2019年10月5日 更新

巣鴨子供置き去り事件の概要とその後は?母親や長男の現在についても

今から31年前に起きた「巣鴨子供置き去り事件」は、母親の育児放棄によって起きた事件です。事件発覚の場所となったマンションには、長男を始めとする4人の子供達が暮らしていました。今回は事件の概要と、置き去りにした母親や子供達のその後、そして家族の現在を紹介します。

目次

服飾の専門学校に入学

Sewing Machine Couture Thimble - Free photo on Pixabay (685311)

裕福だったと考えられる理由としてもう1つ上げられることは、私立高校を卒業した母親は、服飾系の専門学校にも入学しているということです。

現代の我々が考える専門学校とは、もしかすると多少系統が違い、花嫁修業的な洋裁などの学校だったことも考えられますが、何れにせよすぐに労働力として駆り出されていないのですから、母親の実家は裕福であり、わりとお嬢様だったのかもしれません。

実家から通っていたのか、それとも単身離れた場所で進学したのかは分かりませんが、彼女はこの後自由に動き出して行くのです。

歌手を目指す

Singer Bbface Singing - Free photo on Pixabay (685322)

服飾の専門学校に在学中、母親はどのような経緯があったのか突然、歌手を目指したと言われています。歌が上手かったのでしょうか?それとも、どこかでスカウトでもされたのでしょうか?その経緯は全く不明なのです。

母親は実家と絶縁状態にあったと言われていますが、もしかするとこの歌手を目指したことがきっかけで勘当されたのかもしれません。

高いお金を払ってまで高校、専門学校に入れたのですから、卒業後はすぐにでも見合いで結婚などという娘の将来を、両親が計画していたのであれば、当然逆鱗に触れるでしょう。

1966年にデビューを果たす

Audio Concert Mic - Free photo on Pixabay (685327)

努力した甲斐があったのか、母親はついに夢を叶え、1966年(昭和41年)に歌手デビューすることが出来ました。芸名や活動など、彼女の歌手人生は全く分かりませんが、レコードも数枚販売されていたようです。

昭和41年のヒットソングを調べてみると、この時代はまだアイドルという存在もほとんど無く、実力派のシンガーが多かった時代です。

美空ひばりや加山雄三、美川憲一、橋幸夫などの歌手や、アイドル的存在としては西郷輝彦や、グループサウンズなどが流行していた中で、まだ18歳の彼女がデビュー出来たということは、それなりに歌唱力があったのかもしれません。

人気が出ることはなく2年で引退

Woman Desperate Sad - Free photo on Pixabay (685355)

夢にまで見た歌手デビューを果たした彼女でしたが、現実はやはり厳しかったようです。ヒット曲も人気も全く出ないまま、わずか2年で歌手を引退してしまいました。

今でも芸能界に反対する親はいますが、最近は子供を利用して自己承認欲求を満たしたい親が増えており、芸能人やアイドルを子供に目指させようとする時代になりつつあります。しかし、芸能界を含め興行を生業とするものの影には、大抵反社会勢力が係わっています。本来、まともな感覚を持っていれば、本人が覚悟を決める以外、大切な我が子をその世界に送り込もうとする親はいないのです。

この母親が歌手になった頃はまだ昭和41年であり、その両親となれば大正から昭和初期生まれでしょう。当然、応援するより反対に回るのがその時代の常識と言えます。

デパートの派遣店員として働く

Department Store Clothing Fashion - Free photo on Pixabay (685360)

夢を諦めた母親が服飾の専門学校を卒業したのかも分かりません。しかし、まともに学校に通う暇があったのかと言えば、当時の芸能界の状況を考えると難しいと言えます。

昭和の後期まで、女性は25歳で行き遅れと言われていた時代に、就職もせず、学校も中途半端では、まともな職に就くことは出来なかったでしょう。20歳になった彼女は、実家に戻ることも出来ず、デパートの派遣店員として働き始めます。

