2019年7月27日 更新

おせんころがし事件とは?犯人栗田源蔵の生い立ちや事件後の様子

おせんころがしとは、千葉県にある断崖絶壁付近の場所を指す通称名です。この場所は、悲しい言い伝えが残されているのですが、戦後、この場所で1人の男が犯した殺人事件も伴って、今では心霊スポットとして有名になりました。今回は、おせんころがし事件について紹介します。

目次

おせんころがしは、現在旧道への道は通行止めとなっていますが、勝浦市には展望台が出来ています。太平洋を見下ろす絶景が広がり、お仙ちゃんを偲ぶ「孝女お仙の碑」も立てられる観光スポットとなりました。

絶景な場所のわりには、JR外房線行川アイランド駅から徒歩5~7分の場所にあり、駐車場やトイレもあるようです。しかし、由来や事件のことを考えると、昼間の明るい時間に観光するほうがいいでしょう。少し勇気がいるかもしれませんが、初日の出を見るのにも良い場所のようです。

心霊スポットとしても有名

Woman Sad Folklore - Free vector graphic on Pixabay (512145)

悲しい由来、そして悲惨な殺人事件、更にどちらも女性が亡くなっているとなれば、例え何も無かったとしても不思議と怖さを感じてしまうものです。更にこの場所は、転落事故や自殺も多いということから、様々な噂が今も飛び交っています。

おせんころがしは、観光地でもありますが、心霊スポットとしても有名な場所となっています。ユーチューバーも、数多くこの場所に肝試し映像を出すほど、夜になると途端に不気味な場所に見えるのでしょう。

心霊写真が取れた、誰かに足を引っ張られた、何かが落ちていく音を聴いた、具合が悪くなったなど、怖い話も絶えないところなのです。面白半分で夜に行くのは止めた方がいいかもしれませんね。

日本で有名な凶悪事件

People Knife Stabbing - Free photo on Pixabay (512159)

日本は世界から見れば、比較的治安の良い国と言えますが、それでも世の中全ての人が善人ではありません。最近では、核家族化や片親家庭、フルタイムで働く母親も増え、更に近所付き合いも希薄になって、誰とも合わない空白の時間というものがとても増えました。

その隙を狙い、女性や老人、そして子供達を襲う凶悪な事件が、日本でも数多くあります。最近では、無差別殺人やテロも増えてきて、あまり治安が良い国とは言えません。ここでは、そんな国内で有名な凶悪事件を紹介していきます。

女子高生コンクリート詰め殺人事件

Barrel Container Oil - Free vector graphic on Pixabay (512226)

戦後の昭和から平成、そして現在に至るまでの間には、数々の猟奇的な殺人事件が起きました。栗田源蔵のように、性行為が目的で、犯罪を隠す為の殺人というのは、許せなくてもまだ動機が理解出来ます。しかし、この女子高生コンクリート詰め殺人事件は、到底理解出来かねぬ最悪な事件でした。

1989年(平成元年)3月29日(水)、江東区若洲の埋め立て地で、ドラム缶の中にコンクリート詰めにされた遺体が発見されたことで、事件が発覚しました。遺体は当時行方不明になっていた埼玉県の女子高生、当時17歳の吉田順子さんで、犯人は当時未成年の不良グループの男4人だったことで、世間は大騒ぎとなったのです。犯人は、宮野裕史、小倉譲、湊伸治、渡邊恭史の4人。

アルバイト帰りの吉田さんを拉致した後、湊の家で40日間も監禁し、輪姦、殴る蹴るのリンチ、油をつけて火をつける、陰部や肛門にガラスが鉄筋を入れるなどの残虐なリンチを続け、最後に遺体をコンクリートに詰め棄てました。この監禁場所であった湊家の母親は共産党員で、吉田さんがいたことも知っていたのです。この事件は、少年法のあり方や、加害者への配慮などが過ぎる部分もあって、世間では激しい非難や疑問の声が多く上がりました。

市川一家四人殺人事件

Condominium Architecture - Free photo on Pixabay (512267)

市川一家四人殺人事件もまた、当時犯人が19歳の未成年だったことで世間を騒がせた事件でした。被害者は当時15歳だった女子高生で、犯人の関光彦は、当時未成年の犯行だったのにも係わらず、死刑が確定し、2017年(平成29年)12月19日(火)刑が執行されています。

