2019年7月27日 更新

おせんころがし事件とは?犯人栗田源蔵の生い立ちや事件後の様子

おせんころがしとは、千葉県にある断崖絶壁付近の場所を指す通称名です。この場所は、悲しい言い伝えが残されているのですが、戦後、この場所で1人の男が犯した殺人事件も伴って、今では心霊スポットとして有名になりました。今回は、おせんころがし事件について紹介します。

目次

年が明けて、1952年(昭和23年)1月13日(日)の深夜、栗田は千葉県検見川町(けみがわちょう:現在の千葉県千葉市花見川区)にいました。ちなみに検見川町は、おせんころがしの場所からは、約100km程離れた場所で、現在の列車でも2時間半程掛かります。

いつ頃この町に来たのかは不明ですが、栗田はこの日窃盗する家を物色中、目ぼしいターゲットを発見出来なかったのか、それとも手っ取り早く済ませたかったのか、以前窃盗に成功していた家を思い出します。

その家には、着物など金目の物が多かったということを想い出した栗田は、もう1度その家に侵入することを決めました。

事件発覚の経緯

Crime Fingerprint Magnifying - Free image on Pixabay (508761)

栗田が家に侵入すると、その場に主婦の鈴木きみという当時24歳の女性が寝ていました。彼女は栗田に気が付き、大声を上げた為、驚いた栗田は持っていた手拭いで、いきなりきみの首を絞めて殺してしまいます。

その騒ぎを聞きつけ飛んできた、当時同居していたきみの叔母である鈴木いわ(当時63歳)は、栗田に包丁で腹を刺されて死亡しました。

栗田は部屋から着物などを盗んだ後、きみの遺体を屍姦して逃走したのです。その2日後、近所の人が姿が見えないことを不審に思い、家を確認しに行ったところ、殺されている2人を発見し警察に通報しました。

発見された被害者の状況

Bed Culture Futon - Free vector graphic on Pixabay (508881)

近所の人が発見して警察が駆けつけたところ、きみさんの遺体は首を絞められた痕があり、下半身には強姦された形跡があったと言われていることから、下半身がはだけていたり、精子などの残留物があったのでしょう。遺体の上には、毛布が掛けられていました。

叔母のいわさんは、腹部に深い刺し傷があり血を流していたのです。やはり、いわさんの遺体にも布団が掛けられていたと言います。もちろん盗みの形跡も残されており、衣類が数点無くなっていることもこの時確認されています。

そして、この時の殺人で初めて刃物を使った栗田は、証拠となるのを恐れ持ち帰ってしまったのです。

「はやぶさの源」が容疑者に

Police Cop Uniforms - Free photo on Pixabay (508896)

警察が調べたところ、犯人が出入りしたのは、鍵が掛かっていない勝手口だったことが分かりました。しかし、この勝手口から外に出た場合、かなり複雑な路地に入り込む為、犯人は地理的に詳しい人物だということに絞られます。

更に、ここ最近周辺では窃盗が増えている実態と、鈴木家からも衣類等が盗まれていたことから、警察は最近つるみだした不良グループに眼を付けました。

調べてみると、「はやぶさの源」と呼ばれるリーダ核の栗田源蔵が前科者だったことや、秋田での窃盗で指名手配もされていることが判明したのです。警察は、栗田源蔵を容疑者としてターゲットを絞りました。

犯人逮捕までの経緯

Police Crime Scene Blue Light - Free image on Pixabay (508925)

仮出所してシャバに出てから約5年近く、東北から関東へと窃盗や殺人、強姦、屍姦などを繰り返し、自由を謳歌してきた栗田源蔵は、最後の殺人事件でいよいよ終焉の時が近付いていました。

今まで女性を襲う時は、誰かいたとしても幼い子供で、女性1人を黙らせることは簡単だったのでしょう。更にまだ戦後の混乱期で、夫が不在だったり、最初に殺された交際相手の女性2人も、両親は亡くなっていたということも考えられます。

