2019年9月2日 更新

綾瀬コンクリート事件の全貌!犯人達の生い立ちや現在の様子も

未成年が犯人だった事件として知られる、綾瀬コンクリート殺人事件。この事件は、少年法で守られた少年のほとんどが再犯となり再び捕まります。この記事では、綾瀬コンクリート殺人事件の詳細と再犯や現在の様子、また噂されている飯島愛の真相についてもご紹介していきましょう。

目次

中国人女性と結婚するも短期間で離婚

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綾瀬コンクリート事件の刑期を終え出所ののち、神作譲は中国人女性と結婚しています。子供は、いませんでした。神作譲が中国人女性と結婚した理由は、国内で働けないと考えたからです。

少年法によって民法での実名報道は自粛されていましたが、週刊誌によって実名が報道されたため、国外で仕事をし、生活しようと考えていました。しかし、中国人女性との結婚生活は長くは続きません。

結婚から約3年で、離婚となりました。過去の犯罪行為が露見したからではなく、単純な性格の不一致であったといわれています。

2004年逮捕監禁致傷罪で逮捕

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2004年、神作譲は再び犯罪を犯します。綾瀬コンクリート事件と同じく、暴力及び監禁という犯罪行為を犯したのです。神作譲は、一人の女性に好意を抱きます。しかし、その女性には当時交際している男性がいました。神作譲は何を思ったのか、その男性に因縁をつけ金属バットで襲うという暴挙に出ます。

男性を暴行したのち、母親が経営するスナックに連れていき、そこで再び監禁事件を起こしました。その際、「俺は人を殺したことがある」「警察や検事を丸め込むノウハウを持っている」などと発言し、自身の力を誇示したようです。

2009年2度目の出所

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神作譲が起こした暴行及び監禁事件は、三郷市逮捕監禁致傷事件と呼ばれます。三郷市逮捕監禁致傷事件を起こしたことによって再び神作譲は逮捕され、懲役4年の判決が下されました。被害にあった男性は、神作譲の報復を恐れ消息不明となっています。

三郷市逮捕監禁致傷事件の刑期を終え、神作譲は2009年2度目の出所を果たしました。この事件を重く捉えた司法は、当時服役中であり、模範囚だった宮野裕史の仮釈放を見送るなどの対応をとっています。

湊伸治の生い立ちと現在

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続いてご紹介するのは、女子高生を監禁した場所として自宅が使われた、湊伸治の生い立ちについてです。これまで紹介した加害者少年は、いずれも出所後再度犯罪行為を行い、逮捕されています。

湊伸治はどのような生い立ちを経て犯罪行為を行い、逮捕・出所後どのような生活を送っていたのか、詳細にご紹介していきましょう。

両親と兄の4人暮らし

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湊伸治は、1972年12月16日に次男として誕生しました。綾瀬コンクリート事件を起こすまで、年齢が近い兄が1人と、両親の4人で暮らしています。父親は、隅田川沿いの診療所の事務長です。母親は、父親と同じ診療所の看護婦主任を務めていました。

父親にとって、仕事と酒が何よりも大切で、子育てや家事などのほとんどを母親任せにする家庭環境だったと言われています。一家は、綾瀬コンクリート事件が起こる約13年前に、事件現場となった家に引っ越してきました。

幼少期に父親の暴力的支配を受けていた

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湊伸治は、幼少期父親の暴力的支配を受けていました。子育てを母親に任せっきりにしていた父親ですが、母親からの告げ口や、家族内のルールに従わなかった場合、追いかけまわされ暴力を振るいます。酷い時は、寝ていたところをたたき起こし、深夜であっても外へ引きずり出すこともありました。

同じように、兄もまた父親の暴力行為によって支配されます。しかし、どちらも非常に優秀で、当時足立区のエリート中学校と呼ばれた学校を卒業しました。

工業高校を1年で中退

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当時の足立区でエリート中学校と呼ばれた学校であっても、暴力行為が頻発していました。湊伸治は、学校でも教師や部活の顧問から殴られる等の暴力行為を受けます。その暴力行為によって、当時所属していた部活を退部しました。

中学校を卒業後、化学専門工業学校に進学しますが、その学校は1年生の2学期で中退しています。化学専門工業学校を中退した理由は、綾瀬コンクリート事件とは別の犯罪行為を行い少年院に送られたためです。

家庭内暴力が始まる

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湊伸治の家庭では、父親が毎晩酒を飲み帰宅し、週に1回ほど暴力を受けていたようです。しかし、この主張は父親と息子間で相違しています。ぞっとするほど怖かったという息子側の主張にたいし、父親側は体罰はほとんどなくなったと主張していました。

父親の暴力行為が落ち着いたと主張された時期に、湊伸治の家庭内暴力が始まります。家庭内暴力があったことから、綾瀬コンクリート事件では、少女が自宅に監禁されていたことを知っていたにも関わらず、通報できなかったと主張していました。

両親ともに医療関係者だったが事件発生後辞職

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綾瀬コンクリート事件の現場として知られる湊伸治の自宅ですが、警察はマスコミを恐れてなかなか踏み込めなかったという話もありました。湊伸治の両親は、共産党員だったのです。そのため、万が一間違いなどがあれば、マスコミによって情報が広がり、警察批判に繋がると考えたと言われています。

綾瀬コンクリート事件の発覚後、医療関係者であった父親と母親は、共に診療所を辞職しました。息子の犯罪行為に、心を痛めた辞職だと思われましたが、すぐに弁護士を用意し、自分たちの保身に躍起になっていたと言われています。

事件には兄も関わっていたが罰せられなかった

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綾瀬コンクリート事件には、湊伸治の兄である湊恒治も関係していました。前項でご紹介した100人以上の関係者の一人ではなく、実際に監視などの直接的犯罪行為に加担していたのです。また、女子高生の食事の用意や、その他の世話なども行っていました。

殺人や死体遺棄容疑で湊伸治の兄も逮捕されますが、不起訴処分となり、何の刑事処罰も受けていません。また、なぜ直接的に関与した湊恒治が不起訴処分になったのか、明確な理由は公表されませんでした。

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