天は我らを見捨てたらしい」との言葉を聞いた兵らは、これまで何とか自身を奮い立たせて頑張ってきた糸が切れ、狂行に及ぶ者が続出したのです。
Fantasy Spirit Nightmare - Free photo on Pixabay (322281)

凍傷から着衣のままに放尿し、そのまま陰部が凍結して死に至ったり、希望を叫んで川に飛び込む者や銃剣で木を切りつける者、この極寒の中に服を脱ぎ出す者など発狂する兵らで溢れかえったのです。

八甲田雪中行軍遭難事件に基づいた映画がありますが、このシーンが特にセンセーションで、あたり一面吹雪の中で兵がふんどし一丁で発狂しているワンシーンはとても有名です。

これによって約30名が凍死し、十数名が行方不明となってしまったのです。実質バラバラとなった隊の中で帰路を見出した班もあり、この時点で初めの3分の1ほどの60〜70名となっていました。

第3露営地

Wood Woods Saw - Free photo on Pixabay (318029)

行軍を再開した隊は中ノ森東方山腹に達したものの、途中で行方不明になる者もおり、医療班たちも限界に達してとうとう自身らも倒れてしまいました。

残された倉石大尉はカヤイド沢に降りて按木の森付近を第三露営地に定めるも、バラバラとなった部隊は伝令を送っても集まるはずはなく、合流を果たせた山口隊と露営する事となります。

ここでも互いに眠らないように叩きあったり叫んだりと必死で凍死を回避し、既に亡くなった者の背嚢を燃やして暖をとったのも虚しく、多くの兵が凍死していったのです。

4日目

The War Military Defense - Free photo on Pixabay (317989)

4日目となる1月26日、将兵らは既に約30名までに減っていました。隊列を成す事もままならず、階級や所属など関係なく「動ける者は後に続く」状態で前方高地を偵察しながら進んでいきます。

飢えや寒さで昏睡状態に陥ったものの、運よく凍死せずにこの日の朝に目覚めた後藤伍長は、神成大尉と鈴木少尉らと出会え、共に行動するようになります。極限状態から2時間の距離を1日かけて到着し、賽の河原の間で露営を決定します。

この日に60名ほどの救援隊が屯営を出発しましたが、案内人となる村民がなかなか調達出来ず、またマイナス14度の悪天候であった為に捜索を打ち切っていました。

5日目

Mount St Helens Volcanic Eruption - Free photo on Pixabay (317991)

生存者のうち、後藤伍長を含む神成大尉率いる数名は田茂木野へ、山口少佐を含んだ倉石大尉率いる20名は青森を目指し、二手に別れて進む事が決定しました。

しかし進んでいく中で倉石班は懸崖にはまって難航してしまい、神成班も猛吹雪に直面した為に落伍者が続出し、4名となってしまったのです。ここで、神成大尉は後藤伍長に救援要請を命じます。

一方、捜索活動を再開した救援隊は午前10時半頃に大滝平付近の小隊を発見します。大雪の中で立ったままの後藤伍長を発見するも、その近くで神成大尉は遺体として発見されました。

6日目

Soldier Military Uniform - Free photo on Pixabay (317992)

倉石班の方はこの日、佐藤特務曹長が発狂し、他の兵らと共に川へ飛び込んだ末に岩に引っかかって凍死します。その後、倉石大尉は数名の兵を連れて崖穴に入るのですが、山口少佐は危険である川岸から動こうとしないのです。

より安全である崖穴の方へ招くも、山口少佐は「吾は此処にて死せん」として拒んだと言います。この時、他の兵らと比べて動けていた山本徳次郎が山口少佐に水を与える役目として付いていました。

そしてこの日、弘前31連隊は八甲田山を逆方面より行軍してきており、露営していた田代から田茂木野まで行軍を続けます。

7日目

Mountains Snow Winter - Free photo on Pixabay (318037)

7日目となる1月29日、弘前31連隊は強行軍の末に田茂木野に到着し、小休止を挟んだのちに再び出発し、同日午前7時20分に青森駅前に到着しました。

一方で神成班は救援隊が神成大尉、及川伍長の遺体収容を行なっていました。そして歩哨の詰め所となる各哨所も完成しました。

8日目

Mountains Ridge Valley - Free photo on Pixabay (318044)

8日目にして、数も少なくなった倉石班に、後藤惣助一等卒が合流する事となります。

そして4度目の露営地としていた付近でもあり、これまでに多くの村人たちが凍死したとされて名付けられた賽の河原で、中野中尉ら36名の遺体を救援隊たちが発見します。

9日~10日目

Gear Middle Ages Soldiers - Free image on Pixabay (317994)

駒込川、大滝平付近で救援隊らが山口少佐を含む9名の生存者を発見します。また、鳴沢付近では捜索に加わった人夫がウサギを追う内に炭小屋で生存者2名も発見されました。側には数時間前まで生きていた者の遺体もあったそうです。

この鳴沢では他にも33名の遺体が発見され、大滝平付近では鈴木少尉の遺体も発見されます。これらについて、捜索がもう一日早ければ助けられた命もあったと将校らがコメントを残しています。

午後3時頃には、崖を登っていた倉石大尉や伊藤中尉の4名が発見され、合計して9名の救助がされたものの救出後に死亡した者も多く、山口少佐もその一人です。翌日には新たに20名余りの遺体が発見されました。

11日目

Wintry Backcountry Skiiing Ski - Free photo on Pixabay (318060)

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