目次
- 矢野富栄が起こした「島根女子大生死体遺棄事件」
- 島根女子大生死体遺棄事件の概要
- 2009年11月6日臥龍山山頂付近で女性の頭部が発見される
- 行方不明になっている19歳の女子大生と確認される
- 7日に左大腿骨の一部が発見される
- 8日に両手足の無い胴体部分が発見される
- 9日に左足首が発見される
- 19日に爪が発見される
- 特別報奨金制度が適用される
- 死体遺棄罪単体の公訴時効3年を迎える
- 7年間未解決事件として犯人逮捕に至っていなかった
- 犯人を特定するも既に死亡していた
- 被害者の平岡都さんについて
- 真面目な性格でトラブルはなかった
- 香川県の高校を卒業し島根の大学に進学
- 10月26日のバイト帰りに行方不明になった
- 連絡が取れなくなり捜索願いが出された
- 発見時の遺体の状況
- 頭部には踏まれた跡があった
- 左大腿骨は肉がそぎ落とされていた
- 胴体部分の内臓が取り出されていた
- 乳房が抉り取られていた
- 動物に食いちぎられた可能性も
- 残された犯人の手がかり
- 被害者の後を追う白い車
- 犯人が残した遺留品
- 学生寮の近くで靴が発見される
- 犯人・矢野富栄の生い立ち
- 1976年山口県下関市生まれ
- 中学時代
- 高校時代
- 防衛大学校に合格
- 国立大学の夜間部に入学
- バンド活動をしていた
- ラーメン店でアルバイト
- プロのドラマーとして活躍していた?
- ソーラーパネル会社に就職
- 矢野富栄の家族構成
- 実家は米穀店、後に美容院
- 母親
- 父親
- 弟
- 犯人矢野富栄の前科
- 2004年に3つの強制わいせつ事件
- 懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けていた
- わいせつ事件出所後の矢野富栄
- 下関市のライブハウスに訪れる
- mixiで「dr.よしゆき」として活動、ファンもいた?
- ソーラーパネル会社へ就職
- 島根女子大生死体遺棄事件を起こす
- 島根女子大生死体遺棄事件後の矢野富栄
- 被害者殺害後も出社していた
- 事件後に2日の休みを取っていた
- 出会い系サイトを利用していた
- 容疑者特定に至った経緯
- 前科のある人物の洗い出し
- 走行していた車両の存在
- 犯人が知人に漏らしていた言葉
- 押収されたUSBメモリーとデジカメ
- 島根女子大生死体遺棄事件に残った謎
- 被害者が選ばれた理由
- なぜ遺体を埋めなかったのか
- 島根女子大生死体遺棄事件の判決とその後
- 2012年に公訴時効を迎える
- 犯人・矢野富栄の死亡により不起訴処分に
- 「いのちと安全安心の日」が制定される
- 矢野富栄の死亡により事件は終結へ
- 遺体発見の2日後、11月8日に事故死
- ブレーキ痕・スリップ痕は無かった
- 母親が同乗していた
- 「墓参りに行く」と漏らしていた
- 無理心中をしたのではないかと囁かれている
- 母親は矢野富栄の犯行を知っていた?
