目次
- 残忍な事件と再犯で再びもたらされた悲劇
- 未成年者の事件として異常な残忍さを見せた綾瀬コンクリート事件
- 女子高生コンクリート詰め殺人事件とも呼ばれる
- 日本社会に大きな衝撃を与えた
- 少年法への非難・疑問を提示した事件
- 綾瀬コンクリート事件の内容
- 1988年11月路上で女子高生が拉致される
- 約40日間にわたり暴行・強姦を受け続ける
- 1989年1月集団リンチにより女子高生死亡
- 遺体はコンクリート詰めにされ東京湾埋立地に遺棄される
- 1989年3月別の強姦事件で逮捕された少年が等事件を自供
- 逮捕されたのは計4人の未成年男性
- 加害者の親の中には被害者女性を逆恨みした人物もいた
- 綾瀬コンクリート事件の裁判と判決
- 1989年5月刑事処分相当と判断され裁判所に送致された
- 宮野裕史は懲役20年
- 小倉譲は懲役5年以上10年以下の不定期刑
- 湊伸治は懲役5年以上9年以下の不定期刑
- 渡邊泰史は懲役3年以上4年以下の不定期刑
- 残忍な暴行内容
- 関係者は100人以上
- 暴力行為により顔の凹凸がなくなるほど腫れあがる
- 両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てる
- 顔一面を蝋で覆いつくす
- 飲料パックに排泄させそれらの飲ませる
- 暴行によって出血・膿が出て自力では歩けなかった
- 腕や足は重度の火傷により体液が漏れ出した
- なぜ監禁・暴行事件では排泄物を食べさせるのか
- 飲食物をあげるのがめんどう
- 支配欲求を満たすため
- 相手の自尊心を奪うため
- 未知・禁忌への興味
- 精神発達段階において排泄行為と性行為の興味関心は関連性がある
- 犯人は飯島愛の元恋人という噂の真偽
- 犯人たちと同世代だった
- 事件現場の近くに住んでいた
- 飯島愛の素行
- 飯島愛引退時期
- 生前ブログで否定していた
- 限りなく信ぴょう性のない噂
- 宮野裕史(横山裕史)の生い立ちと現在
- 両親と当時11歳の妹の4人暮らし
- 妹にのみ愛情を注ぐ両親に嫌気がさしていた
- 中学時代は柔道で活躍
- 男子高校生を中退
- 暴力団員と知り合う
- 綾瀬コンクリート事件の主犯格
- 両親ともに仕事を辞職
- 懲役20年の判決が下り2009年に出所
- 職業不詳にも関わらず派手な生活を送っていた
- 2013年詐欺罪で逮捕されるも釈放
- 小倉譲(神作譲)の生い立ちと現在
- 両親と姉の4人暮らし
- 配達員の父には愛人および2人の子どもがいた
- 父親は女と逃げ母親は水商売で生計を立てる
- 修徳高等学校・定時制高校中退
- 綾瀬コンクリート事件の準主犯となる
- 1999年8月に出所
- 母親のスナックを手伝っていた
- 中国人女性と結婚するも短期間で離婚
- 2004年逮捕監禁致傷罪で逮捕
- 2009年2度目の出所
- 湊伸治の生い立ちと現在
- 両親と兄の4人暮らし
- 幼少期に父親の暴力的支配を受けていた
- 工業高校を1年で中退
- 家庭内暴力が始まる
- 両親ともに医療関係者だったが事件発生後辞職
- 事件には兄も関わっていたが罰せられなかった
- 共産党新聞で被害者女性を非難・誹謗するコラムを掲載した
- 出所日は明確にされていない
- ムエタイ選手となるもクレームにより引退
- 2006年ルーマニア人女性と結婚し娘がいる
- 逮捕直前には川口市に住み同年代女性が寄り添っていた
- 2018年殺人未遂で逮捕
- 渡邊泰史の生い立ちと現在
- 幼少期に両親が離婚
- 母親は生活保護を受けながらパートで生計を立てる
- 工業高校定時制に入学するも不登校ののち退学
- 姉は宮野裕史と同棲
- 被害者女性の監視役
- 刑務所でいじめにあう
- 1996年に出所
- 新聞の取材を受けるも多くの批判を集める
- 人を裁くという難しさ
- 実名報道により社会復帰ができず再犯する者も多い
- 加害者にばかり配慮した報道に憤りを感じる者も多い
- 年齢でわけ裁く現在の司法には限界があり不適切だという声
- 前例がない事への保守的な判決によって被害者は報われない
- 死刑制度に関する賛否
- 過剰な正義
- 芸能人の不倫報道に対する世間のバッシング
- 闇営業の過剰バッシングにより反社会勢力への資金源の生み出し
- 一度でも間違いを冒した者たちへの住所・実名さらし
- トラブルが起こった際の過剰な謝罪とルール設定
- 人々への過剰批判をストレス発散の場とし根本原因の話し合いができない
- 極刑回避の世界的風潮に乗ることについて今一度考える必要がある
職業不詳にも関わらず派手な生活を送っていた
via pixabay.com
