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ベトナム戦争から帰還したディアンジェロはその後、1968年8月からカリフォルニア州はロックリンにあるシエラ大学に入学しました。シエラ大学は難関大学というわけではなく、オープンカレッジという、高校卒業資格があれば基本的には誰でも入れる大学です。
社会人や海外からの留学生も多いシエラ大学で、ディアンジェロは警察科学を学びます。このことからディアンジェロが将来警察官になろうという夢を持っていたことが分かります。
社会人や海外からの留学生も多いシエラ大学で、ディアンジェロは警察科学を学びます。このことからディアンジェロが将来警察官になろうという夢を持っていたことが分かります。
1970年警察科学準学士号を取得
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1970年6月、ディアンジェロは入学からわずか2年で警察科学の準学士号を取得しシエラ大学を卒業しました。警察官になるべく大学で勉強する中で、ディアンジェロは科学捜査や犯罪地図、レポート作成などを学んだと思われます。
一連の勉強で学んだことは警察官にいなるために必要なものである一方、その後ディアンジェロが犯罪を犯す際に悪い意味で役立ってしまったのかもしれません。
しかし1974年から犯行を開始したディアンジェロは、大学卒業時の1970年の時点ではまだ、怪しい行動や問題行動で目立ったことなどはありませんでした。
一連の勉強で学んだことは警察官にいなるために必要なものである一方、その後ディアンジェロが犯罪を犯す際に悪い意味で役立ってしまったのかもしれません。
しかし1974年から犯行を開始したディアンジェロは、大学卒業時の1970年の時点ではまだ、怪しい行動や問題行動で目立ったことなどはありませんでした。
同級生と婚約
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シエラ大学卒業間際の1970年5月、ディアンジェロは大学の同級生ボニー・ジェンコルウェルと婚約しました。しかしその後婚約は破棄され、2人は結婚することはありませんでした。
破局の原因は分かりませんが、ディアンジェロが強姦中に「このやろう!ボニーめ!お前なんか大嫌いだ!」と言ったという、ゴールデンステートキラーの生存する被害者の証言があります。このことからディアンジェロがボニーに対して激しい憎悪の感情を持っていたことが分かります。
破局の原因は分かりませんが、ディアンジェロが強姦中に「このやろう!ボニーめ!お前なんか大嫌いだ!」と言ったという、ゴールデンステートキラーの生存する被害者の証言があります。このことからディアンジェロがボニーに対して激しい憎悪の感情を持っていたことが分かります。
1971年刑事司法で学士号を取得
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1971年、ディアンジェロはサクラメント州立大学でえ刑事司法の学士号を取得します。警察科学の準学士号に続き二つ目の学士号を取得したディアンジェロは勉強において優秀だったと思われます。
その後大学院課程を受講したディアンジェロは、ヴァイセイリアのセコイア大学に入学しました。セコイア大学は、ヴァイセイリア市にある唯一の公立大学でありコミュニティカレッジ(その地域に住み税金を払っている人のための大学)です。
セコイア大学卒業後ディアンジェロは警察の訓練を受け、ローズビル警察署で32週間のインターンシップを経て正式に警察官になります。
その後大学院課程を受講したディアンジェロは、ヴァイセイリアのセコイア大学に入学しました。セコイア大学は、ヴァイセイリア市にある唯一の公立大学でありコミュニティカレッジ(その地域に住み税金を払っている人のための大学)です。
セコイア大学卒業後ディアンジェロは警察の訓練を受け、ローズビル警察署で32週間のインターンシップを経て正式に警察官になります。
1973〜1976年警察署で勤務
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警察官となったディアンジェロは1973年〜1976年の間、ヴァイセイリア近郊の町エクセターの警察署に勤務することになります。人口1万人から成るその街は12万人というヴァイセイリアの地区の一つで、年間を通して日照時間をたくさん味わえる気候の良い地域です。
そんな街でディアンジェロは警察官として働き、その中でも窃盗事件を担当していました。エクセターという街の治安は良いということもなく、むしろあまり良くない場所だったようです。
