2019年7月27日 更新

おせんころがし事件とは?犯人栗田源蔵の生い立ちや事件後の様子

おせんころがしとは、千葉県にある断崖絶壁付近の場所を指す通称名です。この場所は、悲しい言い伝えが残されているのですが、戦後、この場所で1人の男が犯した殺人事件も伴って、今では心霊スポットとして有名になりました。今回は、おせんころがし事件について紹介します。

目次

なんとか初めての屍姦を終えた栗田は、突然不可解な行動を開始します。軽くパニックを起こしたのでしょう、栗田は何故か突然、家の中にあった鍋や釜を探し出し、それを庭に次々と埋め始めました。

その作業を終えた後、最後に栗田は勝手口に回り、その場でなんと排便をしたのです。犯罪者心理的に、この何処かに排便をしていくという行為は、気を落ちつかせる為に犯罪者がよくする行為だと言われており、栗田も初めての屍姦に相当な動揺をしたのかもしれません。

排便後、栗田はようやく増山家を跡にしますが、鍋釜は埋めても、文子の遺体はそのまま放置して逃走しました。

事件詳細「おせんころがし殺人事件」

Moonlight Scotland Beach - Free image on Pixabay (506916)

すでに3人の女性を殺した栗田源蔵は、この時点で殺人容疑は掛けられていません。増山文子を屍姦した後、すぐに栃木県小山市から逃げたのか、しばらく滞在して窃盗を続けていたのかは不明です。

しかし、犯行後の意味不明な行動を考えると、心理的にはすぐに栃木を離れたのではないでしょうか?次に、栗田が行動を起こしたのは、秋になった同年1951年(昭和26年)10月10日(水)で、その時彼は千葉県にいました。

ここでは、栗田が犯した殺人事件を総称して呼ぶ「おせんころがし殺人事件」について詳細を解説していきます。

事件が起きた場所

Wales Welsh Sea - Free photo on Pixabay (508349)

10月10日(水)、この時栗田は千葉県上総興津駅周辺をウロウロしていました。何処で仕入れたのかは不明ですが、自転車に乗って窃盗の為の物色をしている最中だったということから、栃木から早めに千葉県内に滞在をしていたのかもしれません。

事件現場となる場所は、千葉県安房郡(現在の勝浦市)にある、「おせんころがし」と呼ばれる旧国道で、太平洋に向かう高さ数十メートルの断崖が、約4kmほど続いているところです。

子供を連れた母親に声をかける

Clock Old Station - Free photo on Pixabay (508346)

夜も更けた23時頃、興津駅の待合室に途方に暮れて座っている、母子の姿を栗田は見つけます。小山で増山文子を抱いてから約2ケ月、この間栗田が他の女を襲ったという話はありません。

栗田はやはり、この母親に突然欲情してしまったのです。母は「小林ふよの」という当時29歳の女性で、長男の幸男(当時5歳)、長女の幸子(当時7歳)、次女の幸江(当時2歳)を連れていました。

栗田は我慢出来なくなり、この母子に事情を聴くと、行商に出ている夫を訪ねようとしたところ、最終列車が出てしまったとふよのは答えます。栗田はそんなふよのに「家まで送る」と言って、共に移動を開始したのです。

女性にしつこく迫る

Black Shape Transport - Free image on Pixabay (508402)

栗田の誘いに、ふよのが何故従ったのかは不明ですが、終電も乗りそびれ、夫にも逢えず、宿代も無しだったと言われていることもあり、子連れでの移動に疲れていたのでしょう。

栗田は長男を自転車の荷台に乗せ、ふよのは長女の手を引き、次女をおんぶして栗田に付いて行きました。歩いている最中、栗田はふよのに対し「いい身体だ」「やらせろ」などの性欲を隠さず、しつこく迫り続けていたのです。

当時ふよのは、腹にも子供がいて9か月の身重だったという話もあり、そのせいか、それとも冗談だと思っていたのか、彼女の気持ちは分かりませんが、道中のらりくらりと栗田の誘いを断っていました。そもそもすでに連れている子供もいますし、その日会ったばかりの見知らぬ男なのですから、断るのは当然のことです。

