2019年10月5日 更新

巣鴨子供置き去り事件の概要とその後は?母親や長男の現在についても

今から31年前に起きた「巣鴨子供置き去り事件」は、母親の育児放棄によって起きた事件です。事件発覚の場所となったマンションには、長男を始めとする4人の子供達が暮らしていました。今回は事件の概要と、置き去りにした母親や子供達のその後、そして家族の現在を紹介します。

目次

映画にもなった「巣鴨子供置き去り事件」

Child Person Containing - Free photo on Pixabay (682586)

最近よく目にする悲惨な幼児虐待事件のニュースを目にした時、実親なのに何故?と思える人や、自分の両親のことが大好きだったり、家庭が一番の安らぐ場所と感じている人は、とても幸せな人だと言えます。世の中には、唯一の庇護者である親が未熟な為に、家庭が地獄と化している子供達は想像以上に多く存在しているのが実態なのです。

昔からクズのような親はたくさんいましたが、核家族化や近所付き合いが希薄になった現代では、他人の家庭に入り込むことは難しくなり、辛い目に遭っている子供の実態にも中々気付くことが難しくなりました。特に隣人の顔も知らず、他人に干渉しない都会では、賑やかな景色の裏側に影を作り出してしまうのです。

今回紹介する巣鴨子供置き去り事件もまた、東京という大都会の片隅で起きてしまった事件であり、中々すぐには気付かれませんでした。更に、この事件の発覚から、別の問題も発覚され、世論に大きな影響を与えたのです。2004年(平成16年)には映画のモチーフにされたことで、再びこの事件が知られるようになりました。

巣鴨子供置き去り事件の概要

Door Bad Luck 13 - Free photo on Pixabay (682633)

毒親という言葉も今やすっかり定着し、自分の両親や家庭に対する異常性に気が付いたという若者も増えてきました。核家族化した現代では、家庭という場所が閉ざされたものとなり、生まれてからずっと育った場所がおかしいとは、中々自分では気が付くことが出来ません。

これは親もまた同じであり、幼少期に愛情を貰えなかった人は、自分の子を上手く愛することが出来ず、誰かがその異常性に気が付いてくれなければ、永遠と負の連鎖を断ち切ることは出来ないのです。

巣鴨子供置き去り事件もまた、母親が世間との係わりも少なく、子供達もその異常性に気が付くことが出来なかった為に発生したと言えるでしょう。ここでは、巣鴨子供置き去り事件が一体どのような事件だったのか、まずは概要を紹介していきます。

1973年10月に長男が誕生

Baby Handle Tiny - Free photo on Pixabay (682647)

事件が発覚した1988年(昭和63年)当時、母親は40歳だったと言われてます。そのことから逆算すると、長男が誕生した1973年(昭和48年)10月付近の母親は、25~26歳だったと考えられるでしょう。

今現在の25歳前後の出産は、早いと感じる人が多いかもしれません。しかし、逆算から考えると母親は1948年(昭和23年)生まれなので、当時の世間体から考えればどちらかというと遅めの出産と言えます。

少なくとも、この時の母親は長男の誕生を喜び、普通の暮らしを想像していたのでしょう。母親はのちに、この長男に弟妹達の面倒を押し付けてはいますが、唯一外出を許可し、時々外で逢っていたことや、大家に紹介するなどの行為から、長男にだけは、多少の愛情があったのではないか?と考えられます。

父親が蒸発

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体外受精などでない限り、子供は女性1人で作ることは出来ません。当然、この長男にも父親が存在していました。

この父親が一体誰だったのかというような詳細は全くの不明です。しかし、彼の行動から見るに、既婚者だった可能性が考えられます。

少なくとも、長男誕生からしばらくは一緒に暮らしていたようですが、毎日一緒にいたのかは分かりません。しかし、この父親は長男が6歳の時に、母子を捨てて突如蒸発してしまいました。

1982年~1985年に掛けて4人の子供が誕生

Woman Baby Mother - Free photo on Pixabay (682674)