事件は1992年(平成4年)2月12日(水)の午前2時頃、被害者の女子高生は勉強中にシャープペンシルの芯が無くなり、近所のコンビニに出掛けたところ、関は女子高生が乗っていた自転車に車をわざとぶつけました。関は当時、ヤクザとのトラブルで多額の金を請求されて逃走生活をしている最中で、ストレスを溜めていたと言われています。

関は事故を装い、「ひき逃げと疑われたくないから病院に行こう」と、車に載せて連れ出し女子高生を強姦。その時生徒手帳などから住所などを調べ、1992年(平成4年)3月5日(木)、金の支払いに追い詰められた関は女子高生の家に強盗目的で侵入しました。その時、女子高生の祖母、義理父、母、妹を殺害し、その場で女子高生を強姦をするという残虐な行為もしたのです。

神戸連続児童殺傷事件

Skull Head Bone - Free photo on Pixabay (512440)

平成を代表する猟奇的な殺人事件として、神戸連続児童殺傷事件もよく取り上げられます。中学校の校門前に、切断された男児の生首が置かれ、その口には「酒薔薇聖斗(さかきばらせいと)」という犯人からの犯行声明が挟まれており、その異常な状況に世間は恐怖に包まれました。

この事件は、1997年(平成9年)5月27日(火)に、行方不明になっていた当時小学5年生の男児の頭部が発見されたことで、殺人事件として捜査が開始されたのです。犯人は、当時14歳の中学生男子と、またしても未成年の犯行にショックと衝撃を与えました。

現在は改名していると言われていますが、犯人の名前は東真一郎。この事件を起こす前から、生き物を殺す事に性的興奮を感じる性癖があり、猫やハトなどの小動物を殺し、更に小学生女児に暴行を加え、重症を負わせたり死亡させていました。1997年(平成9年)5月24日(土)、東は5年生の男児をタンク山に連れ出し、首を絞めて殺害。その後、首を切り、目玉をくり抜き、鑑賞しながら何度も射精したと言います。

北九州監禁殺人事件

Fear Woman Stop Violence Against - Free photo on Pixabay (512492)

恐るべき洗脳とマインドコントロールを使い、3家族を巻き込んで起きた監禁、虐待、殺人などの猟奇的事件の代表として語られることが多い、北九州監禁殺人事件。類似事件に、尼崎事件というものもありますが、暴力や虐待、そして相互監視などによって支配していく行程は、恐怖でしかありません。

この事件は、2002年(平成14年)3月6日(水)、監禁されていた少女の1人が逃げ出す事に成功して発覚することになります。犯人は、松永太と不倫相手の緒方純子ですが、元々はこの緒方純子も被害者の立場でした。

金が欲しかった松永には妻がいましたが、高校の同級生だった緒方純子に近づき、やがて2人は不倫関係となります。しかし、暴力や通電と呼ばれる「電流」を身体に流すなどの虐待によって、依存関係を築き上げ、緒方の家族、緒方の妹夫婦と甥、姪、そして松永が知り合った父娘、主婦二人を監禁、家族同士に虐待させるなどして殺害していきました。

おせんころがし事件は同情の余地のない残忍な事件

Fantasy City Tree - Free image on Pixabay (512541)

今も議論に上ることの多い「死刑廃止論」は、誰がけしかけているかと言えば、凶悪犯罪や革命という名のテロを起こそうとする左翼思想(ユダヤコミンテルン)、共産主義、反日日本人、在日朝鮮人などの犯罪予備軍というのが実態なのです。

おせんころがし事件当時も法務省は、「特殊な極悪人がいる限り、淘汰する以外にない犯罪者はいる」として、現在も死刑は残されていますが、どんな理由があるとしても、何の落ち度も無い人の日常や、命を奪う者は許すべき存在とは言えません。実際「死刑制度」があっても、凶悪犯罪は無くなっていないのが現実です。

誰しもが生まれた以上、生きる権利がありますが、犯罪を繰り返す者や特殊な性癖、理性の無い者などを放置しておくことはやはり出来ません。栗田源蔵がいくら悲惨な貧乏時代を送っていたとしても、罪を犯さないで戦後を生き抜いてきた人はたくさんいる中では、犯罪の言い訳にならないのです。例え死刑で罪を償ったと言っても、殺された人達は戻ってこず、残された遺族の無念な気持ちが晴れることはありません。

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