2019年9月2日 更新

ゴールデンステートキラーの生い立ちとその動機は?裁判とその後も

殺人を含む計130件以上の罪を犯しながらも、逮捕されるまでに40年もかかったゴールデンステートキラーこと、ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ。彼が罪を重ねた動機とは一体なんだったのでしょう?生い立ちから裁判の行方まで、詳しく紹介します。

目次

慎重に、時にマスコミを煽るという大胆な行動を見せつつ犯行を重ねたゴールデンステートキラーこと、ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ。彼が行なった犯罪を紹介していきます。

12件の殺人

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1974年から1986年にかけてディアンジェロが犯した罪で、起訴にまで持ち込まれたのは12人の殺害容疑でした。ディアンジェロは強姦に抵抗する女性は容赦なく殺したと言われています。また、住居侵入の際出くわしてしまった男性住人を殺害したことからも、相手を殺すことにためらいがないことが分かります。

そんなディアンジェロは犯行当時警察官である立場を利用して、無実の人間に罪を着せようとしたり、捜査をミスリードするような卑劣な行為も行なっていました。

50件以上の性的暴行

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ディアンジェロが犯した性的暴行の件数は50件以上と言われています。しかしカリフォルニア州の法律によって、1970年代に犯した強姦の罪でディアンジェロを起訴することは残念ながら出来ませんでした。

生存している被害者は、犯人が常にスキーマスクを着用し、銃を所持していたと証言しています。時に犯行を中断して食事をとるといった余裕で異常な行動も見られ、被害者をロープで縛る手際も早かったようです。

また、犯人が夫の留守中に1人で留守番する妻を狙うといった報道がされた後は、逆に夫婦一緒の時を狙い、夫を縛り上げて妻を強姦するといった偏執的な犯行も見られました。

120件以上の不法侵入

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通帳や金目のものといった価値のあるものを盗むわけではなく、個人的で世間的に特に価値のないものをよく盗んだディアンジェロが行なった不法侵入の回数は推定120件以上とされています。

事件が頻発していた当時、近隣の人々は犯人への恐れから銃を用意したり番犬を買うなどして犯人を警戒しました。また捜査を進めるうち、犯人の手際の良さや武術や護身術に長けている部分が目立ち、警官による犯行も疑われました。

実際警察内部に犯人がいる、もしくは犯人に情報を流している人物がいることが疑われ、己の身の潔白を証明するために自らDNA検査する警官もいました。しかし警官の特権を利用したディアンジェロは、警官内部に向けられた疑惑の目も上手くかわしたのです。

ジョセエフ・ジェームズ・ディアンジェロの生い立ち

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猟奇的なシリアルキラー、ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ。凶悪な連続殺人鬼が誕生するには、多くの要素が関係しています。それは複雑な家庭環境であったり、生まれながらにしてサイコパスであったり様々です。

しかしシリアルキラーとなる原因の何かは、多くの場合生い立ちの中に隠れています。ではゴールデンステートキラーとなったディアンジェロは、どんな人生を歩んできたのでしょうか。

1954年ニューヨークで誕生

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ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロは、父ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ・シニアと母キャスリーン・ルイーズ・ボザンコの間に1945年11月8日にニューヨークのバースで誕生しました。

第二次世界大戦が終了した年に生まれたディアンジェロは、戦争の傷跡が残りながらも好景気へと一転し、急激な進化を遂げるニューヨークで幼少時代を過ごしました。

この時点ではまだ、人生に大きな影響を与えるような事件などは特に起こらず、普通の少年として生活していたようです。

ドイツ倉庫で姉妹が強姦されるのを目撃

Garage Door Texture Wooden Wall - Free photo on Pixabay (583946)

ディアンジェロには姉と妹、そして男兄弟が1人いました。ディアンジェロが9歳か10歳の頃、彼の人生に大きな影響を与える事件が起こりました。ある日ディアンジェロは、7歳の妹がドイツ空軍の倉庫で軍人に強姦されている現場を目撃してしまったのです。

ディアンジェロは強姦されている妹を助けたい気持ちがありましたが、それよりも恐怖が勝り、助けてあげるどころか、何もすることが出来ませんでした。この事件がディアンジェロにどのように影響したかは分かりません。しかし事件と無関係ということが出来ないほど、少年だったディアンジェロにとってショックな事件だったことは間違いありません。

中学に通い野球チームに所属

Softball Baseball Ball - Free photo on Pixabay (583947)

妹が強姦されるというショッキングなシーンを目撃したディアンジェロ。妹が負った心の傷はもちろん、ディアンジェロ自身も心に深い傷を負いました。しかしそのフォローをしてくれる人は誰もいませんでした。

心の傷はそのままに、ディアンジェロは1959年にランチョコードヴァのミルズ・ミドルスクール(中学校)に入学し、そこで野球を始めます。その後1961年にサクラメントにあるフォルサム・ハイスクール(高校)に入学しました。

米海軍に入隊

Military Usa Marines - Free photo on Pixabay (583949)

高校を卒業したディアンジェロは1961年9月に海軍に入隊しました。入隊した理由は分かりませんが、アメリカにおいて軍人は大切に扱われる存在です。戦争がこの世からなくならない限り仕事に困ることがないのも軍人の特徴です。

また軍人は志願してなるものなので、ディアンジェロも自ら志願して海軍に入隊したと思われます。

ちなみ軍人の給料は一番高い位の人で月収202万円(ボーネス含む年収約3000万円)、一番低い位の人で月収16万円(ボーナス含む年収約250万円)と言われおり、当時のディアンジェロの年収は年齢からしても250〜300万円位ではないかと推測できます。

ベトナム戦争などを経験

Apocalypse Disaster End Time - Free photo on Pixabay (583951)

ディアンジェロはその後ベトナム戦争へ従軍します。巡洋艦USSキャンベラとUSSピエモンテで22ヶ月間に渡り戦争に従軍したディアンジェロは、軍を辞める前に指を失いました。

「動くものは全部殺せ」というほど過酷で長い年月続いたベトナム戦争は、1955年に始まり1975年に終結しました。また、ベトナム戦争中期以後、アメリカでは殺人・強姦・窃盗・マリファナ・コカインといった犯罪は増加傾向にあり、この時期はちょうどディアンジェロが帰還した時期とも重なります。

多くのベトナム帰還兵は心身の障害や病気を患ったと言われていますが、ベトナム戦争での経験が、その後のディアンジェロの犯罪に影響を与えた可能性は否めません。

1968年大学に進学

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