- 犯人死亡により犯行動機、真相は闇の中へ
中学生になった矢野は大人しく真面目な性格で、スポーツ万能なうえ勉強もできる優秀な生徒だったといいます。小学生から柔道をやっていたこともあってか、体格はがっちりして筋肉質、部活は陸上部に所属していました。
大人しいといっても、極端に根暗だったというわけではなかったようで、部活の合宿で行った海でウニを踏んでトゲが刺さったエピソードから、「ウニ」というあだ名を付けられていじられるなど、中学生らしい明るい一面もあったようです。
大人しいといっても、極端に根暗だったというわけではなかったようで、部活の合宿で行った海でウニを踏んでトゲが刺さったエピソードから、「ウニ」というあだ名を付けられていじられるなど、中学生らしい明るい一面もあったようです。
高校時代
via pixabay.com
中学卒業後、矢野は北九州市にある高校に進学します。高校に入ってからも矢野の人となりは相変わらず、真面目で成績優秀。理系の特進クラスに所属していました。
高校でも陸上部に所属しており、スポーツ万能、ルックスも端正でしたが、大人しく物静かな性格で、積極的に異性と話すようなことは無かったといいます。
その性格は真面目過ぎて堅苦しいくらいだったため、いくら文武両道で容姿が整っていても、女子からちやほやされたり、クラスで人気者になるということは無かったようです。
また、当時の同級生が言うには、基本的に大人しい性格ではあったが、冗談が通じず、からかったりすると急にキレだすような一面もあったといいます。
高校でも陸上部に所属しており、スポーツ万能、ルックスも端正でしたが、大人しく物静かな性格で、積極的に異性と話すようなことは無かったといいます。
その性格は真面目過ぎて堅苦しいくらいだったため、いくら文武両道で容姿が整っていても、女子からちやほやされたり、クラスで人気者になるということは無かったようです。
また、当時の同級生が言うには、基本的に大人しい性格ではあったが、冗談が通じず、からかったりすると急にキレだすような一面もあったといいます。
防衛大学校に合格
via pixabay.com
成績優秀でスポーツ万能だった矢野富栄は、自衛隊の教育機関である防衛大学を受験します。この防衛大学は文武両道が求められ、偏差値も60前後と高いことからかなりの難関であることが分かりますが、矢野は見事にこの防衛大学に合格しています。
矢野の母親はこの件に関して、「息子が防衛大学に合格した」と嬉しそうに周囲に話していたようですが、結局矢野はこの防衛大学には入学しませんでした。矢野が防衛大学に入学しなかった理由については不明です。
矢野の母親はこの件に関して、「息子が防衛大学に合格した」と嬉しそうに周囲に話していたようですが、結局矢野はこの防衛大学には入学しませんでした。矢野が防衛大学に入学しなかった理由については不明です。
国立大学の夜間部に入学
via pixabay.com
防衛大学には入学せず、高校卒業後一年浪人することになった矢野は、その後、九州にある国立大学の夜間部に入学します。
真面目で大人しい性格として知られ、異性と話すことも苦手だったそれまでの様子とは一変し、大学時代の矢野はナンパや合コンに明け暮れるようになり、あまり勉強に身が入っていたとは言えないような状況でした。
結局、矢野は一年浪人した末に入ったこの大学を途中で辞めてしまうことになるのですが、この頃から女性に対する異常なまでの執着心の片鱗を見せ始めていたようです。
真面目で大人しい性格として知られ、異性と話すことも苦手だったそれまでの様子とは一変し、大学時代の矢野はナンパや合コンに明け暮れるようになり、あまり勉強に身が入っていたとは言えないような状況でした。
結局、矢野は一年浪人した末に入ったこの大学を途中で辞めてしまうことになるのですが、この頃から女性に対する異常なまでの執着心の片鱗を見せ始めていたようです。
バンド活動をしていた
via pixabay.com
大学を中退した後、地元である下関市に帰った矢野はアルバイトとして働きながら友人とバンド活動を始めます。高校時代にもバンド活動の経験があったようで、ドラムとピアノの演奏ができたという矢野ですが、特にドラムの腕前はかなりのものだったらしく、なかなかの評判だったといいます。
結局、友人とケンカしたことがきっかけとなり、このバンドからは脱退してしまうのですが、その後も矢野は音楽活動を続けていたようです。
結局、友人とケンカしたことがきっかけとなり、このバンドからは脱退してしまうのですが、その後も矢野は音楽活動を続けていたようです。
ラーメン店でアルバイト
via pixabay.com
大学を中退してからというもの、地元に帰った矢野は昼はコンビニ、夜はラーメン店と、かけもちでアルバイトをして生活していました。
このコンビニやラーメン店の情報やアルバイト時期についてなどの詳細は不明ですが、ある程度長い期間、真面目に働いていたことが伺えます。
後にソーラーパネルの会社に就職する際にも、「ラーメン店のアルバイトをすぐには辞められないから」という理由で入社時期をずらしてもらうなど、アルバイトに対しても真面目に取り組んでいたようです。
このコンビニやラーメン店の情報やアルバイト時期についてなどの詳細は不明ですが、ある程度長い期間、真面目に働いていたことが伺えます。
後にソーラーパネルの会社に就職する際にも、「ラーメン店のアルバイトをすぐには辞められないから」という理由で入社時期をずらしてもらうなど、アルバイトに対しても真面目に取り組んでいたようです。
プロのドラマーとして活躍していた?
