2019年9月2日 更新

ゴールデンステートキラーの生い立ちとその動機は?裁判とその後も

殺人を含む計130件以上の罪を犯しながらも、逮捕されるまでに40年もかかったゴールデンステートキラーこと、ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ。彼が罪を重ねた動機とは一体なんだったのでしょう?生い立ちから裁判の行方まで、詳しく紹介します。

目次

2018年5月10日、4月の殺人罪の起訴に続き、サンタバーバラ郡地区検事局によって加えて4つの第1級殺人罪で告発されました。しかし、2017年以前の強姦事件の起訴の制限というカリフォルニア州の法律によって、ディアンジェロが犯した1970年代の罪は起訴されませんでした。

そして2018年8月には13件の誘拐と誘拐の試みの罪で再起訴されます。強姦罪での起訴ができないことから、ディアンジェロは最終的に13件の殺人と誘拐の罪でで起訴されました。

ゴールデンステートキラーのニックネーム

Night Comer Ufo - Free photo on Pixabay (583901)

事件がカリフォルニア内で頻発していた当時、それらの犯人は別々の人物であると考えられていました。先に記したようにゴールデンステートキラーという通称は、作家ミッシェル・マクナマラによって2013年に名付けられたもので、事件当時はマスコミによって他のニックネームが付けられていました。

それらニックネームは「イーストエリアの強姦魔」「オリジナルストーカー」「ヴァイセイリアの略奪者」「ダイアモンドノットキラー」とされ、犯行場所や犯行内容と大きく関係しているのです。

それぞれのニックネームについて紹介します。

イーストエリアの強姦魔

Hacker Attack Mask - Free photo on Pixabay (583904)

ディアンジェロは1976年からカリフォルニア州のサクラメントで犯行を繰り返し、マスコミによって「イーストエリアの強姦魔」というニックネームを付けられました。この時期の被害者は50人以上とされ、コントラコスタ郡、ストックトン、モデストといったカリフォルニアの他の都市での事件とも手口が共通していました。

この時期のディアンジェロの手口は、夜女性が1人で住む家に不法侵入しナイフなどで脅して強姦するというものでした。驚くべきことにディアンジェロはこの時期、イーストエリアの強姦魔としてマスコミ宛に手紙を書いたり直接電話をかけるといった挑発的な行為を行なって、より一層マスコミを騒がせました。

オリジナルナイトストーカー

Eery Fear Stalk - Free photo on Pixabay (583907)

ディアンジェロはイーストサイドの強姦魔としてサクラメントで強姦をはじめとする犯罪を繰り返した後、1979年から1986年までカリフォルニア州のサンタバーバラで犯行を繰り返しました。この時期のディアンジェロは「オリジナルナイトストーカー」と呼ばれ、世間を震撼させました。

というのも、ディアンジェロの犯行は時間とともに残忍さを増し、1979年には殺人を繰り返すようになっていたからです。強姦に対し抵抗するものは容赦無く殺害したと言われています。

1986年5月4日、自宅で1人でいた18歳の女性、ジャクリーヌ・リサークルスがオリジナルナイトストーカーに強姦された後、撲殺されました。その後オリジナルナイトストーカーことディアンジェロの犯行はピタリと止まったのです。

ヴァイセイリアの略奪者

Hand Fear Despair - Free photo on Pixabay (583909)

サクラメントでイーストエリアの強姦魔として犯行を繰り返すより前の1974年頃、ディアンジェロは同じくカリフォルニア州にあるヴァイセイリアという都市で犯罪行為を重ねていました。ヴァイセイリアでの活動がゴールデンステートキラーの始まりだったのです。

住居侵入、窃盗、強盗といった犯罪を繰り返したディアンジェロの犯罪件数は約100件に及び、当時マスコミは犯人を「ヴァイセイリアの略奪者」と名付けました。

そんな中、1975年にディアンジェロは侵入先で住人の男性に発見され男性を射殺するという事件を起こしました。この事件を境にディアンジェロはサクラメントへ犯行場所を移動したと思われています。そして驚くべきことに事件当時、ディアンジェロは現役のエセクター署の警察官だったのです。

