2019年7月27日 更新

おせんころがし事件とは?犯人栗田源蔵の生い立ちや事件後の様子

おせんころがしとは、千葉県にある断崖絶壁付近の場所を指す通称名です。この場所は、悲しい言い伝えが残されているのですが、戦後、この場所で1人の男が犯した殺人事件も伴って、今では心霊スポットとして有名になりました。今回は、おせんころがし事件について紹介します。

目次

仙台拘置所に移されてから約1年後、東京拘置所時代から栗田源蔵を診ていた精神科医官が久々に面会した時の話によれば、栗田はげっそりと痩せ細り、泣きながら不安や恐怖などを訴えたと言います。

1ヶ月に1度ほど、誰かが死刑執行の為に連れ出される時の阿鼻叫喚の声を聞き続け、精神不安定に陥った栗田は、腹に誰かが乗ってくるという幻覚を見始め、恐怖心を募らせていたようです。時には、ガラスを割って自傷行為に走る程、おかしくなっていきました。

死刑執行されないように再審の申し立てを繰り返す

Judge Court Gavel - Free image on Pixabay (511318)

2つの裁判の1審で、いきなり死刑判決が下されてからの栗田は、弁護士の入れ知恵もあって何度も再審の申し立てを繰り返していました。

のちに栗田が精神科医官に語っていた話によれば、栗田は「死ぬのは怖くないが、死刑という罪状が付くと母や妹が悲しむ」と言っていたようです。しかし、仙台に送られてからの精神不安定を考えれば、やはり死にたくなかったのでしょう。

最終的に、逮捕されてから約2年後の、1954年(昭和29年)10月21日(木)に、栗田は突然控訴を取り下げた為、ようやく死刑が確定しました。

1959年栗田源蔵の死刑執行

Gallows Hang Penalty Capital - Free photo on Pixabay (511325)

一応のところ死刑を覚悟の上に控訴を取り下げ、刑が確定した後から栗田源蔵はどんどん弱っていきました。

その様子は先程述べましたが、幻覚や恐怖感などで辛かったのか「早く楽になりたい」と言ってみたり、「助けて下さい」と泣いて騒いだりとかなりな情緒不安定となっていたのです。

死刑当日、栗田がどのような状態だったのかは不明ですが、1959年(昭和34年)10月14日(水)、逮捕から約5年後に栗田源蔵の死刑が執行されました。19歳の頃軍を除隊されて命拾いしたはずの源蔵は、戦争が終わってから14年後に33歳でこの世を去ったのです。

栗田源蔵を苦しめた夜尿症とは?

Man Woman Toilet - Free image on Pixabay (511375)

栗田源蔵は、小さい頃からおねしょをする子供でした。彼が生まれたのは大正時代最後の年なので、当然オムツも布です。トイレも昔は外にあったり、電気があったとしてもとても暗く、昭和生まれの人であれば多少大きくなってからも、トイレが怖かったという人も多いでしょう。

現代のように、トイレトレーニングという言葉も無い時代、怖くてトイレに行くのを我慢しての「おねしょ」や、何かに夢中になっておしっこを漏らしてしまうという子もわりと多くいましたが、小学生に入れば、大抵の子供はおしっこを漏らすことが無くなります。

しかし、栗田源蔵は青年になっても、おしっこを漏らしてしまう夜尿症でした。ここでは、そんな栗田源蔵をも苦しめた夜尿症について説明していきます。

夜尿症の症状

Sleep Sleeping - Free vector graphic on Pixabay (511401)

夜尿症の定義としては、5~6歳を住んでも1週間に1回以上、睡眠中にお漏らししてしまうことが3ヶ月以上続くことです。夜尿症とは、文字通り、夜の睡眠中に無意識でおしっこをその場でしてしまうということです。

誰しも夢の中でトイレの夢や、おしっこをしている夢を見て、「ハッ!」と慌てて飛び起きたという経験が1度くらいはある人が多いでしょうが、夜尿症の症状としてはこのように気が付くことが出来ず、寝たまま漏らしてしまうのです。

