目次
- 映画にもなった「巣鴨子供置き去り事件」
- 巣鴨子供置き去り事件の概要
- 1973年10月に長男が誕生
- 父親が蒸発
- 1982年~1985年に掛けて4人の子供が誕生
- 次男は生後間もなく死亡
- 母親が次男の遺体を押入れに隠す
- 1987年頃、母親に新しい男ができ家を出る
- 子供達だけの生活が始まる
- 母親はたまにしか顔を出さなかった
- 長男の友人2名が居座るようになる
- 長男に気持ちの変化が訪れる
- 長男・友人2名が三女を殺害
- 三女の遺体を雑木林に遺棄
- 大家の通報により事件発覚
- 巣鴨子供置き去り事件の真相
- 子供達の父親は全員違う人物だった
- 長男の父親と母親は婚姻関係に無かった
- 子供達は学校に通っていなかった
- 子供達の出生届は提出されていなかった
- 長男と2人暮らししていると嘘をついていた
- 長男は立教小学校に通っていると嘘をついていた
- 自宅で出産をしていた
- 養子に出した子供がいる
- 生活費は現金書留で送られていた
- 家賃・ガス・電気料金が未払いだった
- マンション1階にあるコンビニで買い物をしていた
- 母親と実家は絶縁状態だった
- 事件発覚後の状況・動き
- 子供達は衰弱していた
- 2人の女の子は毛布に包まっていた
- 長男は味噌汁を作っていた
- 部屋は異常な臭気が漂っていた
- 母親は自ら出頭した
- 長男の発言により三女が発見される
- 次男の遺体が発見される
- 長男は母親を庇う発言をしていた
- 母親の生い立ち
- 川崎の私立高校を卒業
- 服飾の専門学校に入学
- 歌手を目指す
- 1966年にデビューを果たす
- 人気が出ることはなく2年で引退
- デパートの派遣店員として働く
- 事件当時の年齢は40歳であった
- 長男の事件のその後と現在
- 養護施設に送られる
- 消息不明となっている
- 結婚をしているという噂も
- 母親の事件のその後
- 実名報道がされることはなかった
- 当時付き合っていた愛人と婚約
- 長女と次女を引き取る
- 巣鴨子供置き去り事件で下された判決
- 長男は傷害致死・死体遺棄で養護施設へ
- 母親は有罪判決
- 長男友人は救護院へ
- 事件後の世間の動き・世間に与えた影響
- 多くの報道がされる
- 大都市の病理現象が問題視される
- マンションの住民達が嫌がらせを受ける
- 嫌がらせにより引っ越しをした住人もいる
- 育児放棄する親への批判
- 事件をきっかけに映画「誰も知らない」が制作された
- 2004年に制作された映画「誰も知らない」
- 主演は柳楽優弥さん
- 母親役はYOUさん
- あらすじ
- 第57回カンヌ国際映画祭にて最優秀主演男優賞を受賞
- 子供を巻き込んだ悲惨な事件
- 大阪2児餓死事件
- 足立区ウサギ用ゲージ監禁虐待死
- 苫小牧幼児死体遺棄事件
- 秋田児童連続殺害事件
- 西淀川区女児虐待死事件
- 大阪市東住吉区不倫女児殺人事件
- 親の身勝手な行動が引き起こした悲惨な事件
子供達は衰弱していた
via pixabay.com
当初は多少のご飯を長男が作っていた形跡はありましたが、電気・水道・ガスが止まってからは、コンビニで買える最低限の食べ物しか食せなかったのでしょう。
ある程度成長している長男はそこまで弱ってはいませんでしたが、まだ6~7歳の長女と2~3歳の次女は、成長期にロクな食事もしていなかったせいで、ひどく衰弱していたのです。
長男も含め、ジャンクフードばかり食べていた子供達は栄養失調状態でしたが、飢えも酷かったようで、長女と次女は、大家が差し出したオニギリとバナナを貪り食べていたと言います。
ある程度成長している長男はそこまで弱ってはいませんでしたが、まだ6~7歳の長女と2~3歳の次女は、成長期にロクな食事もしていなかったせいで、ひどく衰弱していたのです。
長男も含め、ジャンクフードばかり食べていた子供達は栄養失調状態でしたが、飢えも酷かったようで、長女と次女は、大家が差し出したオニギリとバナナを貪り食べていたと言います。
2人の女の子は毛布に包まっていた
via pixabay.com
子供達の保護は、事件発覚当日という話と、翌日18日(月)の朝になってという話があります。しかし、事件発覚当日は、大家と警察署員だけの訪問であったなら、状況を確認したのち翌朝改めて福祉事務所の相談員を伴い、保護しに来たのでしょう。
何れにせよ、保護する為に部屋に入った時には、長女と次女はダイニングの片隅で毛布に包まって寝ていたようです。長男は、奥の6畳間に布団を敷いて寝ていたようなので、もしかすると布団すら数が揃っていなかったのかもしれません。
