2019年9月2日 更新

綾瀬コンクリート事件の全貌!犯人達の生い立ちや現在の様子も

未成年が犯人だった事件として知られる、綾瀬コンクリート殺人事件。この事件は、少年法で守られた少年のほとんどが再犯となり再び捕まります。この記事では、綾瀬コンクリート殺人事件の詳細と再犯や現在の様子、また噂されている飯島愛の真相についてもご紹介していきましょう。

目次

死刑制度に関する賛否

Hanging Rope Hangman - Free vector graphic on Pixabay (589613)

日本だけに限らず、世界各国で死刑制度の廃止に傾いている傾向があります。過去に、誤認逮捕による死刑執行もあったことから、死刑制度を廃止する理由について、ある程度理解できるでしょう。また、死刑制度が犯罪の抑止力にならないという、調査結果もあります。

しかし、綾瀬コンクリート事件のように、犯罪者は更生せず、社会に放たれ再び被害をもたらす場合もあります。ルールやモラルを守り、懸命に生きている一般人は、こうした犯罪者に怯え続けるしかないのでしょうか。

過剰な正義

Justice Judgmental Justitia - Free photo on Pixabay (589547)

一般人の司法にたいする不信感や、情報流通の発達によって、近年別の問題が発生するようになりました。それが、過剰な正義感です。過剰な正義感によって、一般人が犯罪者や、モラルを逸脱した人々へ正妻を下すようになりました。

しかし、前項でもご紹介したように、人を裁くという行為は非常に難しいことなのです。専門的にそれらに取り組んでいる人々でさえ、明確な答えが出せていない事柄を、一般人が行ってしまうのは、大変危険な行為になります。

ここからは、過剰な正義の例とそれらがもたらす危険について、ご紹介していきましょう。

芸能人の不倫報道に対する世間のバッシング

Shame Child Small - Free image on Pixabay (589548)

近年、度々目にするようになった過剰な正義は、芸能人の不倫報道に関するものです。不倫という行為は、犯罪行為ではありますが、その被害者はその家族のみであり、閲覧している一般人には何ら関係のない事柄でしょう。

しかし、不倫報道が出るや否や、過剰にバッシングし社会的に抹殺しようと試みる人々が非常に多く見られます。この現象は、芸能人という華やかな世界で活躍する人々にたいする嫉妬の表れであり、理由はどんなものでもよくただ足を引っ張りたいという人間の欲求が潜んでいるのです。

このように、自分の欲求を達成したいという思いを正義感に置き換え、人を裁こうとする行為は非常に愚かで危険だと言えるでしょう。

闇営業の過剰バッシングにより反社会勢力への資金源の生み出し

Money Dollars Gun - Free photo on Pixabay (589550)

闇営業への過剰なバッシングも、いきすぎた正義感だと言えます。闇営業とは、某有名芸人が犯罪グループから金銭を受け取り、営業していたという問題です。その芸人自体は、犯罪行為を犯していたわけでもありませんが、実質社会的地位を失うこととなりました。

この正義感によって、反社会勢力やそれに近しい人々は、金銭を簡単に要求する方法を見つけます。同じように、過去何かしらの形で接触した芸能人や著名人にたいし、その時の証拠を発表すると脅しをかける方法です。一般人の行き過ぎた正義感によって、犯罪組織を助けていると言えます。

一度でも間違いを冒した者たちへの住所・実名さらし

Youtuber Blogger Screenwriter - Free photo on Pixabay (589552)

インターネットの普及により、誰でも個人情報をある程度入手できるようになりました。写真の背景や、発言した内容から考察したり、自宅の間取りから住所を特定する強者も現れるようになったのです。

こういった状況から、一度でも間違いを犯した人々の住所や実名を、一般人が公開する事態が多発するようになりました。こういった人々は、「犯罪者だから」という理由で公開しますが、それらが万が一間違っていた場合、どのように対処するのでしょうか。

実際に、煽り運転の関係者として全く無関係の女性の情報が公開され、勤め先や実生活に大きな被害をもたらしています。

トラブルが起こった際の過剰な謝罪とルール設定

Cry Tears Drop - Free vector graphic on Pixabay (589553)

どんな人間でも、間違いは犯します。一瞬の判断ミスや、損得勘定によって過ちを犯すことは珍しいことではありません。現代の日本は、どのような些細なミスであっても、過剰な謝罪を要求します。謝罪を要求する人々は、その行為によって自分たちの自尊心を保っていると言えるでしょう。

こういった事態から、些細なミスも起こらないように過剰なルールが儲けられ続けます。その設けられたルールを、今度は「面倒」と批判する悪循環になっているのです。

人々への過剰批判をストレス発散の場とし根本原因の話し合いができない

Conversation Talk Talking - Free image on Pixabay (589555)

ミスや罪を犯した人々にたいして、過剰な批判を繰り返す行為が、ストレス発散の一環になっている人もいます。自身の日常生活の憂さを晴らすために、全く関係のない人々を過剰にバッシングする行為は、バッシングする本人のためにもなりません。

バッシングによって一時、気持ちが落ち着く可能性もあります。しかし、根本原因が全く解決されていないため、何度も繰り返し何も向上することはないのです。また、バッシングされた側は、バッシングの対応に追われこちらも根本原因を解決することができません。

極刑回避の世界的風潮に乗ることについて今一度考える必要がある

Life Beauty Scene - Free photo on Pixabay (589557)

人を裁くという行為は、非常に難しく、一般人が軽々しく手を出していい領域ではありません。現在日本は、極刑回避の世界的風潮に乗っている傾向がありますが、それについても今一度考える必要があるでしょう。

犯罪行為には、多くの要因が絡み合っています。「命」という絶対的な存在を軽んじることなく、司法の場はいつまでも発展途上であり続けなければならないと言えるでしょう。そして、一般人は司法を監視する立場であり、自分たちが判決を下す側ではないという事を自覚し続けなければなりません。

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