2019年9月8日 更新

【シリアルキラー】ヘンリー・リー・ルーカスの犯行と生い立ちの関係

自称3000人以上を殺したというシリアルキラー、ヘンリー・リー・ルーカスは2001年に獄中死しました。残忍な犯行を繰り返したルーカスの壮絶な生い立ちとそれに深く関わる母親、また彼が残した背筋の凍る名言まで、ヘンリー・リー・ルーカスについて詳しく紹介します!

目次

2つ目に、「女は存在する必要がない」という言葉があります。幼い頃から繰り返された母親による虐待は肉体的なものだけでなく、母親のセックスを強制的に見させられるという精神的虐待もありました。

このことが結果、性に対する複雑で残虐な思考と、女性に対する激しい憎悪に結びついたのです。

「女は存在する必要がない。だから見つければみんな殺す。要するに俺は良いことをしたんだよ。」と語ったルーカスに、反省の気持ちはカケラもありませんでした。

セックスは最悪

Sleep Bed Sheets - Free photo on Pixabay (601131)

次の言葉に「セックスは最悪」というものがあります。母親のセックスを見させられるという虐待を受けてきたルーカスにとって、セックスは愛と結びついたものではなく、むしろ嫌悪する行為でした。

「俺にとってセックスは最悪なものだった。ありのままの自然な俺を受け入れてくれる人間なんていなかった。セックスしたかったら殺すだけだ。」と語ったルーカスは確かに、生涯で唯一心から愛したと思われる女性とはセックスをしないまま終わりました。

人間は白紙

Model Face Beautiful Black And - Free photo on Pixabay (601132)

最後に挙げられるのが「人間は白紙」という言葉です。「人間なんて存在は俺にとっては何でもない。ただの白紙だった。」と語るルーカスは、すべての人間が嫌いだったといいます。

「あらゆる人間が憎かった。俺は敵意の塊みたいな存在で、好きなものなんて何もなかった。」

子供の頃のルーカスを知っている人物は、ルーカスは子供の頃から奇行や人を怖がらせるような行動を取ることで、周囲の注目を得ようとしていたと証言しています。親に認められなかったルーカスの注目を得る手段は、年齢とともに完全に間違った方向へと向かってしまったのでした。

ヘンリー・リー・ルーカスの生い立ち

Father And Son Walking Love - Free photo on Pixabay (601134)

ルーカスが犯した犯罪には、彼の生い立ちが非常に大きく関係しています。愛を知ることなく育ち、後にシリアルキラーとなってしまったルーカスの生い立ちとは、一体どのようなものだったのでしょうか。

母親と父親

Boy Child Dad - Free vector graphic on Pixabay (601135)

ルーカスは1936年8月23日にバージニア州モントゴメリー郡、ブラックスバーグで母親ヴィオラの第11子として生まれました。ヴィオラはアイルランド系インディアンの女性で、12歳から売春している生粋の売春婦でした。ルーカスが生まれる前、客に「女の子が生まれたら親子ごと買ってやるよ」と言われたことで、女児を待望していました。

男児ということに失望したヴィオラはサド・マゾが売りの売春婦で、妊娠中は妊婦のお腹を蹴りたい男を探して商売していたといいます。ルーカスは第11子でしたが、それまでの子供も売るか捨てるかされていたようです。

一方父親アンダーソンは元鉄道員で、泥酔した際電車に轢かれ両足を切断しています。その為車椅子で生活する性格が弱々しい父親アンダーソンは、ルーカスの実父ではありませんでした。

母親からの虐待

Chains Feet Sand - Free photo on Pixabay (601136)

女児を望んだヴィオラにとって、ルーカスは望まれない子供でした。生まれる前から精神的虐待を受けていたと言っても過言ではないルーカスですが、誕生後に彼が受けた母親による虐待は壮絶なものでした。罵倒から始まり、殴る蹴るは当たり前、肉体的、精神的、そして日常的に虐待されていたルーカスは、実際身体にも影響をもたらしました。

1983年に逮捕された際、ルーカスは精密検査を受けました。その時脳の神経系に広い損傷が見られたのです。これは完全にヴィオラの虐待によるものでした。

虐待を喜んでいた父親

Head 3D Face Woman'S - Free image on Pixabay (601137)

母ヴィオラによる虐待はルーカスに対してだけでなく、父親に対しても行われていました。しかし弱々しい父親アンダーソンは、ヴィオラによる虐待を喜んでいました。というのもアンダーソンは元々マゾヒストだったのです。後にルーカスは父親のことを「汚らわしいマゾ」と表現しています。

アンダーソンは両足を失ったことで鉄道員の仕事を辞め、その後「ムーンシャイン」と呼ばれる密造酒製造の内職をし、しかしその酒のほとんどは自分で飲むという生活をしていました。そんな父親の影響でルーカスも10歳ごろには飲酒を始めています。

両足が無いことから「ノーレッグス」と呼ばれていたアンダーソンは、そのような屈辱的なあだ名にも怒らない生粋のマゾで、サド・マゾ専門の売春婦のヴィオラとは相性が良かったのかもしれません。

父親は虐待が理由で死亡

Winter Landscape Trees Snow - Free photo on Pixabay (605225)

そんな父親アンダーソンは、ルーカスが12歳の時に死亡しました。ある冬の寒い日に、アンダーソンのことを鬱陶しく思ったヴィオラは、夫のことを車椅子ごと外に放り出しました。

外に出しっぱなしにされたアンダーソンは急性肺炎により死亡しました。アンダーソンのことを「本当のお父親かわからない」と話していたルーカスが、父親の死に対してどのような感情を持ったのかは分かりません。

しかし自分のことを守ってくれることも正しいことが何かを教えてくれることもなく、ヴィオラに虐待されて喜んでいた異常な父親の死は、まだ子供の12歳のルーカスにとって大きな出来事でした。

兄からの暴行で失明

Eyes Psychology Anxiety Disorder - Free image on Pixabay (601139)

ルーカスには仲の良かった腹違いの兄がいました。ある日その兄と森で小枝を切って遊んでいる時、兄は不注意でルーカスの左目を切り裂いてしまいました。家に帰ってもヴィオラは病院に連れて行くことはおろか応急処置もしてくれず、「何やってんだ!」とその左目をこずいたのです。

このことでルーカスの左目は尋常で無いほど晴れ上がりました。ところがそれだけでなく左目がまだ化膿している時、学校で追い打ちをかけるようにアクシデントが起こりました。友達が投げた定規が目にぶつかったのです。このことが致命傷となり、ルーカスは左目を失明しました。

母ヴィオラは意気揚々と学校から賠償金をせしめ、その金でルーカスには一番安価な義眼を与え、残りの金は酒代に使ったのです。

初めての殺人

Psycho Shower Stabbing - Free vector graphic on Pixabay (601141)

そんな異常な環境で育ったルーカスは、14歳の時に初めて人を殺しました。ルーカスは通りすがりのバス停にいた17歳の少女に誘いを断られたことに逆上し、少女をレイプした後絞殺したのです。この殺害は1983年のルーカス逮捕後の自供によって明らかにされたものでした。

ルーカスは13歳の頃から動物を殺すことを遊びとして楽しんでいました。そして動物虐待を教えたのはヴィオラのヒモの男でした。

ヴィオラの虐待から生まれたセックスに対する偏った概念と、思春期特有の女性への興味のバランスが取れず、ルーカスはセックスを過度に憎むようになりました。性への屈折した感情の増大とともに、動物虐待から始まった残虐的行為はエスカレートしたのです。

窃盗事件

Thief Burglary Break Into - Free photo on Pixabay (601142)

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