何れにせよ、保護する為に部屋に入った時には、長女と次女はダイニングの片隅で毛布に包まって寝ていたようです。長男は、奥の6畳間に布団を敷いて寝ていたようなので、もしかすると布団すら数が揃っていなかったのかもしれません。
長男は味噌汁を作っていた
via pixabay.com
部屋の中には、電気・水道・ガスが止まる直前に作られたと見られる、味噌汁と炊飯器の中にはご飯が残されていました。また、冷蔵庫の中にも、ニンジンや玉ねぎなどの野菜が残されており、母親が出て行ってすぐは長男もきちんとした食事を作ろうと努力していたことが窺えます。
また、洗濯機の中には洗濯途中の衣類も入ったままとなっており、もしかすると長男は、電気が止まる日を知らなかったのかもしれません。
しかし、本来まだ親の庇護下にある14歳の男子が、社会の仕組みなどを知らないことは当然と言えるでしょう。
また、洗濯機の中には洗濯途中の衣類も入ったままとなっており、もしかすると長男は、電気が止まる日を知らなかったのかもしれません。
しかし、本来まだ親の庇護下にある14歳の男子が、社会の仕組みなどを知らないことは当然と言えるでしょう。
部屋は異常な臭気が漂っていた
via pixabay.com
家を任されていたのは、まだ14歳の少年です。電気や水道が止まったとしても、お金が無ければ支払うことも出来ず、母親を頼ることも出来ない中で、解決方法が分かるはずもありません。
大人でさえも部屋を上手く片付けることが出来ず、汚部屋にしてしまう人が多い中で、少年が掃除やゴミ出しなどをマメにはしないでしょう。また、子供達の存在を隠すべく、カーテンはずっと閉め切られていたということから、日も当たらず、その上風もあまり入らなかったのであれば、衛生的にも健康的にも良いとは言えません。
更に、母が出ていた時点では、次女や三女はまだ1~2歳の乳幼児でした。お漏らしなども当然したでしょうし、オムツをどこまでの範囲で購入出来ていたのかも不明です。その為、部屋の中はゴミや衣類が散乱し、台所には残飯の残りが腐り、部屋の中は異常なほどの臭気が漂っていたと言われています。
大人でさえも部屋を上手く片付けることが出来ず、汚部屋にしてしまう人が多い中で、少年が掃除やゴミ出しなどをマメにはしないでしょう。また、子供達の存在を隠すべく、カーテンはずっと閉め切られていたということから、日も当たらず、その上風もあまり入らなかったのであれば、衛生的にも健康的にも良いとは言えません。
更に、母が出ていた時点では、次女や三女はまだ1~2歳の乳幼児でした。お漏らしなども当然したでしょうし、オムツをどこまでの範囲で購入出来ていたのかも不明です。その為、部屋の中はゴミや衣類が散乱し、台所には残飯の残りが腐り、部屋の中は異常なほどの臭気が漂っていたと言われています。
母親は自ら出頭した
via pixabay.com
事件が発覚すると、各マスコミは一斉にこの事件を報道しました。母親はそのニュースを、同棲していた男の部屋で見ていたのです。
自分の子供達が住むマンションをテレビで観た母親は、すぐさま出頭して、その場で逮捕されました。必死に長男以外の子供達を隠し、長い間放置していたわりに、自ら名乗り出たということは、子供達に多少の情がまだ残されていたのかもしれません。
しかし、彼女は反省の言葉を残していますが、涙を流すことは無かったと言われています。
自分の子供達が住むマンションをテレビで観た母親は、すぐさま出頭して、その場で逮捕されました。必死に長男以外の子供達を隠し、長い間放置していたわりに、自ら名乗り出たということは、子供達に多少の情がまだ残されていたのかもしれません。
しかし、彼女は反省の言葉を残していますが、涙を流すことは無かったと言われています。
長男の発言により三女が発見される
via pixabay.com
出頭した母親は、子供の数が足りないと警察に供述します。この母親の発言を受けて、警察側もようやく三女の存在を知ることが出来ました。
その後、長男に三女のことを確認すると、友人AとBと共に三女に折檻した後に死亡し、遺体を埋めたということも自供したことで、三女の遺体も発見することが出来たのです。
のちにこの時の様子を語った児童相談所の所長によれば、この供述後、長男の表情が穏やかになったと言われています。
その後、長男に三女のことを確認すると、友人AとBと共に三女に折檻した後に死亡し、遺体を埋めたということも自供したことで、三女の遺体も発見することが出来たのです。
のちにこの時の様子を語った児童相談所の所長によれば、この供述後、長男の表情が穏やかになったと言われています。
次男の遺体が発見される
via pixabay.com
警察は部屋の現場検証中、押入れの中から白骨化した次男の遺体も発見し回収しました。遺体はビニール袋の中に消臭剤と共に入れられていたのです。
