2019年9月2日 更新

綾瀬コンクリート事件の全貌!犯人達の生い立ちや現在の様子も

未成年が犯人だった事件として知られる、綾瀬コンクリート殺人事件。この事件は、少年法で守られた少年のほとんどが再犯となり再び捕まります。この記事では、綾瀬コンクリート殺人事件の詳細と再犯や現在の様子、また噂されている飯島愛の真相についてもご紹介していきましょう。

目次

職業不詳にも関わらず派手な生活を送っていた

Car Traffic Man - Free photo on Pixabay (589917)

横山裕史は出所後、埼玉県川口市で解体業の仕事につきます。しかし、それほど長くは続かず職業不詳となりました。職業不詳となり、生活が困窮する思われましたが、横山裕史は派手な生活を送ります。

車を所有したり、後輩を飲食店やキャバクラに連れ出すことも多かったようです。その他にも、高級腕時計やブランド品を多数身に着けていました。周りには、「暴力団とつながりがある」「縄で女を縛ることが好き」などと吹聴し、反省の色も全くなかったといわれています。

2013年詐欺罪で逮捕されるも釈放

Gold Ingots Golden - Free photo on Pixabay (589920)

過去の犯罪行為を得意げに吹聴しているとも捉えられる発言を繰り返し、派手な生活を送っていた横山裕史でしたが、2013年に再び逮捕されます。振り込め詐欺の出し子行為による、詐欺容疑です。

「パチンコ必勝法」を教えるという名目で、現金をだまし取る詐欺グループに所属していました。派手な生活の資金もとも、詐欺だと考えられます。逮捕された横山裕史ですが、取り調べに対し黙秘を貫いたことから、保釈されました。保釈後は、大阪市や栃木県等の噂はあるものの消息不明となっています。

小倉譲(神作譲)の生い立ちと現在

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宮野裕史の生い立ちは、綾瀬コンクリート事件という残忍な犯行や、その後の詐欺犯罪を起こしても仕方ないと思えるほど、過酷なものだったのでしょうか。宮野裕史の生い立ちと犯罪行為について、深い関係性を感じらない人がほとんどでしょう。

次に、綾瀬コンクリート事件の準主犯格と呼ばれた小倉譲の生い立ちと、その後の様子についてご紹介していきます。小倉譲の生い立ちも、量刑を軽減するに値するものだったのか考えながら読み進めてみましょう。

両親と姉の4人暮らし

Siblings Friends Brother - Free photo on Pixabay (589810)

小倉譲は、東京都足立区で1971年5月11日に誕生しました。家族構成は、両親と姉がおり、小倉譲は小倉家の長男として誕生します。小倉譲の物心つくころから、両親は折り合いが悪く、不仲でした。しばらくすると、両親は別居し、姉と共に母親の手で育てられます。

共働きで忙しく寂しい思いをしたという宮野裕史と同じく、小倉譲も幼少期に孤独を感じていたようです。しかし、宮野裕史のような小学生からの異常行動は見られませんでした。

配達員の父には愛人および2人の子どもがいた

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小倉譲の父親は、運送会社の配達員をしていました。母親は、都内のデパートに勤務したのち、結婚後は洋裁の内職を始めます。運送業の父親と母親の折り合いが悪くなった理由は性格の不一致など様々ありますが、父親の女癖も要因です。

父親には長い間愛人がおり、愛人との間には2人の子供がいました。愛人との間に2人の子供がおり、別居していたにも関わらずそれでも、小倉譲の母親とは籍を抜かず、別居という形をとり続けます。

父親は女と逃げ母親は水商売で生計を立てる

Whiskey Bar Alcohol - Free photo on Pixabay (589828)

小倉譲が小学校3年生の頃、母親や姉、自分を捨て父親は完全に愛人の元で生活するようになります。これまで、父親から生活費としてある程度の金銭をもらっていたものの、それらがなくなったため、母親は仕事を変えざるを得ませんでした。

母親だけの賃金で生活する必要があったため、小倉譲の母親はより給料の高い水商売を始めます。子供を2人かかえ生活する必要があったため、転職は仕方のない事でしたが、小倉譲はこれまで以上に孤独を感じるようになったのです。

修徳高等学校・定時制高校中退

Geometry Mathematics Cube - Free image on Pixabay (589833)

小倉譲は、寂しい幼少期を過ごすものの、真面目に学校に通い続けました。中学校時代には、綾瀬コンクリート事件の主犯格となる宮野裕史に出会うものの、部活動に励み、問題行動等はありませんでした。

転機となったのは、高校時代です。これまで続けてきたスポーツの最中大けがをしたため、部活を続けることができなくなりました。部活を辞めた小倉譲は、学校で暴力事件を起こし修徳高等学校を退学させられます。退学後、定時制高校に入学するも、こちらも卒業することはできませんでした。

綾瀬コンクリート事件の準主犯となる

Crack Wall Concrete - Free photo on Pixabay (589840)

小倉譲は、高校を中退後飲食店や運転助手など職を転々としました。また、この頃から、中学校時代の先輩であった宮野裕史と頻繁に接触し、交友を深めるようになっていきます。

宮野裕史と付き合うようになり、暴力行為はもちろん、ひったくりや強姦など、犯罪行為を積極的に行うようになっていきました。こういった日常生活を送っていた中で、綾瀬コンクリート事件を引き起こします。

犯罪行為が日常的であったことから、女子高生を拉致し暴行した綾瀬コンクリート事件のことも、それほど深く後悔することはありませんでした。

1999年8月に出所

Barbed Wire Court - Free photo on Pixabay (589844)

小倉譲は、1999年8月に出所しました。刑務所を出所した後、保護観察関係者の女性と養子縁組を行い、氏名を小倉譲から神作上に変更しています。一時期、神作譲ではなく「谷村」と噂されていましたが、当時の名前は神作譲です。のちに再び名前を改め「谷村」となりました。

出所直後は、服役中に身に着けたパソコン技術を使い、IT関連の仕事に就きます。しかし、職場で前科が知られたため人間関係が上手くいかなくなり、退職しました。IT関連の仕事を退職した後は、定職につかず暴力団を出入りするようになります。

母親のスナックを手伝っていた

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定職に就かない神作譲は、母親が経営するスナックの手伝いなどをして過ごします。加害者の親族として、働きづらいと思われた神作譲の母親ですが、三郷近辺の人々を相手にしたスナックを経営していました。

神作譲の母親は、事件発覚当初被害者に怒りをぶつけた一人です。「女のせいで息子の人生は狂わされた」と発言し、被害者女性の墓を破壊しました。そのため、被害者遺族は、被害者女性の墓を移すことになります。

息子の神作譲も、母親のスナック内で綾瀬コンクリート事件を自慢するような発言を繰り返していました。

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