2019年9月22日 更新

犯人矢野富栄死亡で残された謎!島根女子大生死体遺棄事件

日本中を震撼させた島根女子大生死体遺棄事件。何の罪も無い大学生が犠牲になったこの事件の犯人・矢野富栄は母親を道連れに事故死していました。この記事では、そんな犯人の前科についてや、在日韓国人だったという噂の真相を見ていきながら、事件について紹介していきます。

目次

当初この事件に関して警察は死体遺棄の容疑で捜査を続けていましたが、死体遺棄罪においては、犯行から一定期間が過ぎると起訴ができなくなるという公訴時効が3年と定められています。

当初は早期に解決されるかと思われたこの事件ですが、犯人に結び付く有力な手掛かりが無いまま、2012年10月26日に死体遺棄罪の公訴時効を迎えてしまいます。

そこで捜査本部は、容疑を時効の無い殺人罪へと変更し、事件が解決するまで捜査を継続する意志を発表しました。

7年間未解決事件として犯人逮捕に至っていなかった

Scam Hacker Security - Free photo on Pixabay (650775)

容疑を殺人罪に切り替えて捜査を継続していた警察ですが、あらゆる手を尽くしても有力な手掛かりを得ることはできず、島根女子大生死体遺棄事件は発覚から7年もの間、暗礁に乗り上げることとなってしまいます。

後に犯人の特定に至ることになりますが、なぜ7年もの時間がかかってしまったのかについては、現場、被害者生活圏、犯人生活圏の範囲が広域になっていたことも挙げられる一方で、そもそも警察の初動捜査にミスがあったのではないかとする声も出ています。

犯人を特定するも既に死亡していた

Handcuffs Caught Crime - Free photo on Pixabay (650769)

事件から7年もの月日が過ぎた2016年12月20日、捜査本部は捜査線上に浮かんだ、事件当時30代の会社員の男が事件に関わった可能性が高いと見て松江地方検察庁へと書類送検しました。

しかし、男は遺体発見から2日後の2009年11月8日に山口県内の高速道路上で事故死しており、この事件は被疑者死亡による不起訴処分という何ともやるせない形で収束してしまうこととなります。

こうしてこの事件の真実は永遠に失われてしまいました。

被害者の平岡都さんについて

Beautiful Young Girl - Free photo on Pixabay (650863)

この事件の犠牲者となったのは、当時島根県浜田市に住んでいた大学生の平岡都さんでした。勉強、仕事、恋愛と、これから多くのことを経験して、可能性に満ちた未来が待っているはずだった彼女の人生は、わずか19歳という若さで理不尽に奪われてしまいました。

被疑者死亡で真実がうやむやになってしまったことを一番嘆いているのは、他の誰でもなく犠牲者の彼女でしょう。

ここでは被害者となってしまった平岡都さんの人となりを見ていきながら、事件に巻き込まれることになってしまった経緯を探っていきます。

真面目な性格でトラブルはなかった

Girl Smiling Female - Free photo on Pixabay (650861)

平岡さんの人柄について、周囲の人が口をそろえて言うのは「真面目な性格だった」ということです。大学での授業の欠席はほとんどなく成績は優秀で、アルバイト先でも欠勤遅刻無く真面目な勤務態度だったと周囲の人は証言しています。

交遊範囲は大学のクラス、ゼミ、サークル、アルバイト先の友人などに限られ、特定の交際相手などもいなかったとのことです。

また、彼女の周囲で何かしらトラブルがあったという話も無く、警察にストーカー被害を届けていたというようなこともありませんでした。

香川県の高校を卒業し島根の大学に進学

People Men Women - Free photo on Pixabay (650868)

平岡さんは高校時代まで過ごしていた香川県坂出市の実家を離れ、島根県浜田市にある島根県立大学の女子寮で一人暮らしをするようになります。

小学生の頃から英会話を学び、高校時代にはアメリカでのホームステイを経験するなど海外に強い興味を持ち、将来はグローバルに活躍できる仕事をすることを夢見ていました。

また、貧困や飢餓問題について考えるサークル活動に参加し、留学のための資金を貯めるためアルバイトに励むなど、夢の実現に向けてとても充実した大学生活を送っていたようです。

10月26日のバイト帰りに行方不明になった

Chains Feet Sand - Free photo on Pixabay (650767)

平岡さんは浜田市内のショッピングセンター内にあるアイスクリームショップで週3日程アルバイトとして働いていましたが、アルバイト先から寮への帰り道の途中には、街頭も少ない曲がりくねった山道があり、平岡さんは不安を覚えていたといいます。

また、アルバイト帰りによく一緒に帰っていた友人が辞めてしまったこともあり、平岡さんも10月28日の勤務を最後にこの店を辞める予定でした。

しかし、この店での勤務もあとわずかに迫った10月26日、店を出た平岡さんは行方不明となってしまいます。平岡さんは店を出た後、ショッピングセンター内の防犯カメラにはその姿が写っていましたが、普段の帰り道のルート上にあるカメラには写っていなかったことから、その日は別のルートを利用したとも考えられています。

連絡が取れなくなり捜索願いが出された

Iphone Smartphone Apps Apple - Free photo on Pixabay (650988)

三人兄弟の長女で面倒見が良く、他の家族とも仲が良かった平岡さんは、実家を離れて一人暮らしを始めてからも、連休には実家に帰省し、普段から母親へのまめな連絡をしていました。

そんな彼女に母親は10月27日の夕方にメールを送りましたが、返信がありませんでした。その数日前にメールを送った際にはすぐ返信があったこともあり、不審に思った母親が何度か電話をかけましたが、平岡さんが電話に出ることはありませんでした。

いよいよ心配になった母親が寮に電話をしたところ、前日から戻っていないことが分かり、家族は島根県警浜田署に捜索願を出しました。

その後の捜査で、平岡さんは25日から26日にかけて、島根県内の動物愛護団体宛に、「動物愛護活動のボランティアをしたい」という内容のメールを送信していたことが分かっています。

発見時の遺体の状況

Squad Car Police Lights - Free photo on Pixabay (650894)

この事件が日本の犯罪史上においても類稀な事件と言われるのは、遺体をバラバラに解体しているのみでは飽き足らず、口にすることも憚られるようなおぞましいまでの遺体損壊行為をしている点にあります。

あまりにも執拗に遺体を傷つけた形跡が見られたことから、警察は当初、強い恨みを持つ人間による犯行と考え、被害者と関わりのあった人間を中心に捜査をしていたほどでした。

ここでは、発見時の遺体の状況について詳しく書いていきます。

頭部には踏まれた跡があった

Shoe Print Sole Reprint - Free photo on Pixabay (650760)

最初に発見された頭部は皮下出血などが多数見られ、被害者の生存中に激しく殴打したような形跡がありました。また目が充血していて顔全体もうっ血していることから首を絞められたと思われ、首を掻きむしったような跡もあることから被害者は絞殺されていて、その際激しく抵抗したと見られています。

複数の小さい突起跡があることから掌部分に滑り止めの突起が付いたタイプの軍手で押さえつけられたと見られ、さらには被害者の左頬には足で踏みつけたかのような跡があることからも、犯人の異常性が感じられます。

左大腿骨は肉がそぎ落とされていた

Mortality Skull And Crossbones - Free image on Pixabay (650762)

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