しかし、最後の現場では大人の女性がもう1人いました。大声を出されて、相当パニックになったのでしょう。今まで使用したことのない刃物を使い、絞殺よりも残留物を残してしまった栗田に、いよいよ逮捕の時が迫っていました。ここでは、犯人逮捕までの経緯を紹介していきます。

はやぶさの源事件がきっかけとなる

Wanted Poster - Free image on Pixabay (509036)

はやぶさ源事件とは、先程紹介した検見川殺人事件のことです。栗田源蔵が鈴木家から逃走して逮捕されるまでの期間は、わずかに3日間ほどでした。

自ら犯した過去の窃盗や、食糧管理法違反などでの前科、そしてシャバに出てすぐに秋田で行った窃盗罪で、すでに指名手配されていたにも係わらず、千葉県で不良グループとつるみだしたことが仇になったのでしょう。

更に最後に殺された鈴木きみさんといわさんは、殺されてすぐに近所の人に発見される程、人との交流があったことで、今までの殺人事件とは違い、すぐに捜査が行われました。その為、栗田源蔵が早々に浮かび上がったのです。

義理弟の家にいた犯人を逮捕

Handcuffs Trouble Police - Free photo on Pixabay (509072)

栗田が最後に事件を起こした、千葉県検見川町には栗田の妹夫婦が住んでいたようです。妹の夫の家、つまり義弟の家を根城にして窃盗を繰り返してたのです。

1952年(昭和27年)1月16日(水)、警察は義弟の家にいた栗田源蔵を逮捕しました。情報があまりないので、確定は出来ませんが、始めは秋田の窃盗罪について指名手配されていた一件で逮捕されたのでしょう。

警察が来た時の栗田は、布団に包まって寝ていたそうです。しかし、この布団には血がついていました。

翌日犯人と断定される

Detective Clues Find - Free vector graphic on Pixabay (509108)

逮捕された時、布団に包まって寝ていた栗田源蔵でしたが、この時必死に隠しているものがありました。それは、鈴木いわさんを刺殺した時についた返り血です。更に布団の中からか、家の中でかは不明ですが、血の付いたアジ切り包丁も発見されてしまいました。

栗田は始め、鈴木さん達を殺害したことを否認します。しかし、栗田は被害者宅に、指紋を残していました。そして、栗田が包まっていた布団は、きみさんが寝ていた敷布団だったことが判明するのです。

結局、指紋も栗田と一致した為に、17日(木)に再逮捕されました。

逮捕公表後に類似事件の問い合わせが相次ぐ

Retro Telephone Dial Phone Vintage - Free image on Pixabay (509122)

逮捕され拘留された栗田は、その夜何故か熱を出したそうです。相当慌てたのか、逮捕されてしまった絶望感かは分かりません。

当初は秋田の窃盗罪と、検見川事件の殺人などの容疑で逮捕されていた栗田でしたが、栗田源蔵逮捕と、検見川事件が報道されると、全国から類似事件の問い合わせが相次ぎました。

その中に、栃木県小山で殺された増山文子さんの事件と、おせんころがしで殺された小林ふよのさん母子の事件についての話が入っていたことで、栗田が犯した数々の殺人事件が発覚したのです。

犯人・栗田源蔵の生い立ち

Watches Old Antique Time - Free photo on Pixabay (509130)

自分の欲望の為に女性を犯し、邪魔になったらさっさと殺害、追い打ちを掛けるように女性の遺体までを犯して更なる侮辱を与えた栗田源蔵。

逮捕された当時、栗田はまだ26歳の若者です。まだ短い人生の中で、栗田源蔵は何処から間違いを犯して悪の道へと突き進んでいったのでしょう。

果たして生まれた時から、凶悪で凶暴な性格だったのか?又は、後天的に何らかの環境や、心の変化が関係している可能性があったのか?それらを突き止める為に、ここでは栗田源蔵の生い立ちを詳しく検証していきます。

極貧家庭の三男として生まれる

Boy Child Cooperation - Free vector graphic on Pixabay (509133)

4 / 8

関連する記事 こんな記事も人気です♪