via pixabay.com
友人とケンカ別れするような形でバンドを抜けた矢野は、その後一時東京に住んでいました。
バンドを脱退してからも音楽に対しての熱意を持ち続けていたようで、矢野本人のSNSでも音楽についての記述がたびたび見受けられることから、もしかしたら東京に行って音楽の世界で成功することを夢見ていたのかもしれません。
また、ドラマ-としての腕に定評があった矢野は、一部の噂ではプロドラマーとして活動していた時期があったという話もありますが、このことに関しては、活動についての情報が一切出てこないことからも、信憑性はかなり低いと思われます。
バンドを脱退してからも音楽に対しての熱意を持ち続けていたようで、矢野本人のSNSでも音楽についての記述がたびたび見受けられることから、もしかしたら東京に行って音楽の世界で成功することを夢見ていたのかもしれません。
また、ドラマ-としての腕に定評があった矢野は、一部の噂ではプロドラマーとして活動していた時期があったという話もありますが、このことに関しては、活動についての情報が一切出てこないことからも、信憑性はかなり低いと思われます。
ソーラーパネル会社に就職
via pixabay.com
大学を中退してからはアルバイト生活を続けていた矢野ですが、島根県での事件を起こす数ヶ月前、2009年の5月からは地元である下関市に本社を置く住宅関連の会社で働くことになります。
この会社で営業として働くことになった矢野は、ソーラーパネルを設置してもらうため一般家庭に飛び込み営業をかけるような仕事をしていました。
先にも述べたように、ラーメン店でのアルバイトとの兼ね合いもあり、時期をずらして入社することになった矢野ですが、その勤務態度はやはり真面目だったといい、この会社の社長は後に矢野について、「何百万円もするようなソーラーパネルの契約を、入社してからの数ヶ月で6本も取ってくるなど、営業成績も優秀だった」と語っています。
この会社で営業として働くことになった矢野は、ソーラーパネルを設置してもらうため一般家庭に飛び込み営業をかけるような仕事をしていました。
先にも述べたように、ラーメン店でのアルバイトとの兼ね合いもあり、時期をずらして入社することになった矢野ですが、その勤務態度はやはり真面目だったといい、この会社の社長は後に矢野について、「何百万円もするようなソーラーパネルの契約を、入社してからの数ヶ月で6本も取ってくるなど、営業成績も優秀だった」と語っています。
矢野富栄の家族構成
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この島根女子大生死体遺棄事件のような重大な事件が起きた場合、加害者の家族は、連日の報道陣からの取材や周辺住民からの誹りを受けることは免れません。
そのため、事件後は人知れず行方をくらましたり、最悪の場合、自殺してしまったりするケースも少なくなく、そういった点では、加害者家族も犯罪の被害者であるということがたびたび言われています。
果たして、このような残虐な事件を起こした矢野富栄の家族は、どういった人生を送ることになったのでしょうか。
そのため、事件後は人知れず行方をくらましたり、最悪の場合、自殺してしまったりするケースも少なくなく、そういった点では、加害者家族も犯罪の被害者であるということがたびたび言われています。
果たして、このような残虐な事件を起こした矢野富栄の家族は、どういった人生を送ることになったのでしょうか。
実家は米穀店、後に美容院
via pixabay.com
矢野富栄が生まれ育った山口県下関市の実家は、祖父母の代から続く米穀店でした。特に悪い評判などはありませんでしたが、どこの町にも米を扱うスーパーやコンビニなどが当たり前にあるご時世ですので、個人経営の米穀店の経営はやはり厳しかったようです。
そのため、この店はその後母親がクリーニング店を開業し、さらにその後には矢野の弟が美容院を開くこととなりました。
なお、矢野は大学中退後、地元に戻って生活していた時期もありましたが、矢野本人が実家の店で働いていたということは無かったようです。
そのため、この店はその後母親がクリーニング店を開業し、さらにその後には矢野の弟が美容院を開くこととなりました。
なお、矢野は大学中退後、地元に戻って生活していた時期もありましたが、矢野本人が実家の店で働いていたということは無かったようです。
母親
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