2019年9月22日 更新

犯人矢野富栄死亡で残された謎!島根女子大生死体遺棄事件

日本中を震撼させた島根女子大生死体遺棄事件。何の罪も無い大学生が犠牲になったこの事件の犯人・矢野富栄は母親を道連れに事故死していました。この記事では、そんな犯人の前科についてや、在日韓国人だったという噂の真相を見ていきながら、事件について紹介していきます。

目次

2016年12月、ついに警察は2009年に起きた島根女子大生死体遺棄事件の犯人は矢野富栄であると特定するに至りましたが、この事件には未だ解明されていない不可解な点が多数残っています。

それらの疑問の答えは、既に死亡している矢野のみが知るところであり、解明にはさらに長い時間を要するのかもしれません。しかし、それらの疑問こそがこの事件の核心的な部分とも言え、その部分を解明して初めて事件の解決だと言えるのではないでしょうか。

被害者が選ばれた理由

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なぜ殺害されるのは平岡さんでなくてはならなかったのでしょうか?

警察は当初、あまりにも執拗に遺体を傷つけている点から、怨恨による犯行ではないかと考え、平岡さんと関わりのあった周囲の人間を中心に聞き込みをしていました。

ところが、犯人が特定されてみれば、犯人であった矢野と平岡さんに繋がりは無く、行きずりの犯行である可能性が高いということになっています。つまり、平岡さんが被害者に選ばれたことに理由など無かったということなのです。

一部では、平岡さんは「スリップノット」という海外のヘビメタバンドのファンであり、その点から、かつてバンド活動をしていた矢野と繋がりがあったのではないかとも言われています。

しかし、矢野がSNS上で好きなアーティストとして挙げていたのはJポップアーティストばかりであることから、この情報の信憑性は低いと言えます。

なぜ遺体を埋めなかったのか

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遺体発見現場となった臥龍山での検証によると、犯人は臥龍山の山頂付近にある車両転回場やそこに繋がる林道を走りながら、所々で停車し、遺体を捨てていったと考えられています。

周囲には遺体を埋めた形跡などは無く、地面の上にそのまま置いています。その結果として、第一発見者の男性に遺体が発見され、事件が明るみに出ることになるのですが、なぜ矢野は遺体を埋めて隠そうとはしなかったのでしょうか。

靴を警察が捜査するであろう平岡さんの寮付近に置いた点もそうですが、敢えて事件の発覚や遺体の発見を促している様子が見受けられます。

矢野が好きな本として挙げていた小説でも遺体を展示するような描写があることから、もしかしたらこの小説に触発されて、殺人や遺体損壊を美化するような考えを持つに至り、それ人に見せたいと考えたのかもしれません。

島根女子大生死体遺棄事件の判決とその後

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世界的に見ても安全な国であると言われている日本。この事件はそのような日本の安全神話を揺るがす程の衝撃を日本中、そして世界にまで与えました。

そのような事件を起こした犯人が特定されたともなれば、当然その判決は大きく注目されることとなりますが、既に矢野が死亡しているという状況で、事件はどのような終わりを迎えることとなるのでしょうか。

また、この事件が島根県浜田市という一つの街にどのような影響を与えることとなったのでしょうか?

2012年に公訴時効を迎える

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死体遺棄罪で捜査が始められたこの事件の発覚当初、当時の警察庁長官安藤隆春氏は、日本の治安に影響を与えかねない重大事件であるとして「警察の総力をあげて、早期に解決しなければならない」と述べていました。

しかし、2012年10月26日、犯人への手がかりは掴めないまま、死体遺棄罪としての公訴時効を迎えることとなってしまいます。

当初200人近く動員されていた捜査員も、公訴時効後は110人まで減り、真相究明は一層難しくなるかと思われましたが、それでも現場では必ず解決するという意志を共有していました。

犯人・矢野富栄の死亡により不起訴処分に

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事件発生から7年の歳月が経ち、遂に特定された犯人・矢野富栄はすでに死亡していました。

その後、捜査本部は矢野富栄を殺人、死体損壊、死体遺棄の罪状で松江地検に送致しますが、犯人死亡のため、不起訴処分となります。

事件がこのような結末を迎えたことに対し、島根県警浜田署署長は「動機の解明や容疑者の刑事責任を追及できないのは残念」とコメント。そして、犠牲となった平岡さんの遺族も、「言葉では表現できない怒り、悲しみ、憎しみ、苦しみをぶつける先がありません」と悲痛な胸の内について捜査本部を通してコメントしています。

「いのちと安全安心の日」が制定される

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平岡都さんが住んでいた島根県浜田市では、2010年9月22日、平岡さんの犠牲を悼み、二度とこのような悲惨な事件が起こらないようにと、事件のあった10月26日を「いのちと安全安心の日」と制定しました。

浜田市では毎年10月26日の「いのちと安全安心の日」に、犯罪のない安全で安心な街づくりを目指し、声掛け・あいさつ運動など防犯活動の強化を行い、また、平岡さんの通っていた島根県立大学で行われる追悼セレモニーには多くの人が集まり、その尊い犠牲を悼んでいます。

また、犯人特定の一報が出た折には、浜田市市長が哀悼のコメントを公表し、犯罪の無い安全で安心な街づくりへの意志を表明されています。

矢野富栄の死亡により事件は終結へ

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ここまで書いてきたように、犯人の矢野富栄は事件から間もなく、交通事故を起こし死亡していました。矢野が死亡したことは逃げたことと同義であり、本来、法に照らして厳正な裁きを受けるべき犯人が、このような形でいなくなってしまうというのは決して許されることではありません。

果たして、矢野の死は単純に事故によるものだったのでしょうか?はたまた自殺だったのでしょうか?ここでは矢野富栄がどのような経緯で死亡するに至ったのかを見ていきます。

遺体発見の2日後、11月8日に事故死

Car Accident Fire Street - Free photo on Pixabay (650887)

平岡さんの最初の遺体が発見された11月6日から2日後の11月8日午後、山口県美祢市を走る中国自動車道上で、一台の車が炎上事故を起こしていました。この事故を起こした車を運転していた人物こそが、島根女子大生死体遺棄事件の犯人である矢野富栄でした。

平岡さんの遺体が発見された11月6日の夜に、矢野は勤務先である会社の社長に電話をして2日間の休日取得を申請しており、事故を起こしたのはその休みの2日目となる日でした。

ブレーキ痕・スリップ痕は無かった

Accident Hit And Run Police - Free photo on Pixabay (650774)

この事故で、矢野の運転する車は中国自動車道を走行中、何度もガードレールにぶつかり、その後路肩に停車して炎上しました。

事故現場付近にブレーキ痕やスリップ痕のような、事故を回避しようとした形跡はなく、事故を担当した捜査員によると、事故に不審な点は無く、長距離運転による疲労が原因ではないかと考えられていたようです。

運転席で遺体となって発見された矢野の死因は、ぶつかった際の衝撃によるものではなく、炎上による焼死でした。

母親が同乗していた

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