2019年10月5日 更新

巣鴨子供置き去り事件の概要とその後は?母親や長男の現在についても

今から31年前に起きた「巣鴨子供置き去り事件」は、母親の育児放棄によって起きた事件です。事件発覚の場所となったマンションには、長男を始めとする4人の子供達が暮らしていました。今回は事件の概要と、置き去りにした母親や子供達のその後、そして家族の現在を紹介します。

目次

母親の事件のその後

Teddy Bear Lost - Free photo on Pixabay (685407)

常に女として生きてしまった母親も、今現在生きているのであれば、すでに71~72歳となっています。今、彼女が当時のことを少しでも反省していることを願いたいところではありますが、過去を変えることは出来ません。

この母親もまた、子供達のプライバシーに配慮してか情報が少ない為に、今何処で何をしているかまでは不明です。しかし、自ら出頭して罪を償おうとした彼女の行動には、子供達への情が全くなかった訳ではないと言えるでしょう。ここでは、母親の事件後を追っていきます。

実名報道がされることはなかった

Press Camera The Crowd - Free photo on Pixabay (685413)

何度も触れていますが、加害者であるはずの母親は、実名や顔写真などの報道は一切されませんでした。歌手だったこともあり、いつもであれば執拗に正体を暴こうとするはずのマスコミが、全く触れていないことが不思議です。

マスコミが意図的に犯人の正体を隠す時は、いくつかのパターンがあります。巣鴨子供置き去り事件のように、被害者の子供が被害者で生存している場合、または相手が触れてはいけないほどまずい裏社会の人である、もしくは権力を持っている場合。

そして、最近多いのは犯人が韓国人、朝鮮人(在日も含む:時には通名報道のみ)という場合です。しかし、この事件の場合は、子供に配慮したというのが理由でしょう。

当時付き合っていた愛人と婚約

Ring Wedding Before - Free photo on Pixabay (685420)

母親が39歳頃から夢中になった新しい男は、千葉県浦安市に住む当時56歳の冷凍食品販売業で勤める人でした。ネットでは、愛人と書かれていますが、母親は独身だった為、もしかするとこの男もまた既婚者だった可能性も考えられます。

事件が発覚するまで、母親はこの男の家で同棲をしていました。長男には、仕事で大阪に出張すると当初は嘘を付いていたようです。

母親は短い刑期を終えた後、この男と婚約した、または結婚したと言われています。そうであれば、名字も変わっているでしょう。

長女と次女を引き取る

War Torn Refugees Poor - Free vector graphic on Pixabay (685402)

事件発覚後、長女と次女は児童福祉施設に送られたと言われていますが、その後母親が2人の娘を引き取りました。だとすれば、同棲していた男と再婚した後なのでしょう。

しかし、再婚相手が娘達を引き取ることを許可してくれたのであれば、何故もっと早くに子供達のことを相談出来なかったのかということが悔やまれます。

事件発覚当時、妹達はまだ幼いので、確かに過去の記憶は忘れていくのでしょう。しかし、一番母親に協力した息子を、出来れば短い期間でも引き取ることは出来なかったのでしょうか?最後まで1人残されてしまった長男の気持ちを考えると哀れでなりません。

巣鴨子供置き去り事件で下された判決

Justice Statue Lady Greek - Free photo on Pixabay (685424)

日本での裁判は、女や母親に甘いと言われています。ネットなどでは「女様割引」または「女様の特権」などと揶揄されるほど、罪が軽めになることが多いのです。

同じように、親が子に対して行った犯罪より、何故か子が親に対して犯した行為の方が、罪は重く取られる傾向があります。これは、儒教の考えから来ているのかもしれませんが、昔からあまり平等ではありません。

巣鴨子供置き去り事件でも、母親に対する判決はとても軽いものでした。ここでは、事件の判決を紹介していきます。

長男は傷害致死・死体遺棄で養護施設へ

Yellowstone Lake Hotel - Free photo on Pixabay (685428)

長男はほとんど被害者です。しかし、三女の折檻に参加し、その後意識を失った三女に対して救助行為をしませんでした。彼は母親に叱られてしまうことや、この状況がバレてしまうことを恐れていたのです。

無知ながらも、長男は人工呼吸器の真似事や、身体を布団で温めるという救助行為をしていますが、救急車を呼ぶことをしていません。彼にそこまでの知識があったのかは不明ですが、確かに戸籍の無い子供が故に保険証も無いのです。

例え病院に連れて行くことが出来たとしても、確実に高額なお金が掛かるくらいは長男も分かっていたでしょう。何れにせよ、三女は亡くなり、その遺体を長男は遺棄したことに変わりはありません。結果、傷害致死と死体遺棄の罪で東京家裁に送られた後、更生の為に養護施設に送られました。

母親は有罪判決

Graphics Court Justice - Free image on Pixabay (685433)

出頭した母親はその場で逮捕され、供述も素直にした為、わりと早めに判決公判が開かれています。1988年(昭和63年)10月26日(水)、母親には保護責任者遺棄致死の罪で、懲役3年執行猶予4年の有罪判決を下されました。

しかし、母親は再婚後、子供達とやり直すという反省をしたという理由で、自力更生の機会を与えられたと言われています。このことから、もしかすると刑務所には入っていないのかもしれません。

例え1年程、刑務所に入っていたとしても、子供達の人生を無茶苦茶にしてしまった罪としては、とても軽いものだと言えます。

長男友人は救護院へ

Nature Tree Road - Free photo on Pixabay (685463)

三女に直接の死を与えたと言ってもいい、長男の友人AとBですが、彼らもまた未成年だった為、罪に問うことは出来ませんでした。

巣鴨署で補導はされていますが、特段罪を負うこともなく、Aは救護院へ送られ、一番激しく三女に対して暴行を加えていたBは保護観察処分という結果になったのです。

いくら未成年だったとしても、これもまた罪が軽いと言わざるを得ません。しかし、この少年たちの家庭もまた、何かしらの問題を抱えていることが考えられ、その後きちんと更生出来たのかは疑わしいところです。

事件後の世間の動き・世間に与えた影響

Protest Action Group Of - Free photo on Pixabay (686386)

巣鴨子供置き去り事件は今から31年前に起きた事件ということもありますが、子供が係わっているせいか、不思議なほど当時の新聞やニュースなどの情報がありません。

昔からクズ親というものは存在しますが、この事件をきっかけに、核家族化も定着した都会の闇と、戦後40年が過ぎた日本にも、未だ苦しんでいる悲惨な子供達がたくさんいるという現実を、世に知ら締めることになりました。

ここでは、巣鴨子供置き去り事件が発覚した後の、世間の動きと影響を紹介していきます。

多くの報道がされる

Newspapers News Press - Free photo on Pixabay (686391)

何度か触れていますが、巣鴨子供置き去り事件に関して、当時世間に影響を及ぼすほど多くの報道がされていたはずですが、ネットではその情報を確認することが出来ません。

子供のプライバシーを守る為なのか、著作権関係の問題なのかは分かりませんが、今現在この事件についての情報はとても少ないということが事実です。

しかし、この事件が起きた1988年(昭和63年)は、戦後からすでに43年の時が過ぎ、前年には所謂バブル経済がスタートして、世の中が浮かれていた時代です。そのような時代の中で起きたこの事件は、日本が抱えた暗い闇をクローズアップすることになりました。

6 / 8

関連する記事 こんな記事も人気です♪