横山裕史は出所後、埼玉県川口市で解体業の仕事につきます。しかし、それほど長くは続かず職業不詳となりました。職業不詳となり、生活が困窮する思われましたが、横山裕史は派手な生活を送ります。
車を所有したり、後輩を飲食店やキャバクラに連れ出すことも多かったようです。その他にも、高級腕時計やブランド品を多数身に着けていました。周りには、「暴力団とつながりがある」「縄で女を縛ることが好き」などと吹聴し、反省の色も全くなかったといわれています。
車を所有したり、後輩を飲食店やキャバクラに連れ出すことも多かったようです。その他にも、高級腕時計やブランド品を多数身に着けていました。周りには、「暴力団とつながりがある」「縄で女を縛ることが好き」などと吹聴し、反省の色も全くなかったといわれています。
2013年詐欺罪で逮捕されるも釈放
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過去の犯罪行為を得意げに吹聴しているとも捉えられる発言を繰り返し、派手な生活を送っていた横山裕史でしたが、2013年に再び逮捕されます。振り込め詐欺の出し子行為による、詐欺容疑です。
「パチンコ必勝法」を教えるという名目で、現金をだまし取る詐欺グループに所属していました。派手な生活の資金もとも、詐欺だと考えられます。逮捕された横山裕史ですが、取り調べに対し黙秘を貫いたことから、保釈されました。保釈後は、大阪市や栃木県等の噂はあるものの消息不明となっています。
「パチンコ必勝法」を教えるという名目で、現金をだまし取る詐欺グループに所属していました。派手な生活の資金もとも、詐欺だと考えられます。逮捕された横山裕史ですが、取り調べに対し黙秘を貫いたことから、保釈されました。保釈後は、大阪市や栃木県等の噂はあるものの消息不明となっています。
小倉譲(神作譲)の生い立ちと現在
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宮野裕史の生い立ちは、綾瀬コンクリート事件という残忍な犯行や、その後の詐欺犯罪を起こしても仕方ないと思えるほど、過酷なものだったのでしょうか。宮野裕史の生い立ちと犯罪行為について、深い関係性を感じらない人がほとんどでしょう。
次に、綾瀬コンクリート事件の準主犯格と呼ばれた小倉譲の生い立ちと、その後の様子についてご紹介していきます。小倉譲の生い立ちも、量刑を軽減するに値するものだったのか考えながら読み進めてみましょう。
次に、綾瀬コンクリート事件の準主犯格と呼ばれた小倉譲の生い立ちと、その後の様子についてご紹介していきます。小倉譲の生い立ちも、量刑を軽減するに値するものだったのか考えながら読み進めてみましょう。
両親と姉の4人暮らし
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小倉譲は、東京都足立区で1971年5月11日に誕生しました。家族構成は、両親と姉がおり、小倉譲は小倉家の長男として誕生します。小倉譲の物心つくころから、両親は折り合いが悪く、不仲でした。しばらくすると、両親は別居し、姉と共に母親の手で育てられます。
共働きで忙しく寂しい思いをしたという宮野裕史と同じく、小倉譲も幼少期に孤独を感じていたようです。しかし、宮野裕史のような小学生からの異常行動は見られませんでした。
共働きで忙しく寂しい思いをしたという宮野裕史と同じく、小倉譲も幼少期に孤独を感じていたようです。しかし、宮野裕史のような小学生からの異常行動は見られませんでした。
配達員の父には愛人および2人の子どもがいた
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小倉譲の父親は、運送会社の配達員をしていました。母親は、都内のデパートに勤務したのち、結婚後は洋裁の内職を始めます。運送業の父親と母親の折り合いが悪くなった理由は性格の不一致など様々ありますが、父親の女癖も要因です。
父親には長い間愛人がおり、愛人との間には2人の子供がいました。愛人との間に2人の子供がおり、別居していたにも関わらずそれでも、小倉譲の母親とは籍を抜かず、別居という形をとり続けます。
父親には長い間愛人がおり、愛人との間には2人の子供がいました。愛人との間に2人の子供がおり、別居していたにも関わらずそれでも、小倉譲の母親とは籍を抜かず、別居という形をとり続けます。
父親は女と逃げ母親は水商売で生計を立てる
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小倉譲が小学校3年生の頃、母親や姉、自分を捨て父親は完全に愛人の元で生活するようになります。これまで、父親から生活費としてある程度の金銭をもらっていたものの、それらがなくなったため、母親は仕事を変えざるを得ませんでした。
