2019年9月2日 更新

綾瀬コンクリート事件の全貌!犯人達の生い立ちや現在の様子も

未成年が犯人だった事件として知られる、綾瀬コンクリート殺人事件。この事件は、少年法で守られた少年のほとんどが再犯となり再び捕まります。この記事では、綾瀬コンクリート殺人事件の詳細と再犯や現在の様子、また噂されている飯島愛の真相についてもご紹介していきましょう。

目次

共産党新聞で被害者女性を非難・誹謗するコラムを掲載した

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湊伸治の両親は、共産党新聞で被害者女性を非難、誹謗するコラムを掲載します。「少女に帰宅を促したが帰宅しなかった」「監禁ではなかった」などです。また、共産党の橋本敦議員は、少年事件にたいして、教育や環境の歪みによって生じるものであり、被害者の報復主義には反対という声明を発表しています。

つまり、未熟な少年たちが犯した行為であり、罰則を科すよりも更生の手助けをする方が重要であるということです。最終的に、共産党は、湊伸治の両親を除名処分とし、事件とは一切関係はないという発表を行いました。

出所日は明確にされていない

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湊伸治は、綾瀬コンクリート事件によって、5年以上9年以下の不定期刑を科せられました。湊伸治は、5~9年の刑期を終え出所しますが、出所した日付は明確にされていません。綾瀬コンクリート事件で逮捕された少年のうち、唯一湊伸治のみ出所日時が明確にされていないのです。

出所後、湊伸治は両親と共に生活します。その後、運送業をしながら、埼玉県内の家賃4万円程度の木造アパートで生活しますが、現在は引き払い別の場所で暮らしているようです。

ムエタイ選手となるもクレームにより引退

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湊伸治は、幼少期からかなりの格闘技好きでした。綾瀬コンクリート事件で女子高生に暴力をふるう際も、キックボクシング器具を用いたようです。

刑期を終え出所した湊伸治は、訓練を積みムエタイ選手となります。ムエタイ選手となったものの湊伸治の犯罪行為を知っている人は多く、試合場所はタイ料理屋などの飲食店であることがほとんどでした。また、試合の為に湊伸治が入場すると、店内で大きなブーイングが起こります。

こういったブーイングや、公の場で試合ができなかったことから、戦績も残せないまま引退しました。

2006年ルーマニア人女性と結婚し娘がいる

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湊伸治は、出所後結婚しています。平成18年の秋頃、ルーマニア人、もしくはリュヒテンシュタイン人と結婚しました。リヒテンシュタイン人とは、リヒテンシュタイン公国の人々であり、中央ヨーロッパに位置する国です。

外国人と結婚後、大阪に新居を構えたと言われています。また、驚くべきことに、娘が少なくとも1人誕生しているという情報もありました。しかし、数年後湊伸治は離婚したと言われています。その後、福祉関係の職に就くなどし、生計を立てていました。

逮捕直前には川口市に住み同年代女性が寄り添っていた

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湊伸治もまた、再び罪を犯します。福祉関係の仕事や、運送業などをしながら生計を立てていた湊伸治ですが、住居ではトラブルが絶えませんでした。近隣住民とトラブルを頻繁に起こすことから、管理会社が防犯カメラを設置するなどの対応にも追われたようです。

再び逮捕される直前、湊伸治は埼玉県川口市のアパートに住んでいました。側には、同じく40代の女性が寄り添っていたようです。この女性と湊伸治は結婚の予定もあり、生活費は女性が面倒を見ていたとも言われています。

2018年殺人未遂で逮捕

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湊伸治が再び逮捕された理由は、殺人未遂です。2018年、車に乗っていた男性の顔を複数回殴りつけ、警棒のような武器を使い、再び殴りつけました。さらに、持っていたナイフで男性の首を切りつけたとも言われいます。

今回の犯行にたいし、湊伸治は裁判中開き直るような態度をとったり、裁判官に猛抗議するなど、反省の色はみじんも見られませんでした。ナイフで切りつけたという事実に関しても、「刺していない」「髪の毛に入れただけ」と主張を二転三転させています。

この事件に関する判決は、現在もまだ下されていません。

渡邊泰史の生い立ちと現在

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これまで、綾瀬コンクリート事件で逮捕された少年全てが再び罪を犯し、逮捕されています。綾瀬コンクリート事件では、渡邊泰史も逮捕されました。渡邊泰史は、綾瀬コンクリート事件を起こすまで、どのような生い立ちだったのでしょうか。

ここからは、渡邊泰史の生い立ちとその後の様子について、ご紹介していきます。渡邊泰史もまた、他の3人と同様に、再び罪を犯してしまうのでしょうか。

幼少期に両親が離婚

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渡邊泰史は、1971年12月18日に誕生します。幼少期から、非常に内向的で、綾瀬コンクリート事件の加害者の中でも一番体格も劣っていました。

渡邊泰史の両親は、渡邊泰史が幼い頃に別居し、その後離婚しています。また、離婚後しばらくした後、父親は交通事故で死亡しました。

渡邊泰史には、姉が1人おり、この女性は綾瀬コンクリート事件の主犯格である宮野裕史の当時の交際相手です。内向的で体格も劣る渡邊泰史が非行少年グループに加入した背景には、姉も関係していると考えられます。

母親は生活保護を受けながらパートで生計を立てる

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渡邊泰史の母親は、結婚時美容師として働いていました。しかし、離婚後姉と渡邊泰史を養っていくことが難しくなり、生活保護を受けながら生活するようになります。

生活保護を受けながら、時計部品の工場でパートし、姉と渡邊泰史を育て続けました。仕事は忙しく、綾瀬コンクリート事件の他加害者と同じく、寂しい幼少期であったと言われています。渡邊泰史と姉の関係は良好で、逮捕後母親との面会は拒否するも、姉の差し入れや面会は受け入れていました。

工業高校定時制に入学するも不登校ののち退学

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内向的で自己主張ができない性格であった渡邊泰史は、中学校時代教師から体罰を受けるようになります。中学校時代に教師から受けた体罰によって、右後頭部に円形脱毛症を発症するなどしました。こういった体罰も関係したためか、高校進学は定時制を希望します。

渡邊泰史は、工業高校定時制に入学しますが、1週間程度で行かなくなり、不登校によって退学となりました。ファミコンなどのゲームが好きだったため、自宅でゲームをして過ごすことが多かったようです。

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