2019年9月8日 更新

【シリアルキラー】ヘンリー・リー・ルーカスの犯行と生い立ちの関係

自称3000人以上を殺したというシリアルキラー、ヘンリー・リー・ルーカスは2001年に獄中死しました。残忍な犯行を繰り返したルーカスの壮絶な生い立ちとそれに深く関わる母親、また彼が残した背筋の凍る名言まで、ヘンリー・リー・ルーカスについて詳しく紹介します!

目次

自身が殺害したにも関わらず、ルーカスには母親が死んだということを現実として受け入れられていませんでした。それは悲しいという感情からではなく、長年にわたる母親からの虐待によって精神が異常をきたしていたためです。

母親殺害後服役していたルーカスは、刑務所内でも母親の幻聴に苦しみました。解離状態に陥ったため医師が診察した結果、精神分裂病と診断されました。

精神分裂病は現在「統合失調症」と呼ばれる精神の病気で、主な症状は幻覚・幻聴・被害妄想・疲労感・倦怠感・不眠です。何かしらのストレスによって脳の働きが不安定になることが原因とされていますが、ルーカスが長年受けてきた虐待とストレスが、この病気を引き起こした大きな原因であることは明白です。

刑務所内での生活

Chainlink Fence Metal - Free photo on Pixabay (601156)

刑務所内で持続的な母親の幻聴に苦しんだルーカスは、破壊衝動に囚われ自殺未遂を繰り返しました。そのため4年間にわたる薬物療法とショック療法で心の改善を試みます。治療によって脳の働きを回復させ、ストレスとの付き合い方を学び始めたのです。

治療によって多少落ち着いたルーカスは刑務所内で電気技師の資格を取得し、大学レベルの教育プログラムを修了させ、刑務所関係者に高く評価されました。しかしこのことが仇となり、ルーカスはシリアルキラーへの道を急速に歩み始めたのです。

わずか10年で釈放

Aids Handcuffs Ambulance - Free photo on Pixabay (601157)

時は1970年、アメリカは長引くベトナム戦争の真っ只中でした。その為アメリカは財政難に陥り、囚人1人にかけられる予算を制限する事態が発生していました。刑務所内での資格取得と教育プログラムを修了したことで高く評価されたルーカスは、更生したと見做され釈放を言い渡されます。囚人の数を減らす必要があったのです。

判決では約40年という刑期だったのにも関わらず、入所してから10年足らずで釈放を言い渡されたルーカスは、出所を望んでいませんでした。そのため仮釈放委員会で「釈放したらまた人を殺しますか?」という問いに対しルーカスは「はい。自分は釈放されたらまた人を殺します。」と答えました。

しかしこの発言を冗談と勘違いした仮釈放委員会は、あろうことかルーカスに釈放を言い渡したのです。

すぐに殺人

Blood Crime Scene Murder - Free photo on Pixabay (601158)

「釈放されたらまた人を殺します。」という言葉の通り、1970年6月、ルーカスは出所後すぐに人を殺しました。刑務所を出た僅か数ブロック先で、ルーカスは女性を絞殺し金品を奪ったのです。

その犯行を予知するかのように、ルーカスは出所の際ゲートに立つ刑務官に「あなた達の玄関にプレゼントを置いておきます。」と告げていました。数ブロック先で殺害した女性の遺体を刑務所前に置いたとされるルーカスでしたが、彼がこの日に殺害したのは1人ではなかったのです。

アメリカ国家の財政問題、そして仮釈放委員会による判断ミス、二つの要素とルーカス自身の闇が重なり、この日を境に彼は完全なる連続殺人鬼となったのです。

釈放から連続殺人鬼と化す

Auschwitz Oven Concentration - Free photo on Pixabay (601160)

母親殺害前、動物虐待や窃盗を繰り返すことはあっても、手当たり次第殺害することはなかったルーカスでしたが、1970年の釈放後、ルーカスの殺人への垣根はさらに低くなります。

残忍な連続殺人鬼と化したルーカスは、1983年に逮捕されるまでどのような人生を歩み、罪を重ねたのでしょうか。

ルーカスの逮捕のきっかけとなった「ケイト・リッチ殺害事件」までを紹介します。

釈放後すぐに殺人

Hand Murder Cold - Free photo on Pixabay (601303)

釈放後、刑務所の数ブロック先で女性を殺害したルーカスは、その日のうちに計2人を殺害したと言われています。年齢も関係なく手当たり次第殺す勢いのルーカスは、逃亡生活を始めました。

1日にタバコを5箱吸い、酒やジャンクフードで生きながらえたルーカスには殺人以外生きる目的などありませんでした。

母親を殺害したことでタガが外れたのか、ルーカスは釈放後はしばらく働くこともなく、襲う相手が現れるのただ待っているような状態でした。

誘拐に失敗し再び刑務所へ

Konzentrationslager Dachau Wall - Free photo on Pixabay (601304)

釈放から12ヶ月後の1971年、ルーカスはバス停にいた10代の女学生の誘拐を試みました。しかしこの誘拐は少女の抵抗で未遂に終わります。しかし駆けつけた警察官に、所持していたハンドガンを発見されてしまいます。

このことが仮釈放違反となりルーカスは起訴され、約4年の実刑判決を言い渡されます。刑務所内では問題を起こすこともなく過ごし、その後1975年8月に釈放されたルーカスは、ある女性と結婚することになるのです。

子持ちの女性と結婚

Wedding Rings Engagement - Free photo on Pixabay (601305)

1971年の女学生誘拐未遂の罪で服役中に、ルーカスはペン・フレンドと文通するようになります。刑務所内のルーカスに手紙を書いてきた女性に返事を出したのがきっかけで始まった2人の文通は、1975年のルーカスの出所まで続きました。

刑務所にいる会った事もない男性と文通するという少し変わった女性と、ルーカスは出所後交際を始めました。女性はシングルマザーでしたが、2人は交際を始めてすぐに結婚しました。

しかし女性の娘が、ルーカスに性的虐待をされたと母親に訴えた事で2人の結婚生活は破綻し、ルーカスは結婚から2年後に女性のもとを去りました。

オーティス・トゥールとの出会い

Milky Way Starry Sky Night - Free photo on Pixabay (601306)

1975年に出所し結婚するも2年で別れてしまったルーカスは、しばらく妹の住むフロリダの家に居候していました。その間ルーカスはフロリダにあるキノコ農場で働いて生計を立てていましたが、オーティス・トゥールという男と出会った事でルーカスの殺人行為は加速しました。

下品で野蛮な男、オーティス・トゥールは幼い頃から虐待されており、しかもルーカスと同じ連続殺人鬼だったのです。似たような境遇と現在を持つ2人はすぐに意気投合しました。

ベストバディを見つけたルーカスはその後妹の家を出て、オーティス・トゥールのトレーラーハウスがあるジャクソンヴィルに拠点を移しました。そして2人は各地を転々とし、殺人を繰り返したのです。

ベッキーとの出会い

Woman Silhouette Standing - Free photo on Pixabay (601307)

オーティス・トゥールはある日、ベッキーという愛称の姪をルーカスに紹介しました。当時12歳だったベッキーをすぐに好きになったルーカスは、その後ベッキーのことを深く愛するようになります。ルーカスが40歳という年齢に対してベッキーは若すぎましたが、ありのままの自分を受け入れてくれるベッキーに、ルーカスは強く惹かれたのです。

ルーカスはベッキーを内縁の妻とし、トゥールを含めた3人でアメリカ各地を回りました。

性的衝動は殺人で解消

Chains Caught Psyche - Free photo on Pixabay (601308)

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