2019年9月2日 更新

綾瀬コンクリート事件の全貌!犯人達の生い立ちや現在の様子も

未成年が犯人だった事件として知られる、綾瀬コンクリート殺人事件。この事件は、少年法で守られた少年のほとんどが再犯となり再び捕まります。この記事では、綾瀬コンクリート殺人事件の詳細と再犯や現在の様子、また噂されている飯島愛の真相についてもご紹介していきましょう。

目次

残忍な事件と再犯で再びもたらされた悲劇

Lady Justice Case-Law Right - Free photo on Pixabay (590480)

人々が安全に、そして豊かに暮らし続けるために、法律は存在しています。法律を犯した人々は、時代や事件の内容などから罰則を科せられるのですが、この罰則については、今もなお議論されることが多々あるのです。人を裁く難しさと、それらに科す罰則は、いつの時代も発展途上と言えます。

日本中に衝撃を与え、司法の在り方や罰則の有意義性などを、世間に問いかけた事件がありました。事件当初も、問題として多くのメディアで取り上げられましたが、事件から数年たったのち、再び世間に衝撃を与えることとなります。

この記事では、綾瀬コンクリート事件と、その後再び世間に衝撃を与えた理由について解説していきましょう。

未成年者の事件として異常な残忍さを見せた綾瀬コンクリート事件

People Knife Stabbing - Free photo on Pixabay (590484)

1989年に発覚した綾瀬コンクリート事件と呼ばれる事件は、世間の大きな注目を集めました。綾瀬コンクリート事件は、当時未成年だった少年たちが犯した犯罪行為です。未成年者の殺人事件として注目されたことはもちろん、犯行内容や殺害方法などが明るみになるにつれ、その残忍さも世間に大きな衝撃を与えました。

非常に残忍な犯罪行為でしたが、加害者が当時未成年ということから、他の議論も巻き起こります。それが、少年法です。

女子高生コンクリート詰め殺人事件とも呼ばれる

Holocaust Memorial Berlin - Free photo on Pixabay (590487)

綾瀬コンクリート事件は、女子高生コンクリート詰め殺人事件とも呼ばれます。名称からもわかるように、女子高生をコンクリート詰めにし、遺棄した殺人事件なのです。残虐な手口、人としての心が微塵も見えない保身的な遺棄であったことから、少年たちを大人と同じ法律で裁くべきだという声が多くあがりました。

世間の人々は、被害者や家族に同情し、犯罪を犯した少年たちに厳罰を科すべきだと訴えましたし、日本の司法はそうするだろうと期待もしていたのです。

日本社会に大きな衝撃を与えた

Pedestrians People Busy - Free photo on Pixabay (590492)

世間は、少年たちに厳罰を望みました。しかし、日本の司法が出した結論は、世間の認識とあまりにかけ離れ、日本社会に大きな衝撃を与えます。残忍な犯罪行為を犯した少年たちは少年法という法律に守られ、あまりに軽い罰則となり、人々は大きく落胆しました。

当時、日本社会に大きな衝撃を与えた事件ではあったものの、時間の流れと共に、それらはいつしか忘れ去られていきます。この事件や少年法への疑問は、時代の移り変わりによって、人々の記憶から消えつつありましたが、再び日本社会に大きな衝撃を与えることになるのです。

少年法への非難・疑問を提示した事件

Megaphone Shouting Voice - Free vector graphic on Pixabay (590494)

綾瀬コンクリート事件の発覚当初も、少年法への非難や疑問が数多く噴出しました。綾瀬コンクリート事件の加害者少年は、大人と同じ刑事処分となりますが、全て同じではありません。未成年であることから、実名や顔写真の報道がなされなかったのです。

こういったことから、未成年であっても、事件内容によっては大人と同様に実名報道し、素性を明らかにする必要があるといった意見がそこかしこで聞かれました。しかし、それ以上に少年法への非難が集まったのは、事件から数年たった近年です。

少年法によって守られた少年たちが大人になり、再び罪を犯します。綾瀬コンクリート事件は、再び少年法に疑問を投げかけるとともに、罰則の意味についても全国民に投げかけたのです。

綾瀬コンクリート事件の内容

Police Fog - Free photo on Pixabay (590452)

少年法や、それらに守られた元少年たちの再犯について語る前に、まずは少年法の問題や価値を多くの人々に投げかけた綾瀬コンクリート事件について、知る必要があります。綾瀬コンクリート事件がどのような事件であったかを知り、そこから司法の判決の妥当性を考える必要があるでしょう。

ここからは、当時日本に大きな衝撃を与えた、綾瀬コンクリート事件と呼ばれる事件の内容について、解説していきます。

1988年11月路上で女子高生が拉致される

Detective Clues Find - Free vector graphic on Pixabay (590453)

1988年11月25日の夕方、埼玉県の路上で当時17歳だった女子高校生が拉致されます。拉致した人物は、のちに逮捕される未成年の少年たちです。拉致された女子高校生は、外見が美しく学力も優れていたため、学校では憧れの存在として知られていました。

17歳の女子高校生を拉致した少年たちは、等事件を起こす前にも類似した事件を起こしています。1988年11月8日、当時19歳の女性を無理やり車に押し込み、複数人での性行為を強要しました。

約40日間にわたり暴行・強姦を受け続ける

Handcuffs Prisoners Woman - Free photo on Pixabay (590455)

綾瀬コンクリート事件で拉致された女性は、路上で拉致されたのち、加害者の一人の自宅に監禁され続けました。拉致された11月25日から約40日間にわたり、激しい暴力行為にさらされます。性行為を強要されることはもちろん、肉体的暴力も受け続けたのです。

また、この暴力行為に加担していたのは、加害者の少年数人だけではありません。女性が監禁された場所には、入れ替わり多くの男性が訪れ、少年たちと同じように女性に暴力を加えていきました。

1989年1月集団リンチにより女子高生死亡

Night Metal Goal - Free photo on Pixabay (590457)

女子高生を拉致した後、少年たちは頻繁に女子高生の体を弄びました。出前やパンなど、少量ではあったもののある程度の食べ物も与えています。しかし、排せつや入浴等をおざなりにしていたため、次第に体臭が強くなるようになりました。また、日常的に繰り返される暴力の傷も悪化し、さらに強い臭いを放つようになります。

すると少年たちは、女子高生を徐々に避け始めました。次第に持て余すようになり、消し去りたいと考えるようになるのです。1989年1月、いつもと同じように女子高生に暴力行為を繰り返していたところ、女子高生は痙攣し命を落としました。

遺体はコンクリート詰めにされ東京湾埋立地に遺棄される

Arches Bridge Concrete Structure - Free photo on Pixabay (590459)

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