2019年10月5日 更新

巣鴨子供置き去り事件の概要とその後は?母親や長男の現在についても

今から31年前に起きた「巣鴨子供置き去り事件」は、母親の育児放棄によって起きた事件です。事件発覚の場所となったマンションには、長男を始めとする4人の子供達が暮らしていました。今回は事件の概要と、置き去りにした母親や子供達のその後、そして家族の現在を紹介します。

目次

Door Accessibility Lock - Free photo on Pixabay (682706)

母親も当初から子供達を放置していることに対して、全く心配をしていなかった訳では無いようです。家を出てからしばらくは、たまに顔を出すようなことはしていました。

顔を出さない場合は、長男に電話を掛けて様子を窺ったり、近所のマクドナルドに長男を呼び出して話を聴くことがあったということから、多少の心配はしていたのかもしれません。

しかし、何れにせよ母親が家に戻ってくることは無く、その度に彼氏の家へと帰って行きました。思春期を迎えた長男は、一体どのような思いで母親の背中を見送っていたことでしょう。それでも彼は母親に文句も言わず、また妹達の面倒を見る為、親のいない部屋へと戻るのです。

長男の友人2名が居座るようになる

Smoking Young People Youth Be - Free photo on Pixabay (682789)

長男は1度も学校に行ったことがありません。その為、自分の家庭を相談するような友人もいなかったのです。毎日いるのは、まだきちんとした会話も出来ないような6歳、2歳、1歳の妹達。

そんな彼に、突如として男の友達が2人出来ました。彼が住んでいたマンションの1階には、コンビニがあり、そこで買い物する際に出来た友達です。

この2人がどのような人物だったのかは不明ですが、親がいないことを知ったせいか、この2人はマンションに居座るようになりました。

長男に気持ちの変化が訪れる

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長男にとっては、初めて出来た同性で同年代の友人2人も、親の居ない家に居座るということは、家庭に問題のある放置子です。1人は不登校、もう1人は攻撃性の強い男子だったと言われています。

同年代の男子が家にいることで、長男の気持ちにも変化が現れます。元々思春期に入った頃に、自由の無い生活や幼い妹達の世話、そして母親が戻ってこない事への怒りや不安などの感情を抱えていたのでしょう。

同性の友達の前だと、男は見栄を張ったり、強気になったりしがちです。それらの相乗効果により、長男もついに罪を犯してしまうことになるのです。

長男・友人2名が三女を殺害

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ある日、三女は殺害されてしまいます。原因には諸説あって、泣き止まない三女にイライラしてという話や、攻撃性の強い方の男が買い置きしていたカップ麺を、三女が食べてしまったからという話もありますが真相は分かりません。

ここからは、不登校の友人をA、攻撃性の強い友人をBとしますが、このBが三女に対してキレてしまったのでしょう。この時、長男も参加しての折檻が始まります。しかし、ある程度の折檻が終わった後、長男は気を取り直したのか、それともBのキレ方が怖かったのか、妹を残したまま隣の部屋でテレビを観ていたようです。

その間も、AとBは三女に対して暴行を続けていました。サッカーボールのように頭を蹴ったり、押入れから三女の身体に飛び降りたりと、暴行をエスカレートさせていたのです。始めは泣いていた三女も、ついに意識を失ってしまいました。

三女の遺体を雑木林に遺棄

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静かになったことに気が付いた長男が慌てて部屋を覗くと、Bの足元に三女が転がっていました。驚いた長男は、自分達の生活がバレることを恐れ、意識を回復させるような行動を多少は取ったのですが、結局三女を放置してしまいます。

直接的な加害者となったBはすぐさま帰宅してしまい、なすすべもないまま残された友人Aと長男はそのまま眠りに着き、翌朝になって長男は三女が死んでいることに気が付きました。

当初は押入れに三女を隠していましたが、臭いが発生してきたことに慌てた長男は、友人Aと共に遺体をボストンバッグに詰め、秩父市の公園にある雑木林に遺体を棄てたのです。

大家の通報により事件発覚

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マンションの大家は、当初母親と長男の存在しか知りませんでした。しかし、ある時から友人が入り浸るようになったり、母親の姿がまるで見えないことに不審を抱いた大家は、ついに警察へと通報したのです。

警察から児童福祉事務所にも連絡が入った為、相談員や警察の立ち合いの元で大家が部屋の鍵を開けると、そこには衰弱の激しい長女と次女、そして長男の姿がありました。

部屋は異臭が漂い、ゴミや汚物が散乱した状態の中で、いつ作ったのか分からない味噌汁と炊飯器の中にはご飯が入っていたようです。長い時間、子供達だけで暮らした生活は、ここでようやくピリオドを打つことになりました。