子供達を次々と殺害

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途中、休憩がてらよった山小屋で1度襲われかけるも、ふよのは妊娠中を報告して栗田は止めたという話もありますが、深夜1時を回った頃、4人は「おせんころがし」まで来ていました。

駅を出てからすでに2時間程歩いて、栗田もさすがに疲れたのか、それとも性交させてくれないことに我慢出来なくなったのか、栗田は突然怒鳴り散らします。

「やらせてくれないなら殺してやる!」と言うや否や、まずは押して歩いていた自転車を倒して、落ちた長男の頭を石で何度も殴打し、崖下に棄てました。栗田は続けて、泣いて母親にしがみつく長女にも拳を浴びせ、そのまま崖下に棄てたのです。

女性を強姦し絞殺

Eye Manipulation Tears - Free photo on Pixabay (508493)

目の前で子供達が殴られ、次々と崖下へ棄てられていくのを見て、ふよのはショックと恐怖から、その場で腰を抜かしてしましました。

命乞いをするも、栗田は構わずその場にふよのを押し倒し、服を剥ぎ取って強姦したのです。目的をようやく果たした栗田は、容赦なくふみよの首を布で締めて殺害、そして崖下に棄ててしまいます。更に、横で寝ていた次女も、頭を殴った後に崖下に棄ててしまいました。

この状況から見て、ふよのが例え素直に初めから身体を許していたとしても、果たして命は助かったのでしょうか?栗田はすでに3人の女性を殺してきています。自分の犯行がバレるリスクを考えれば、やはりためらいなく殺してしまったと考えられます。

崖を確認し石で殴りつける

Cliff Ledge Wonder - Free photo on Pixabay (508514)

強姦したことを隠したいという心理は、次に栗田が取った行動からも感じられます。母子を崖下に棄てた後、栗田は遺体を確認する為か、自転車のランプを手に崖下を照らしました。

栗田が下をのぞき込むと、母と長男、次女の3人の姿が、崖の中腹に引っ掛かっていることを発見します。慌てた栗田は、ランプを持ちながら崖を降り、3人の元へと近づいていきました。

そして、石で3人の頭を激しく殴打し、死を確認してから崖下に落とすのではなく、遺体を重なるように置いてその場を立ち去ったのです。栗田はこの母子が、自殺や事故で死んだように偽装したのでしょうか?何れにしても、最後の事件を起こすまで、やはりこの殺人犯だとは疑われていません。

長女のみ助かる

Child Education Fear - Free photo on Pixabay (508549)

栗田は気付いていたのか、それとも海に落ちたとでも思ったのか、この時長女の遺体はありません。しかし、特に必死で探したなどの話は無いことから、深追いはしなかったのでしょう。

実はこの時、長女は崖からうまく滑り落ちるような形だった為、擦り傷程度の軽傷で済んでいました。頭も石ではなく、拳で殴られただけだったので生きていたのです。唯一の目撃者となる長女は、崖にある茂みの影で息を潜め、栗田の行動をずっと見ていました。

その後、栗田が立ち去った後、まだ7歳の女の子がどのように救出されたのかは不明ですが、助かって事件の証言をしています。しかし、やはりこの時も遺留物も無く、そもそもその日初めて会った男のことなど7歳の子に分かるはずもなく、栗田はまたしても逃れられたのです。

事件詳細【検見川事件(はやぶさの源)】

Thief Steal House - Free image on Pixabay (508618)

1948年(昭和23年)に交際相手2人を殺し、1951年(昭和26年)に主婦2人と子供2人の合計6人を殺していた栗田は、「おせんころがし殺人事件」の後も、まだ千葉県内をウロウロしていました。

3年間、未だ殺人罪で逮捕などをされていないことで、バレないという安心感や、開き直りの感情が出てきたのでしょう。しだいに不良グループでつるむようにもなり、窃盗を繰り返していたのです。

ここでは、最後に栗田が犯した殺人事件、「検見川事件」の詳細を紹介していきます。

事件の起きた場所

Room Bed And Breakfast Japan - Free photo on Pixabay (508709)

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