2019年10月5日 更新

巣鴨子供置き去り事件の概要とその後は?母親や長男の現在についても

今から31年前に起きた「巣鴨子供置き去り事件」は、母親の育児放棄によって起きた事件です。事件発覚の場所となったマンションには、長男を始めとする4人の子供達が暮らしていました。今回は事件の概要と、置き去りにした母親や子供達のその後、そして家族の現在を紹介します。

目次

子供達の出生届は提出されていなかった

Document Approved Stamp - Free image on Pixabay (682951)

長男の出生届も母親は父親に提出を頼み、言葉でしか確認を取っていませんでした。このことで分かるのは、そもそも妊娠した際、母子手帳を貰いに役所へ行っていないということと、定期健診などで病院にも通っていなかったということです。彼女は長男も自宅で産んだのでしょう。

少なくとも父親は働いていたのですから、病院に行くことは不可能ではなかったはずです。しかし、父親側に何かしらの事情があり、公の場に彼女を連れて行くことが出来なかったのかもしれません。大抵の場合、出生届は産んでから2週間以内です。頼れる者も無かった母親は、その後も別の男達との間に出来た子供を自宅で1人産んでいる為、出生届も出しに行くことが出来なかったのでしょう。結果、無戸籍の子供達が出来上がりました。

実は、同じような無戸籍の子供達は、日本に約1万人存在していると言われ、様々な問題を生み出しています。学校どころか、存在しない扱いの為に社会保障を受けることも出来ず、将来の進学や就職、婚姻に至るまで普通の暮らしを送ることが出来なくなってしまうのです。

長男と2人暮らししていると嘘をついていた

Son Mother Child - Free photo on Pixabay (682964)

出生届を出していなかったせいか、それとも全て父親が違うことを恥じてなのか、母親は巣鴨のマンションに部屋を借りる際、大家には長男のみを紹介していました。

確かに都会でマンションを借りる時は様々な制約が多い為、片親で幼い子供が数人もいる場合、条件が厳しくなりがちです。母親は長男との2人暮らしという嘘だけではなく、父親は元外交官で亡くなったという嘘も付きました。

新しい住まいを手に入れた母親は、引っ越しする際に、何と亡くなった次男の遺体もスーツケースに入れて運んでいます。しかし、存在を隠していた6歳の長女は後でこっそり部屋に来たと言われているのですが、2歳の次女と1歳の三女がどのように部屋に入ったのかは分かっていません。

長男は立教小学校に通っていると嘘をついていた

Gangwon Do Native New Picture - Free photo on Pixabay (682976)

母親は、更に長男は電車で20分以上離れた「立教小学校」に通っているという嘘も付いていました。ちなみに、立教小学校は私立のキリスト系男子小学校です。

見栄を張ったのか、それとも経済状況の安定感を大家に与える為に付いた嘘なのかは分かりませんが、学校に行くことが出来ない長男は、一体どのような気持ちを抱いていたのでしょうか。

実際に何度か長男は学校に行きたいと母親に話していますが、母親はそのうち手続きをすると取り合わず、市販の学習ブックを買い与えるだけでした。

自宅で出産をしていた

Child Doll Bath - Free photo on Pixabay (683007)

先程も少し触れましたが、母親は全ての子供を自宅で産んでいます。最近のニュースでも、コンビニのトイレで産んでしまった女子高生や、自宅のトイレで産んでしまったという女性の話題がありますが、世の中には全く妊娠に気づかれることも無く、あっさり出産出来てしまう超安産型の女性はいるのです。

妊娠は人それぞれ違いますし、命懸けの行為です。悪阻(つわり)や逆子、そして難産などで苦しむ妊婦さんからすれば、誰の手も借りずにあっさりと出産してしまう人に対しては、羨ましさを感じてしまうでしょう。

このような女性は、総じて性に対する無知や、誰にも事情を説明出来ない環境にあることが多く、産んだばかりの子を遺棄してしまったり、捨ててしまったりしがちです。巣鴨子供置き去り事件の母親も、出生届を出さずに存在をひたすら隠し、最後は置き去りにしていったものの、産んですぐに捨てなかっただけ多少はマシなのかもしれません。