巣鴨子供置き去り事件の真相

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核家族化は一見、女性の自由を勝ち取ったかに見えますが、実は戦後GHQ(共産主義思想のユダヤ人)が行った、日本人弱体化計画の一環でした。革命を持って、一党独裁政権を作ることを目的とした共産主義者達にとって、日本の強固な家制度は、中に入り込む為にとても邪魔なものなのです。

その為、女性の社会進出を男女平等やウーマンリヴで煽り立て、まずは母親を家庭から切り離し、女の自由を煽っては家長制度や家制度を破壊し、核家族化を進めて行きました。女が自由だけを求めた結果、現代の女性達が抱える問題は当然増えていったのです。

晩婚化による少子化、出産時期からの育休問題、男と少ない給料をシェアしていることで上がらない給料、そして発生する共働き…。更に離婚しても頼る親がいない、片親では仕事も限られる、老後の孤独死などなど問題は山積みです。巣鴨子供置き去り事件の母親も加害者であると同時に、ある意味時代の被害者とも言えるでしょう。しかし、罪の無い子供達も巻き込んでしまったことは許されることではありません。ここでは、そんな巣鴨子供置き去り事件の真相に迫っていきます。

子供達の父親は全員違う人物だった

Sperm Fertilization Live - Free image on Pixabay (682933)

女性だという理由だけで、誰しもが子供を産んだ瞬間に完璧なる母親になれる訳ではありません。野生の動物でさえ、育児放棄をするメスもいますし、新たなオスの登場で先に産んでいた前父親の子を殺してしまうこともあります。人間も同じで、やたらと妊娠・出産に向いた身体を持ちながらも、違う種(男)を求め、母性が発動できない女性も多いのです。ある意味で、女としての本能にとても忠実な人だとも言えるでしょう。

しかし人間の場合、もう少し複雑な心理が絡んでいます。幼少期の愛情不足、虐待という厳しい環境や、逆に叱られることもなく甘やかされて生きてしまい、自分勝手でワガママに育つなど、幼少期の人格形成や特殊な家庭環境によって、母性が湧かないという女性も多いのです。

巣鴨子供置き去り事件の母親は、どのパターンの人だったのかは不明ですが、男に選ばれセックスすることで、自己承認欲求を満たせるタイプだったのかもしれません。母親が置き去りにした子供達は、全て父親が違います。ただ、長男の父親とは結婚していると思い込んでいたことから、この男性には愛情があったのでしょう。彼が蒸発してしまってから、母親が男をとっかえひっかえしていたのは、裏切られたという寂しさを埋める為だった可能性も考えられます。

長男の父親と母親は婚姻関係に無かった

Divorce Separation Relationship - Free image on Pixabay (682938)

母親は長男の父親と、結婚していると思い込んでいたと上でも触れましたが、実際は入籍すらしていませんでした。そのことに母親が気が付いたのは、長男が小学校に入学する前になってからです。

2人は1968年(昭和43年)頃に、同じ職場のデパートで知り合い同棲を始めました。結婚する予定で両親にも紹介していますが、猛反対されてしまったと言われています。しかし、この両親が男性側だったのか、女性側の両親だったのかは分かっていません。反対されていたというわりには、同棲をそのまま続けたのち、結婚することになったと言います。

ここで女が迂闊だったのは、婚姻届けは一緒に書いていますが、役所への提出を男のみに任せていたということです。更に、彼女は派遣店員として同じデパートで働いていたのにも係わらず、入籍後の保険証や扶養手続きなど、婚姻に関した手続きが何も無かったことについて全く疑問を感じていません。この辺りに、母親の隠れ知的弱者の疑いと、父親が既婚者だったのではないか?という疑問が残るのです。

子供達は学校に通っていなかった

Human Paper Adult - Free photo on Pixabay (682942)

長男が小学校入学を控えた、1979年(昭和54年)になって突如父親が蒸発してしまいます。この時、母親が夫を探したのかは分かりませんが、捜索願いなども出されたという話はありません。

その間どのように母と長男が生計を立てていたのかも不明ですが、ある日母親は息子の就学通知が来ないことに疑問を持ち、役所へと確認しに行ったのです。ここにきて、ようやく自分達の婚姻届けも、出生届も出されていなかったことに気が付いた母親ですが、何故かそのまま相談もせずに帰ってきてしまいました。

役所に行くことは出来るのに、その後の解決策などを相談することが出来ないことからも、母親の隠れ知的弱者の可能性が高まります。結局、母親は何の解決策にも動かず、長男は学校に行くことが出来なくなりました。

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