2019年10月5日 更新

巣鴨子供置き去り事件の概要とその後は?母親や長男の現在についても

今から31年前に起きた「巣鴨子供置き去り事件」は、母親の育児放棄によって起きた事件です。事件発覚の場所となったマンションには、長男を始めとする4人の子供達が暮らしていました。今回は事件の概要と、置き去りにした母親や子供達のその後、そして家族の現在を紹介します。

目次

子供達は衰弱していた

Child Girl Crying - Free photo on Pixabay (685230)

当初は多少のご飯を長男が作っていた形跡はありましたが、電気・水道・ガスが止まってからは、コンビニで買える最低限の食べ物しか食せなかったのでしょう。

ある程度成長している長男はそこまで弱ってはいませんでしたが、まだ6~7歳の長女と2~3歳の次女は、成長期にロクな食事もしていなかったせいで、ひどく衰弱していたのです。

長男も含め、ジャンクフードばかり食べていた子供達は栄養失調状態でしたが、飢えも酷かったようで、長女と次女は、大家が差し出したオニギリとバナナを貪り食べていたと言います。

2人の女の子は毛布に包まっていた

Sleep Child Girl - Free photo on Pixabay (685233)

子供達の保護は、事件発覚当日という話と、翌日18日(月)の朝になってという話があります。しかし、事件発覚当日は、大家と警察署員だけの訪問であったなら、状況を確認したのち翌朝改めて福祉事務所の相談員を伴い、保護しに来たのでしょう。

何れにせよ、保護する為に部屋に入った時には、長女と次女はダイニングの片隅で毛布に包まって寝ていたようです。長男は、奥の6畳間に布団を敷いて寝ていたようなので、もしかすると布団すら数が揃っていなかったのかもしれません。

長男は味噌汁を作っていた

Cooking Pots Cookware - Free photo on Pixabay (685239)

部屋の中には、電気・水道・ガスが止まる直前に作られたと見られる、味噌汁と炊飯器の中にはご飯が残されていました。また、冷蔵庫の中にも、ニンジンや玉ねぎなどの野菜が残されており、母親が出て行ってすぐは長男もきちんとした食事を作ろうと努力していたことが窺えます。

また、洗濯機の中には洗濯途中の衣類も入ったままとなっており、もしかすると長男は、電気が止まる日を知らなかったのかもしれません。

しかし、本来まだ親の庇護下にある14歳の男子が、社会の仕組みなどを知らないことは当然と言えるでしょう。

部屋は異常な臭気が漂っていた

Lost Places Window Old - Free photo on Pixabay (685248)

家を任されていたのは、まだ14歳の少年です。電気や水道が止まったとしても、お金が無ければ支払うことも出来ず、母親を頼ることも出来ない中で、解決方法が分かるはずもありません。

大人でさえも部屋を上手く片付けることが出来ず、汚部屋にしてしまう人が多い中で、少年が掃除やゴミ出しなどをマメにはしないでしょう。また、子供達の存在を隠すべく、カーテンはずっと閉め切られていたということから、日も当たらず、その上風もあまり入らなかったのであれば、衛生的にも健康的にも良いとは言えません。

更に、母が出ていた時点では、次女や三女はまだ1~2歳の乳幼児でした。お漏らしなども当然したでしょうし、オムツをどこまでの範囲で購入出来ていたのかも不明です。その為、部屋の中はゴミや衣類が散乱し、台所には残飯の残りが腐り、部屋の中は異常なほどの臭気が漂っていたと言われています。

母親は自ら出頭した

Police Emergency Handcuffs - Free photo on Pixabay (685259)

事件が発覚すると、各マスコミは一斉にこの事件を報道しました。母親はそのニュースを、同棲していた男の部屋で見ていたのです。

自分の子供達が住むマンションをテレビで観た母親は、すぐさま出頭して、その場で逮捕されました。必死に長男以外の子供達を隠し、長い間放置していたわりに、自ら名乗り出たということは、子供達に多少の情がまだ残されていたのかもしれません。