養子に出した子供がいる

Newborn Baby Feet - Free photo on Pixabay (683045)

発見された時の子供は3人でしたが、この母親が実際に産んだ子供は6人います。実は、長男の前に子供を1人産んでおり、父親は長男と同じと言われていますが真相は分かりません。

まだ結婚を視野に入れていない時期に出来たその子は、養子に出されています。この時母親はまだ20歳くらいなので、養子に出すという知恵は、父親からのものだと考えられるでしょう。

母親に最初から知恵があったのであれば、のちに出来た子供達も養子に出すなり、児童養護施設に預けるなどの考えも出来たのかもしれません。

生活費は現金書留で送られていた

Dollars Envelope Money - Free photo on Pixabay (683053)

母親が家を出てからしばらくは、生活費を現金書留で送ってきていたようです。長男はその資金で、家賃などの公共料金を払い、食品やオムツなどを買って妹達の面倒を見ていました。

情報の出所が定かでは無い為、確定は出来ませんが、時々謎の男性が部屋を訪れていたという話もあります。しかし、当初は7~8万程のまとまった金額を送金してきた母親も、徐々に金額を減らし2~3万円となっていきました。その結果、次第に子供達の生活は困窮を極めていくことになるのです。

家賃・ガス・電気料金が未払いだった

Candle Tealight Hand - Free photo on Pixabay (683059)

始めは様子を窺っていた母親も、1988年(昭和63年)の正月を最後に家に戻ってくることはありませんでした。その後1度あった送金で、長男は1月~3月分の家賃のみ支払っていましたが、公共料金を支払うことが出来ず、2月からは電気、水道、ガスを止められていまったのです。

水は公園で仕入れていたようですが、トイレの水も流れず、オムツを買うことも出来なくなったせいか、部屋は糞尿などの汚物が広がっていたと言われています。

マンション1階にあるコンビニで買い物をしていた

Store Convenience Quick Shop - Free image on Pixabay (683065)

子供達だけで暮らしてた西巣鴨にあるマンションの1階には、ミニストップが入っていました。大塚駅から徒歩10分以内で、鉄筋コンクリート4階建てというマンションの名前は分かっていません。

長男はほぼ毎日このコンビニで買い物をしており、菓子パンやオニギリなどを購入していたのです。当時のコンビニ店員は、長男が買い物に来る時間帯が、平日の日中や深夜に来ることもあった為、多少の不信感を抱いていたと証言しています。

母親と実家は絶縁状態だった

Desperate Sad Depressed - Free photo on Pixabay (683071)

子供を放置していた母親は、自分の実家とは絶縁状態だったと言われています。その為、困っても両親を頼ることが出来なかったのでしょう。

しかし、何故絶縁状態になってしまったのかという理由は不明です。例え実家が頼れない状況でも、もしこの母親に近所の人や親戚、友人など相談を出来るような相手がいれば、このように不幸な子供達を生み出すことも無かったと言えます。

もっと言えば、他人である役所にて相談し、児童福祉施設の相談員や社会福祉の相談員などを紹介して貰えたなら、この母子はもっと早く救われていたのかもしれません。

事件発覚後の状況・動き

Key Castle Security - Free image on Pixabay (685225)

事件が発覚したのは、1988年(昭和63年)7月17日(日)です。その年の正月以来、母親は家に戻っていないと言われていることを考えれば、最低でも半年間は子供達だけの暮らしを続けていたのでしょう。

電気・水道・ガスも止められていますが、家賃も昨年11月から溜まっていた3ヶ月分を3月末に振り込んで以来、払っていませんでした。家賃が半年も払われていないのであれば、大家としては様子を気にするのは当然です。

むしろそれまで、部屋を訪ねなかった大家の行動の方が不思議と言えるでしょう。ここでは、ようやく発覚された子供達や部屋の状況、そして警察などの動きについて紹介していきます。

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