ダイヤモンドノットキラー

Horror Face Forest - Free image on Pixabay (583910)

ディアンジェロはまた、「ダイアモンドノットキラー」とも呼ばれました。被害者を縛り付けた時のロープの結び方が玉結びで、その結び方を英語でダイアモンドノットと呼ぶことが、このニックネームの由来と言われています。

ディアンジェロは一軒家で一人暮らしの女性を狙い、家の周りをうろついたりして慎重に下調べをしました。被害者宅に「お前を殺す」と直接電話したこともあったとされています。

被害者宅に侵入後は、裸で寝室の前で被害者が起きるのを待ち、起きたらナイフで脅して強姦するというのが手口でした。時にうつ伏せにさせた被害者の背中に食器を置いて、動けないようにした状態で部屋を物色したこともあったようです。

ゴールデンステートキラーが逮捕された理由

Handcuffs Black Criminal - Free photo on Pixabay (583913)

繰り返した罪の多さと残忍さにも関わらず、約40年間も逮捕を免れ野放しだったデイアンジェロ。ついに2018年に逮捕・起訴された経緯と理由はいかなるものだったのでしょうか?それには科学の進歩のみならず、テクノロジーの進歩も大きく関係していました。

ゴールデンステートキラーが逮捕された理由を紹介します。

容疑者としてディアンジェロの名前はあがっていなかった

Wood Forest Light - Free photo on Pixabay (583914)

当初それぞれの地区での犯行は、別々の犯人によるものと思われていました。警察は事件当初から懸命な捜査を続けました。プロファイリングを参考にしたり目撃者の証言からスケッチを作成してみたりしましたが、結局あらゆる捜査の中でディアンジェロの名前は挙がりませんでした。

最終的な容疑者数は8000人にも及びましたが、アリバイやDNAの不一致といった理由から逮捕まで至る容疑者を見つけ出すことは出来ず、その間も真犯人であるディアンジェロは事件現場からそう離れていないカリフォルニア州の町で、のうのうと暮らしていたのでした。

ジョセフ・ニュートン・チャンドラー3世の身元の特定

Flowers Sky Nature - Free photo on Pixabay (583917)

そんな中2002年、クリーブランドの自宅でミステリアスな自殺を遂げたジョセフ・ニュートン・チャンドラー三世の捜査が、ゴールデンステートキラー逮捕に繋がることになります。元々DNAを基にした系譜学データベースはプライバシー保護といった問題から規制が多く、法医系譜学者及び捜査当局が捜査に利用することが出来ませんでした。

しかしジョセフ・ニュートン・チャンドラー三世の謎の多い自殺の捜査で初めて系譜学データベースを利用したことで、自殺者がインディアナ州出身のロバート・イバン・ニコルスで、1960年代に家族を捨てた後行方不明となっていたことが発覚したのです。

ニコルスが1970年代の時点で死後長年経過していた8歳の少年、ジョセフ・ニュートン・チャンドラー三世の身分証を持っていたことでミステリアスな自殺とされていましたが、この自殺事件で法系譜学と系譜学データベースの融合の成功が証明されたのです。

証拠品からDNAを採取

Microscope Research Lab - Free photo on Pixabay (584033)

ジョセフ・ニュートン・チャンドラー三世と思われた人物が、本当は別の人物だったことが証明されたことに大きな役割を果たした系譜学データベース。この事件を機に、それまでプライバシー問題などの規制からあった法医学と系譜学データベースの垣根を越えることが出来ました。

このことを受け、コールドケースと化したゴールデンステートキラー事件の捜査進展に系譜学データベースを役立てるべく、事件当時残されていたレイプキットに付着した犯人のDNAを再捜査することになったのです。

DNA家系図サイトへアップロード

Man Dna Spiral - Free image on Pixabay (583920)

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