2019年9月22日 更新

犯人矢野富栄死亡で残された謎!島根女子大生死体遺棄事件

日本中を震撼させた島根女子大生死体遺棄事件。何の罪も無い大学生が犠牲になったこの事件の犯人・矢野富栄は母親を道連れに事故死していました。この記事では、そんな犯人の前科についてや、在日韓国人だったという噂の真相を見ていきながら、事件について紹介していきます。

目次

そして2009年10月26日、矢野は犯行に及びます。

矢野が既に死亡しているため、事件当日の矢野と平岡さんの詳細な足取りは分かっていませんが、遺体遺棄現場となった臥龍山に平岡さんの血痕が少ないことから、アルバイト先を出た平岡さんを車で連れ去り、どこかで首を絞めて殺害。その後に遺体をバラバラにして臥龍山に遺棄したと考えられています。

あるいは、以前の強制わいせつ事件のように、刃物を突き付け、脅して連れ去ったのかもしれませんが、いずれにしろ矢野は3年6ヶ月の懲役では全く更生などしておらず、その結果何の罪もない一人の女性が犠牲となってしまいました。

島根女子大生死体遺棄事件後の矢野富栄

Crime Criminal Murder - Free image on Pixabay (651042)

平岡さんを極めて残酷な手口で殺害した矢野富栄。普通に考えれば、そのような犯行をした後では、日常生活においても何らかの変化が現れて、いつも通りの生活が送れなくなったり、周囲の人から不審がられたりしそうなものですが、果たして矢野にそのような変化は見られたのでしょうか。

矢野富栄という男の異常性に迫るため、ここでは猟奇的な犯行をした矢野が、その後、仕事や私生活でどのようにふるまっていたかを書いていきます。

被害者殺害後も出社していた

Man Skull And Crossbones - Free photo on Pixabay (650995)

事件を起こした後も、矢野はそれまでと同じように会社に出勤していました。警察は矢野がこのように普段通りに生活していたことについて、周囲から怪しまれることを避けるためだった見ています。

平岡さんの両親は、平岡さんが消息を絶ってから2日後の10月28日には捜索願いを出していましたが、警察が公開捜査に踏み切ったのは11月2日と、矢野が犯行を起こしてから少々タイムラグがあり、テレビなどで事件のことが報道されるようになるまで様子を見ていたのかもしれません。

事件後に2日の休みを取っていた

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入社以来、矢野の勤務態度はいたって真面目で、それまで会社を休んだことは一度も無かったそうです。それは事件の直後も変わりませんでしたが、被害者の頭部が発見された11月6日の夜、矢野は勤務先の社長に電話をして、明日から2日間休ませてくれと言っています。

おそらく、テレビなどで報道された遺体発見の一報を見て休みを取ることにしたと思われますが、果たして矢野はこの2日間の休みを使って、最初から自殺することを考えていたのでしょうか?それとも逃亡を企てていたのでしょうか?

出会い系サイトを利用していた

Office Business Accountant - Free photo on Pixabay (650987)

考えられないことに、矢野は事件を起こした後に、出会い系サイトで知り合った女性と実際に会っています。矢野はこの時、女性と会って話をしただけだったようですが、その女性は、「サイト上では面白い人かと思ったが、実際に会ってみたら口数が少なかった」と、矢野の印象について語っています。

幸い、この女性に危害が及ぶことはありませんでしたが、もしかしたら2人目のターゲットを物色するために、この女性に会いに行ったのかもしれません。

容疑者特定に至った経緯

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この島根女子大生死体遺棄事件では、事件の発覚から犯人が特定されるまで実に7年もの歳月が経っています。その間も警察による捜査は続けられてきましたが、犯人に繋がる有力な手掛かりはなかなか見つけられず、いよいよ迷宮入りかとも思われました。

それでも最終的に犯人に辿り着いた警察の執念には感服しますが、なぜ7年前に起きた事件が時を経て進展し、既に死亡していた矢野富栄という男が捜査線上に浮かんできたのでしょうか。

ここでは、その犯人特定に繋がったとされている、いくつかの経緯について見ていきましょう。

前科のある人物の洗い出し

Sherlock Holmes Detective - Free image on Pixabay (651001)

実は事件発生から間もなく、警察は事件があった当日に浜田市を車で走っていたとして、矢野のことも調べていました。しかし、矢野の住んでいた場所と平岡さんの住んでいた場所にある程度距離があったことと、その時既に事故で死亡していたため、捜査対象から除外したというのです。

また、矢野が鳥取に住んでいた期間が半年足らずと短かったことも、矢野が犯人候補から外れたことの一因となったようです。

その後、過去に性犯罪歴のあった人物を再度洗い出していったところ、2004年に強制わいせつ事件を起こしていた矢野富栄という人物が浮かび上がってきました。

走行していた車両の存在

Auto Pkw Junkyard - Free photo on Pixabay (650985)

この事件は当初から車を使用しての犯行だと考えていた警察は、事件の前後に浜田市や臥龍山近辺を走っていた不審な車両の捜査も進めていました。

その中で、白いセダンが怪しいとされ、その車がトヨタのマークⅡであることも突き止めていましたが、結果としてそれが犯人に結び付くことはなく、その他にもいくつか不審な車両の情報があがっていましたが、どれも有力な手掛かりとなるには至らなかったようです。

そこで警察が改めて、現場近辺のナンバー自動読み取り装置「Nシステム」を解析したところ、事件当日に矢野の車が浜田市内や臥龍山近辺を走っていたことが分かりました。

犯人が知人に漏らしていた言葉

Lonely Man Sitting - Free photo on Pixabay (651029)

矢野は事件を起こした後、何食わぬ顔で会社に行っていたり、出会い系で知り合った女性と会っていたりと、一見大胆とも思えるような一面を見せていましたが、その裏で、知人に「とんでもないことをしてしまった」ということを漏らしていたともいいます。

ここまで残忍な犯行をした矢野に懺悔の気持ちがあったとも思えませんが、事件を起こしてから事故死するまでのおよそ2週間の間、決して穏やかな気持ちで過ごすことはできなかったということでしょう。

押収されたUSBメモリーとデジカメ

Digital Storage Media Flash Memory - Free photo on Pixabay (650908)

矢野が犯人ではないかと目星を付けた警察は、山口県下関市にある矢野の実家を家宅捜索し、遺留品のUSBメモリーとデジカメを押収します。その中から消去されていたデータを復元したところ、矢野の自宅の風呂場、遺体の解体に使ったと思われる文化包丁、そして、平岡さんの遺体が写った写真など57枚分のデータがありました。

これらのデータが決め手となり、捜査本部は既に死亡していた矢野富栄を2009年に起きた平岡都さん殺しの犯人であると特定しました。

島根女子大生死体遺棄事件に残った謎

Hacker Silhouette Hack - Free photo on Pixabay (651043)

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