父親が蒸発してしまった後にも、母親は1982年(昭和57年)~1985年(昭和60年)の間に、4人の子供を出産しています。もちろん、父親は誰か分かっていません。

生活の為に売春していたという話もありますが、この後男との同棲を選んで子供を捨てたことから考えられるのは、この母親も親に愛されなかった子供であり、特に父親との関係を上手く築くことの出来ず、歪んだファザーコンプレックスを抱えていた可能性です。

暴力や暴言、性的虐待、または父親に構ってもらうことが出来なかったという女性は、極端な年上の男に走る、男性恐怖症になる、もしくは男を敵だと見なすか、逆に男に依存し性関係が奔放になるなどの行為を繰り返します。この母親は、男に依存するタイプだったことが窺えますが、もしかすると自己判断の出来ない、隠れ知的弱者(ボーダー)だった可能性も考えられます。

次男は生後間もなく死亡

Angel Figure Sculpture - Free photo on Pixabay (682681)

先程少し触れましたが、日常生活はある程度遅れるものの、社会生活に上手く適応出来ない、IQが著しく低いなどの、隠れ知的障害やパーソナリティー障害、発達障害などが最近になってようやく注目されるようになってきました。

障害者か否かの判断基準は、知能指数(IQ)などで判断されますが、自治体によって基準はバラバラで、検査から漏れてしまうと健常者として扱われることになります。しかし、実は軽犯罪を繰り返す者や、貧困から抜け出せない者達の中には、この隠れ知的弱者が多く存在していることが判明しており、今現在問題となっているのです。

隠れ知的弱者は、自己での善悪の判断や、誰かに上手く相談することも出来ず、本能的にしか動くことが出来ません。巣鴨子供置き去り事件の母親もまた、子供が出来ても役所や病院に行くこともせずに自宅で産んでいます。そのせいか、次男は誕生後間もなく死亡してしまいました。

母親が次男の遺体を押入れに隠す

Wood Door Closet - Free photo on Pixabay (682685)

この時点で長男、長女と2人の子供がいましたが、母親は亡くなってしまった次男の遺体を押入れに隠します。次男が何故亡くなったのかは不明ですが、もし出産後に異変があったのであれば、普通の人は救急車を呼ぶなり、子供を病院に連れて行くなどの判断が出来るでしょう。

また、お金が無く、仕事も見つからなかったのであれば、役所に相談して生活保護申請をするなり、児童福祉などに相談することも出来るはずです。まともな判断を出来る知能指数があるのであれば、我が子の遺体を放置することもありません。

しかし、この母親は何もかも隠すことしか出来なかったのです。

1987年頃、母親に新しい男ができ家を出る

Lipstick Lipgloss Lip Gloss - Free photo on Pixabay (682689)

1987年(昭和62年)頃になって、母親に新しい彼氏が出来ました。この時点で、母親は既に39歳、子供は14歳になった長男を筆頭に4人おり、1番下の三女はまだ1歳です。

久しぶりに出来た彼氏なのか、母親は徐々に家に寄り付かなくなり、とうとう家を出たまま戻ってくることも無くなってしまいました。

長男が14歳であれば、確かに妹達の面倒を見ることは可能です。しかし、思春期の男子にとって乳幼児の世話は、とても負担が大きかったでしょう。

子供達だけの生活が始まる

Child Tower Building Blocks - Free photo on Pixabay (682693)

母親が出ていてしまってからは、14歳の長男が妹達の世話をすることになりました。14歳と言えば、まだ中学2年生です。彼は学校にも行けず、近所には手の掛かる妹達の存在を隠しながら、家事や育児を担っていたのです。

どの親でも、長男長女をつい頼りにしてしまったり、弟妹が出来ると「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」として扱う為、我慢させたり、ワガママを許さないなどして、相手が子供だということを忘れがちになります。

しかしこの母親は、大きくなった長男を子供としてでは無く、1人の男として認識し、依存していた可能性が高いと言えるでしょう。何故ならば、たいていの母親は危なっかしい中学生男子に、家庭や育児を丸ごと任せる気にはならないからです。

母親はたまにしか顔を出さなかった

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