母親だけの賃金で生活する必要があったため、小倉譲の母親はより給料の高い水商売を始めます。子供を2人かかえ生活する必要があったため、転職は仕方のない事でしたが、小倉譲はこれまで以上に孤独を感じるようになったのです。
母親だけの賃金で生活する必要があったため、小倉譲の母親はより給料の高い水商売を始めます。子供を2人かかえ生活する必要があったため、転職は仕方のない事でしたが、小倉譲はこれまで以上に孤独を感じるようになったのです。
修徳高等学校・定時制高校中退
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小倉譲は、寂しい幼少期を過ごすものの、真面目に学校に通い続けました。中学校時代には、綾瀬コンクリート事件の主犯格となる宮野裕史に出会うものの、部活動に励み、問題行動等はありませんでした。
転機となったのは、高校時代です。これまで続けてきたスポーツの最中大けがをしたため、部活を続けることができなくなりました。部活を辞めた小倉譲は、学校で暴力事件を起こし修徳高等学校を退学させられます。退学後、定時制高校に入学するも、こちらも卒業することはできませんでした。
転機となったのは、高校時代です。これまで続けてきたスポーツの最中大けがをしたため、部活を続けることができなくなりました。部活を辞めた小倉譲は、学校で暴力事件を起こし修徳高等学校を退学させられます。退学後、定時制高校に入学するも、こちらも卒業することはできませんでした。
綾瀬コンクリート事件の準主犯となる
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小倉譲は、高校を中退後飲食店や運転助手など職を転々としました。また、この頃から、中学校時代の先輩であった宮野裕史と頻繁に接触し、交友を深めるようになっていきます。
宮野裕史と付き合うようになり、暴力行為はもちろん、ひったくりや強姦など、犯罪行為を積極的に行うようになっていきました。こういった日常生活を送っていた中で、綾瀬コンクリート事件を引き起こします。
犯罪行為が日常的であったことから、女子高生を拉致し暴行した綾瀬コンクリート事件のことも、それほど深く後悔することはありませんでした。
宮野裕史と付き合うようになり、暴力行為はもちろん、ひったくりや強姦など、犯罪行為を積極的に行うようになっていきました。こういった日常生活を送っていた中で、綾瀬コンクリート事件を引き起こします。
犯罪行為が日常的であったことから、女子高生を拉致し暴行した綾瀬コンクリート事件のことも、それほど深く後悔することはありませんでした。
1999年8月に出所
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小倉譲は、1999年8月に出所しました。刑務所を出所した後、保護観察関係者の女性と養子縁組を行い、氏名を小倉譲から神作上に変更しています。一時期、神作譲ではなく「谷村」と噂されていましたが、当時の名前は神作譲です。のちに再び名前を改め「谷村」となりました。
出所直後は、服役中に身に着けたパソコン技術を使い、IT関連の仕事に就きます。しかし、職場で前科が知られたため人間関係が上手くいかなくなり、退職しました。IT関連の仕事を退職した後は、定職につかず暴力団を出入りするようになります。
出所直後は、服役中に身に着けたパソコン技術を使い、IT関連の仕事に就きます。しかし、職場で前科が知られたため人間関係が上手くいかなくなり、退職しました。IT関連の仕事を退職した後は、定職につかず暴力団を出入りするようになります。
母親のスナックを手伝っていた
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定職に就かない神作譲は、母親が経営するスナックの手伝いなどをして過ごします。加害者の親族として、働きづらいと思われた神作譲の母親ですが、三郷近辺の人々を相手にしたスナックを経営していました。
神作譲の母親は、事件発覚当初被害者に怒りをぶつけた一人です。「女のせいで息子の人生は狂わされた」と発言し、被害者女性の墓を破壊しました。そのため、被害者遺族は、被害者女性の墓を移すことになります。
息子の神作譲も、母親のスナック内で綾瀬コンクリート事件を自慢するような発言を繰り返していました。
神作譲の母親は、事件発覚当初被害者に怒りをぶつけた一人です。「女のせいで息子の人生は狂わされた」と発言し、被害者女性の墓を破壊しました。そのため、被害者遺族は、被害者女性の墓を移すことになります。
息子の神作譲も、母親のスナック内で綾瀬コンクリート事件を自慢するような発言を繰り返していました。
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