当時は今のような人材派遣会社が無い為、アルバイトやパートのような扱いで働いていたのかもしれません。どの企業も、女性には23歳頃までに寿退社してもらいたいということを暗黙の了解としていたので、給料もあまり良く無かったでしょう。

事件当時の年齢は40歳であった

Mirror Surreal Fantasy Magic - Free photo on Pixabay (685364)

20歳の頃、彼女は就職先のデパートで、長男の父親と出会ってしまったことから、人生は狂いだしていきました。もしかすると、歌手を目指した時から運命は変化していったのかもしれません。

先程も触れたように実家には戻れず、夢が叶わなかったという挫折と失意を抱えながら、早く結婚しなければ…という現実的な不安などもあり、彼女は焦っていたのではないでしょうか?その中で、頼れるのは唯一この男だけだったことが考えられます。

しかし、結局この男とも結婚は出来ず、彼女と子供達は不幸な人生を歩み続け、いつまでも女であることを求め続けた母親も、事件発覚時には40歳となっていました。

長男の事件のその後と現在

Lonely Man Sitting - Free photo on Pixabay (685369)

大人になって年を取れば、自分の両親も未熟な人間であり、ただの男と女だったということに気が付くことは出来ますが、子供にとってはいつまでも父母として見てしまうものです。

親に愛情を上手く貰えなかった子供は、親に対して見切りをつける、試し行為(ワガママ、暴力に至るまで)に走る、または憎悪を感じてしまうというような行動を取るのですが、隠された本音の中には必死で愛を求める小さな子供が隠れています。

巣鴨子供置き去り事件の長男は、思春期故の反抗心や潔癖感などを持ちながらも、唯一無二の肉親である母親を愛していたのでしょう。長男、長女のみならず、虐待やネグレクトに遭う子供達は、良い子でいれば親が振り向いて愛してくれると考える為、常に顔色を窺い、逆らうことが出来なくなってしまうのです。長男もまた、そのような心理を抱え、妹達の面倒を見ていたのかもしれません。ここでは、事件後の長男のその後を紹介します。

養護施設に送られる

City Man Person - Free photo on Pixabay (685375)

長男は保護された後、一旦は三女に対する傷害致死と死体遺棄の件で東京家庭裁判所に送られました。しかし、未成年だったことや、戸籍が無い、学校も行っていなかったという特殊な環境も考慮され、養護施設に送られたのです。

貧困や悲惨な家庭が連鎖していく原因として、親からの愛情欠損や教育欠損による無知などが上げられます。この事件は、母親さえしっかりしていたのであれば、長男が三女を殺してしまうまでの事件を起こす可能性は低かったと言えるでしょう。

長男は三女に対しては加害者ではありますが、学校も行けず、たった1人で幼い妹達の面倒を見せられていた被害者でもあります。その為、長男は施設に送られ、人生をやり直すきっかけを与えられました。

消息不明となっている

Forest Path Foggy Cumberland - Free photo on Pixabay (685378)

長男は当時未成年だったこともあり、彼のその後は全く詳細が分かりません。しかし、ネットでは養護施設を飛び出した後、消息不明になっているという説があります。

彼が何年養護施設にいたのかは分かりませんが、保護された時点で14歳だったことを考えれば、18~20歳までの時間はすぐだったでしょう。このあと詳しく述べますが、母親は再婚した上に、妹2人は母親が最終的に引き取っています。

しかし、最大に母親に尽くしたはずの長男を、母親は引き取ることはしませんでした。確かに自立して良い年齢ではありますが、長男もようやく母親に見切りをつけることが出来たのかもしれません。

結婚をしているという噂も

Bride Couple Groom - Free photo on Pixabay (685385)

ネットの噂では、長男はその後結婚したという話も流れています。今現在、長男が無事に生きているのであれば、すでに46歳~47歳となっています。

自分が幸せな環境で育てなかった場合、同じように不幸な家庭を生み出してしまうか、逆に親を反面教師として、幸せな家庭を作り上げようと努力するかに分かれてしまうでしょう。

彼が今何処で何をしているのかは不明ですが、願わくば運命に負けず、幸せな人生を送っていて欲しいものです。

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