2019年9月22日 更新

犯人矢野富栄死亡で残された謎!島根女子大生死体遺棄事件

日本中を震撼させた島根女子大生死体遺棄事件。何の罪も無い大学生が犠牲になったこの事件の犯人・矢野富栄は母親を道連れに事故死していました。この記事では、そんな犯人の前科についてや、在日韓国人だったという噂の真相を見ていきながら、事件について紹介していきます。

目次

中学生になった矢野は大人しく真面目な性格で、スポーツ万能なうえ勉強もできる優秀な生徒だったといいます。小学生から柔道をやっていたこともあってか、体格はがっちりして筋肉質、部活は陸上部に所属していました。

大人しいといっても、極端に根暗だったというわけではなかったようで、部活の合宿で行った海でウニを踏んでトゲが刺さったエピソードから、「ウニ」というあだ名を付けられていじられるなど、中学生らしい明るい一面もあったようです。

高校時代

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中学卒業後、矢野は北九州市にある高校に進学します。高校に入ってからも矢野の人となりは相変わらず、真面目で成績優秀。理系の特進クラスに所属していました。

高校でも陸上部に所属しており、スポーツ万能、ルックスも端正でしたが、大人しく物静かな性格で、積極的に異性と話すようなことは無かったといいます。

その性格は真面目過ぎて堅苦しいくらいだったため、いくら文武両道で容姿が整っていても、女子からちやほやされたり、クラスで人気者になるということは無かったようです。

また、当時の同級生が言うには、基本的に大人しい性格ではあったが、冗談が通じず、からかったりすると急にキレだすような一面もあったといいます。

防衛大学校に合格

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成績優秀でスポーツ万能だった矢野富栄は、自衛隊の教育機関である防衛大学を受験します。この防衛大学は文武両道が求められ、偏差値も60前後と高いことからかなりの難関であることが分かりますが、矢野は見事にこの防衛大学に合格しています。

矢野の母親はこの件に関して、「息子が防衛大学に合格した」と嬉しそうに周囲に話していたようですが、結局矢野はこの防衛大学には入学しませんでした。矢野が防衛大学に入学しなかった理由については不明です。

国立大学の夜間部に入学

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防衛大学には入学せず、高校卒業後一年浪人することになった矢野は、その後、九州にある国立大学の夜間部に入学します。

真面目で大人しい性格として知られ、異性と話すことも苦手だったそれまでの様子とは一変し、大学時代の矢野はナンパや合コンに明け暮れるようになり、あまり勉強に身が入っていたとは言えないような状況でした。

結局、矢野は一年浪人した末に入ったこの大学を途中で辞めてしまうことになるのですが、この頃から女性に対する異常なまでの執着心の片鱗を見せ始めていたようです。

バンド活動をしていた

Guitars Instruments Perform - Free photo on Pixabay (650884)

大学を中退した後、地元である下関市に帰った矢野はアルバイトとして働きながら友人とバンド活動を始めます。高校時代にもバンド活動の経験があったようで、ドラムとピアノの演奏ができたという矢野ですが、特にドラムの腕前はかなりのものだったらしく、なかなかの評判だったといいます。

結局、友人とケンカしたことがきっかけとなり、このバンドからは脱退してしまうのですが、その後も矢野は音楽活動を続けていたようです。

ラーメン店でアルバイト

Kitchen Work Restaurant - Free photo on Pixabay (651004)

大学を中退してからというもの、地元に帰った矢野は昼はコンビニ、夜はラーメン店と、かけもちでアルバイトをして生活していました。

このコンビニやラーメン店の情報やアルバイト時期についてなどの詳細は不明ですが、ある程度長い期間、真面目に働いていたことが伺えます。

後にソーラーパネルの会社に就職する際にも、「ラーメン店のアルバイトをすぐには辞められないから」という理由で入社時期をずらしてもらうなど、アルバイトに対しても真面目に取り組んでいたようです。

プロのドラマーとして活躍していた?

Drum Set Drums Musical Instruments - Free photo on Pixabay (650882)

友人とケンカ別れするような形でバンドを抜けた矢野は、その後一時東京に住んでいました。

バンドを脱退してからも音楽に対しての熱意を持ち続けていたようで、矢野本人のSNSでも音楽についての記述がたびたび見受けられることから、もしかしたら東京に行って音楽の世界で成功することを夢見ていたのかもしれません。

また、ドラマ-としての腕に定評があった矢野は、一部の噂ではプロドラマーとして活動していた時期があったという話もありますが、このことに関しては、活動についての情報が一切出てこないことからも、信憑性はかなり低いと思われます。

ソーラーパネル会社に就職

Tie Necktie Adjust - Free photo on Pixabay (650990)

大学を中退してからはアルバイト生活を続けていた矢野ですが、島根県での事件を起こす数ヶ月前、2009年の5月からは地元である下関市に本社を置く住宅関連の会社で働くことになります。

この会社で営業として働くことになった矢野は、ソーラーパネルを設置してもらうため一般家庭に飛び込み営業をかけるような仕事をしていました。

先にも述べたように、ラーメン店でのアルバイトとの兼ね合いもあり、時期をずらして入社することになった矢野ですが、その勤務態度はやはり真面目だったといい、この会社の社長は後に矢野について、「何百万円もするようなソーラーパネルの契約を、入社してからの数ヶ月で6本も取ってくるなど、営業成績も優秀だった」と語っています。

矢野富栄の家族構成

Sibling Children Family - Free photo on Pixabay (650999)

この島根女子大生死体遺棄事件のような重大な事件が起きた場合、加害者の家族は、連日の報道陣からの取材や周辺住民からの誹りを受けることは免れません。

そのため、事件後は人知れず行方をくらましたり、最悪の場合、自殺してしまったりするケースも少なくなく、そういった点では、加害者家族も犯罪の被害者であるということがたびたび言われています。

果たして、このような残虐な事件を起こした矢野富栄の家族は、どういった人生を送ることになったのでしょうか。

実家は米穀店、後に美容院

Haircut Hair Cut Beauty Salon - Free photo on Pixabay (651031)

矢野富栄が生まれ育った山口県下関市の実家は、祖父母の代から続く米穀店でした。特に悪い評判などはありませんでしたが、どこの町にも米を扱うスーパーやコンビニなどが当たり前にあるご時世ですので、個人経営の米穀店の経営はやはり厳しかったようです。

そのため、この店はその後母親がクリーニング店を開業し、さらにその後には矢野の弟が美容院を開くこととなりました。

なお、矢野は大学中退後、地元に戻って生活していた時期もありましたが、矢野本人が実家の店で働いていたということは無かったようです。

母親

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