夜尿症の原因

Testicles Testicular Cancer Penis - Free photo on Pixabay (511405)

夜尿症の原因は、泌尿器科で受診してみなければ人によって違いのあるものですが、大きく分けて3つの原因が考えられています。

まず1つ目は、尿の量が多いということです。つい寝る前に水分を多く取ってしまうのか、膀胱が小さめで尿を溜めておく量が少ないということが考えられます。次に、睡眠覚醒障害と言って、夜中に起きられず、排尿のサインを感じ取れないほど眠りが深いということが原因にもなります。

そしてもう1つは、排尿筋過活動というもので、神経的疾患から本人の意志とは関係なく膀胱が突然排尿活動をしてしまうというものです。栗田源蔵がどのパターンだったのかは不明ですが、現在は治療方法もあるので、不安な人は早めに泌尿器科への受診をしてみましょう。

栗田源蔵の手記「懺悔禄」

Pencil Notes Chewed Paper - Free photo on Pixabay (511411)

栗田源蔵は服役中、金が欲しかったのか、注目を集めたかったのかは分かりませんが、何故か今までの犯罪歴などを書いた、「懺悔禄」という手記を書いていました。

どこの出版社も売れないだろうと相手にしてもらえなかった為、出版することはできませんでしたが、1993年(平成5年)4月に出版された、蜂巣敦の著作「ドキュメント・連続少女殺人ー孤高の鬼・吹上佐太郎」という本の中に、栗田源蔵の懺悔禄が少し収録されています。

栗田はこの懺悔禄の中で、9歳の頃に近所の老人から「女とやるときは、叩いたり首を絞めるととても良い」と言われたということや、立件された事件以外にも人を殺しており、計11人の殺人を犯したということも書いています。しかし、それは嘘だったようなので、虚勢を張りたかったのかもしれません。

おせんころがしについて

Beautiful Cottage Rice Field - Free photo on Pixabay (511417)

栗田源蔵が3回目に犯した、母子を殺害した場所の名前から、「おせんころがし殺人事件」という名前が付けられたことは、冒頭でも紹介しました。

「おせんころがし」という響きからも、あまり良い印象のある通称ではありませんが、栗田がここで小林ふよのと子供達を殺す前、昔々にもとても悲しい事件があったのです。

ここでは、「おせんころがし」の由来となった惨劇と、現在の「おせんころがし」について紹介していきます。

おせんころがしとは?

Landscape Double Sun Rock Wall - Free image on Pixabay (512057)

おせんころがしとは、千葉県勝浦市の西側から現在の鴨川市へと続く、高い断崖のことです。真下には太平洋があり、崖の中腹には、石を削っただけというような簡易な旧国道が通っており、かつては交通の難所と言われた場所でした。

この旧国道は、かつて房総半島の東側の集落に続く道で、明治時代に整備されて行き来出来るようになったというところです。約4km程続くこの旧道では、転落事故も多かったと言われています。電気も無い時代は、夜に通るということは至難の業だったでしょう。

名前の由来

Bamboo Trees Girl Kimono - Free photo on Pixabay (512098)

おせんころがしという名前の由来は、この場所で崖から投げ捨てられ殺されてしまった、「仙(せん)」という娘の名前から来てきます。

この「お仙ちゃん」には、千葉県が公式で出している逸話と、千葉県勝浦市で出している逸話には多少の違いはありますが、昔話なのでどちらが正しいのかは分かりません。

その逸話とは、貧しい孝行娘が、代官に見初められるもなびかず、怒った代官に殺されてしまったというパターンと、お仙はその土地の豪族「古仙家」の娘で、年貢を高くした父に怒った村人達は、父を殺したつもりが、投げ捨てたのは身代わりに父の着物を着たお仙だったというパターンがあります。何れにせよ、お仙ちゃんが父親思いの優しい娘で、悲しい由来だということには違いがありません。

おせんころがしの現在の様子

Coast Shore Ocean - Free photo on Pixabay (512133)

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