しかし、彼女は反省の言葉を残していますが、涙を流すことは無かったと言われています。

長男の発言により三女が発見される

Police Crime Scene Blue Light - Free image on Pixabay (685261)

出頭した母親は、子供の数が足りないと警察に供述します。この母親の発言を受けて、警察側もようやく三女の存在を知ることが出来ました。

その後、長男に三女のことを確認すると、友人AとBと共に三女に折檻した後に死亡し、遺体を埋めたということも自供したことで、三女の遺体も発見することが出来たのです。

のちにこの時の様子を語った児童相談所の所長によれば、この供述後、長男の表情が穏やかになったと言われています。

次男の遺体が発見される

Garbage Bag Waste Non Recyclable - Free photo on Pixabay (685280)

警察は部屋の現場検証中、押入れの中から白骨化した次男の遺体も発見し回収しました。遺体はビニール袋の中に消臭剤と共に入れられていたのです。

次女が死んでしまった後、長男は母親が行った次男の遺体処理の方法を真似し、1度は同じように押入れの中に隠していました。しかし、余りにも臭いがきつかったことから外へと棄てに出たのです。

次男が亡くなり、母親が押入れに隠したばかりの頃は、長男に「親戚の家に預けた」と次男の行方を話していたようですが、長男がこの遺体に気が付いたのは一体いつだったのでしょうか。

長男は母親を庇う発言をしていた

Mother Son Mothers Day - Free vector graphic on Pixabay (685285)

子供にとっての母親は、この世で一番愛する存在です。幼少期の人格形成には、母親から貰う無条件の愛情や、欲求を叶えてくれたという安心感、そして肌の温もりなどが重要な役割を果たすのです。

医学的根拠は無いと科学者は否定したがりますし、自由になりたい女達も、何もかも母親である必要は無いと思い込みたい人達も多いです。確かに、母親がいない全ての子供が人格異常を起こすとは言えません。父親や祖父母、親戚、義理の父母など、他からの愛情を得てすくすく育つことも事実でしょう。

しかし、そのような人であっても、少しの不安感や母性を知らない悲しみ、自分に自信が持てないなど、何かしら心の欠けを持ってしまうのです。例えどんなにダメな母親でも、自分をお腹で育て、この世に出してくれた母親は、子供にとって唯一無二の存在です。巣鴨子供置き去り事件の長男も、保護された際には母親の今後を心配して庇ったと言われています。

母親の生い立ち

Pocket Watch Time Of Sand - Free photo on Pixabay (685294)

子供達の行く末を案じてか、当時のニュースや新聞などでも母親の実名や顔写真などは発表されていません。その為、彼女の人物像が窺えるような、詳しい生い立ちは不明です。

少ない情報の中で見えてくるのは、やはり母親もまた家庭に多少の問題があり、その上で隠れ知的弱者の可能性が考えられるでしょう。

ここでは、残された情報から母親の生い立ちを辿り、1人の女性が何故このような事件を起こすようになったのかという経緯を追っていきます。

川崎の私立高校を卒業

Diploma Parchment Graduation - Free vector graphic on Pixabay (685300)

平成以降の考えでは、私立に行く方がお金もあり、頭が良いようなイメージを持っている人も多いのでしょうが、昭和的に私立高校は、普通高校に行けない頭の弱い子が行くところという考え方が一般的でした。

母親は川崎市の私立高校を卒業したと言われていますが、学校名などは分かりません。しかし、母親の生まれが昭和23年前後だということを考えると、彼女は団塊世代ドンピシャの世代です。

団塊世代は、まだ高校入学が一般的ではなく、中学卒業後「金の卵」と囃し立てられ、集団就職などをしていた人達なのです。そのような時代の中で、女が私立高校に入れて貰えたのであれば、母親の家庭は相当裕福な家だったことが考えられるでしょう。

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