2019年9月8日 更新

【シリアルキラー】ヘンリー・リー・ルーカスの犯行と生い立ちの関係

自称3000人以上を殺したというシリアルキラー、ヘンリー・リー・ルーカスは2001年に獄中死しました。残忍な犯行を繰り返したルーカスの壮絶な生い立ちとそれに深く関わる母親、また彼が残した背筋の凍る名言まで、ヘンリー・リー・ルーカスについて詳しく紹介します!

目次

最初はルーカス、トゥール、ベッキーの中はある意味順調でしたが、ルーカスとベッキーの仲が深まるにつれ、2人にとってトゥールの存在は邪魔になってきました。そのためトレーラー故障後、ルーカスとベッキーは2人でトゥールの元を離れました。

このことにトゥールは激怒し、その後ヤケクソを起こすかのように1年の間に6州で9人を殺害しました。その後トゥールは逮捕され死刑判決を下されましたが、最終的には終身刑に落ち着きます。そして1996年、49歳の時に肝不全で死亡しました。

トゥールは警察で「殺した人間の数は数えていない、人数に興味もない」と供述しており、共犯者であるにも関わらず、ルーカスの殺害人数の判明になんの役にも立ちませんでした。

ヘンリー・リー・ルーカスの逮捕までの経緯

Stairs Spiral Stair Step - Free photo on Pixabay (601339)

ヘンリー・リー・ルーカスは最終的に1983年6月11日に逮捕されました。その後刑務所を出ることはなかったルーカスですが、彼の逮捕までの経緯とはどのようなものだったのでしょうか。

ケイト・リッチの捜索願

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ルーカスの逮捕は、ルーカスが殺害した82歳の老女、ケイト・リッチへの捜索願がきっかけでした。ホームレスとなっていたルーカスとベッキーに、奉公する代わりに寝る場所と食べるものを与えた慈善団体「祈りの家」の人間だった彼女は、ベッキーをキリスト教に目覚めさせました。

ベッキーを気にかけ、その結果ルーカスにとって邪魔な存在となり殺害されてしまったケイト・リッチでしたが、そんな彼女の行方と安否を家族や親戚は心配し、捜索願を出したのです。

捜査官ビル・コンウェイ

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捜索願が出されたことで警察が動き出しました。その時の捜査官、ビル・コンウェイは「ハウンドドッグ」というあだ名を持つ、執念深い人物でした。

ビル・コンウェイは、失踪前のケイト・リッチの人間関係を調べるうちに、ルーカスの存在を怪しむようになりました。彼の前科は怪しまれるのに十分でした。また、親戚は始めからケイト・リッチの新しい知人であるルーカスとベッキーを信用しておらず、距離を取るようケイト・リッチに話していたのです。

車を追跡しヘンリーを拘束

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ケイト・リッチを殺害した後、ルーカスは「祈りの家」の牧師に「ケイトとは会えなかった」と嘘をつき、牧師の車で逃走しましたが、その車を捜査官ビル・コンウェイは追跡します。

その後、カリフォルニア州の高速道路のパトロール隊が、コンウェイ捜査官の管轄外で放棄された牧師の車を発見し、同時に車のフロントシートに付着した乾いた血痕も発見されました。

車から逃走していたルーカスでしたが、翌日、へメットという町の骨董品屋でルーカスは発見されます。

血液型が一致せずに釈放

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コンウェイ捜査官の執念深さの甲斐あってついに捕まえられたルーカスでしたが、すぐに釈放されてしまいます。その理由は血液でした。

放棄された牧師の車に残っていた血液はケイト・リッチのものだと思われましたが、ルーカスは自分の血液だと主張しました。そこで検査が行われましたが、ルーカスの血液型はO、ケイト・リッチの血液型はAなのに対し、車に残された血液型はOということが判明したのです。

唯一の手がかりである血液がルーカスを犯人と示す証拠にはならず、彼は釈放されました。

別の事件を理由に拘留

Barbed Wire Chain Link Fence - Free photo on Pixabay (601369)

ルーカスは釈放後、「ベッキーのことを探す旅に出る」ということを口実に図々しくも「祈りの家」に支援物資をたかりに戻ります。

そこで待ち伏せていたのはコンウェイ捜査官でした。彼は、血液は時間が経過するとO型になりやすい特徴があるということを知っていて、ルーカスが犯人だと確信していたのです。

別の事件を理由にルーカスを拘留したコンウェイ捜査官は、5日間に渡り酒もタバコも与えないという、ルーカスにとって拷問に近い取り調べを開始し、根をあげたルーカスは自供を始めました。

ヘンリー・リー・ルーカスの最期

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自供を始めたルーカスはその後、テキサス州ウィリアムソン郡のジョージタウン刑務所の厳重警戒房に収監されます。モンタギュー拘置所内にいる時にキリスト教に目覚めたというルーカスは、それまでの罪の自白も始めました。

これは、自分が自白することで、ルーカスの罪の冤罪となっている人を救いたいという気持ちからだと本人は言っていますが、本心かは分かりません。

死刑執行を免れる

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物的証拠のある2件の殺人罪と、物的証拠のない9件の殺人罪で起訴されたルーカスに対する判決は、死刑でした。

ところが当時のテキサス州知事、ジョージ・W・ブッシュによって1998年に予定されていた死刑執行は延期されることになります。理由は証拠不十分でした。

またジョージ・W・ブッシュは死刑推進派であることで有名で、彼が署名することで死刑が執行される案件はその時153人分あり、ジョージ・W・ブッシュはその内152人分には署名していたのです。ジョージ・W・ブッシュの超異例な判断により、ルーカスは死刑を免れたのです。

2001年に心臓発作で死亡

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ルーカスは死刑判決を免れたことに喜びましたが、死刑執行予定の1998年から3年後の2001年に心臓発作のため獄中死しました。監房を見回りに来た刑務官が死亡しているルーカスを発見しました。享年64歳でした。

逮捕されてから、「ヘンリー・リー・ルーカス連続殺人事件特別捜査班」の正式なメンバーとして、未解決だった事件の捜査に協力したルーカス。虚言癖があることから捜査を混乱させることもありましたが、自身が起こした事件の解決には積極的に協力していました。

ヘンリー・リー・ルーカスの生い立ちに同情する声も

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