次女が死んでしまった後、長男は母親が行った次男の遺体処理の方法を真似し、1度は同じように押入れの中に隠していました。しかし、余りにも臭いがきつかったことから外へと棄てに出たのです。
次男が亡くなり、母親が押入れに隠したばかりの頃は、長男に「親戚の家に預けた」と次男の行方を話していたようですが、長男がこの遺体に気が付いたのは一体いつだったのでしょうか。
次女が死んでしまった後、長男は母親が行った次男の遺体処理の方法を真似し、1度は同じように押入れの中に隠していました。しかし、余りにも臭いがきつかったことから外へと棄てに出たのです。
次男が亡くなり、母親が押入れに隠したばかりの頃は、長男に「親戚の家に預けた」と次男の行方を話していたようですが、長男がこの遺体に気が付いたのは一体いつだったのでしょうか。
長男は母親を庇う発言をしていた
via pixabay.com
子供にとっての母親は、この世で一番愛する存在です。幼少期の人格形成には、母親から貰う無条件の愛情や、欲求を叶えてくれたという安心感、そして肌の温もりなどが重要な役割を果たすのです。
医学的根拠は無いと科学者は否定したがりますし、自由になりたい女達も、何もかも母親である必要は無いと思い込みたい人達も多いです。確かに、母親がいない全ての子供が人格異常を起こすとは言えません。父親や祖父母、親戚、義理の父母など、他からの愛情を得てすくすく育つことも事実でしょう。
しかし、そのような人であっても、少しの不安感や母性を知らない悲しみ、自分に自信が持てないなど、何かしら心の欠けを持ってしまうのです。例えどんなにダメな母親でも、自分をお腹で育て、この世に出してくれた母親は、子供にとって唯一無二の存在です。巣鴨子供置き去り事件の長男も、保護された際には母親の今後を心配して庇ったと言われています。
医学的根拠は無いと科学者は否定したがりますし、自由になりたい女達も、何もかも母親である必要は無いと思い込みたい人達も多いです。確かに、母親がいない全ての子供が人格異常を起こすとは言えません。父親や祖父母、親戚、義理の父母など、他からの愛情を得てすくすく育つことも事実でしょう。
しかし、そのような人であっても、少しの不安感や母性を知らない悲しみ、自分に自信が持てないなど、何かしら心の欠けを持ってしまうのです。例えどんなにダメな母親でも、自分をお腹で育て、この世に出してくれた母親は、子供にとって唯一無二の存在です。巣鴨子供置き去り事件の長男も、保護された際には母親の今後を心配して庇ったと言われています。
母親の生い立ち
via pixabay.com
子供達の行く末を案じてか、当時のニュースや新聞などでも母親の実名や顔写真などは発表されていません。その為、彼女の人物像が窺えるような、詳しい生い立ちは不明です。
少ない情報の中で見えてくるのは、やはり母親もまた家庭に多少の問題があり、その上で隠れ知的弱者の可能性が考えられるでしょう。
ここでは、残された情報から母親の生い立ちを辿り、1人の女性が何故このような事件を起こすようになったのかという経緯を追っていきます。
少ない情報の中で見えてくるのは、やはり母親もまた家庭に多少の問題があり、その上で隠れ知的弱者の可能性が考えられるでしょう。
ここでは、残された情報から母親の生い立ちを辿り、1人の女性が何故このような事件を起こすようになったのかという経緯を追っていきます。
川崎の私立高校を卒業
via pixabay.com
平成以降の考えでは、私立に行く方がお金もあり、頭が良いようなイメージを持っている人も多いのでしょうが、昭和的に私立高校は、普通高校に行けない頭の弱い子が行くところという考え方が一般的でした。
母親は川崎市の私立高校を卒業したと言われていますが、学校名などは分かりません。しかし、母親の生まれが昭和23年前後だということを考えると、彼女は団塊世代ドンピシャの世代です。
団塊世代は、まだ高校入学が一般的ではなく、中学卒業後「金の卵」と囃し立てられ、集団就職などをしていた人達なのです。そのような時代の中で、女が私立高校に入れて貰えたのであれば、母親の家庭は相当裕福な家だったことが考えられるでしょう。
母親は川崎市の私立高校を卒業したと言われていますが、学校名などは分かりません。しかし、母親の生まれが昭和23年前後だということを考えると、彼女は団塊世代ドンピシャの世代です。
団塊世代は、まだ高校入学が一般的ではなく、中学卒業後「金の卵」と囃し立てられ、集団就職などをしていた人達なのです。そのような時代の中で、女が私立高校に入れて貰えたのであれば、母親の家庭は相当裕福な家だったことが考えられるでしょう。
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