そんな街でディアンジェロは警察官として働き、その中でも窃盗事件を担当していました。エクセターという街の治安は良いということもなく、むしろあまり良くない場所だったようです。
1973年シャロンと結婚し娘が誕生
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エクセターで警察官として働いていた1973年11月に、ディアンジェロはシャロン・マリー・ハドルという女性と結婚します。娘2人にも恵まれ順風満帆な結婚生活を送り続けるのかと思いきや、2人は1991年に別居します。別居までは家族4人でサクラメントに住んでいました。
また妻のシャロン・マリー・ハドルは結婚後、1982年に離婚弁護士になります。その道では優秀なエキスパートとして仕事をこなしていたようです。1991年からずっと別居状態だった2人ですが、2018年のディアンジェロ逮捕を受け離婚しました。
また妻のシャロン・マリー・ハドルは結婚後、1982年に離婚弁護士になります。その道では優秀なエキスパートとして仕事をこなしていたようです。1991年からずっと別居状態だった2人ですが、2018年のディアンジェロ逮捕を受け離婚しました。
万引きにより保護観察を宣告され警察を解雇される
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仕事の面でも順調だったディアンジェロは出世コースの先頭にいて、1976年には「強盗に関する共同対処プログラム」のリーダーに任命されることもありました。
しかしその後、カリフォルニア州内のゴールドラッシュの歴史いで有名な町、オーバーンに異動したディアンジェロはハンマーと犬の駆除剤を万引きしたことで、6ヶ月の保護観察処分と100ドルの罰金という罰を受けます。そしてディアンジェロはこの事件をきっかけに解雇されました。
しかしその後、カリフォルニア州内のゴールドラッシュの歴史いで有名な町、オーバーンに異動したディアンジェロはハンマーと犬の駆除剤を万引きしたことで、6ヶ月の保護観察処分と100ドルの罰金という罰を受けます。そしてディアンジェロはこの事件をきっかけに解雇されました。
1980年代の経歴ははっきりしない
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1986年5月4日を最後に犯行を辞めたディアンジェロでしたが、その理由は娘が誕生したことであることが推測されます。また別居後は、カリフォルニア州はサクラメントのシトラスハイツという場所に家を買ったようです。
警察官として働きながらも犯行を重ね、時に捜査をミスリードしていたディアンジェロの経歴は、1976年に警察を解雇されて以降よく分かっていません。しかし1986年の最後の犯行までディアンジェロが頻繁に犯行に及んでいたことは確かです。
警察官として働きながらも犯行を重ね、時に捜査をミスリードしていたディアンジェロの経歴は、1976年に警察を解雇されて以降よく分かっていません。しかし1986年の最後の犯行までディアンジェロが頻繁に犯行に及んでいたことは確かです。
ゴールデンステートキラーとして逮捕されるまで
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刑事司法の学士号も取得し警察官になったのにも関わらず、ハンマーと犬の駆除剤という中途半端なものを万引きし懲戒解雇となったディアンジェロ。そんな彼は警察官をクビになってから逮捕されるまで、どのようにして生計を立てていたのでしょうか。
1990年代からトラック整備士として働く
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1980年代の経歴はよくわかりませんでしたが、おそらく妻が弁護士であったことから生活には困らなかったと推測されます。しかし1991年の妻との別居から始まった1990年代、ディアンジェロはSave Supermarkets流通センターのトラック整備士として働き、2017年に退職しました。
また1996年、ディアンジェロはガソリンスタンドでお金を払わず逮捕されるという事件を起こしましたが、逮捕はされるも起訴はされませんでした。
また1996年、ディアンジェロはガソリンスタンドでお金を払わず逮捕されるという事件を起こしましたが、逮捕はされるも起訴はされませんでした。
娘及び孫娘と共に暮らしていた
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